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瀬長亀次郎氏、スクラップ帳見つかる 記録35年間 - 琉球新報デジタル
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瀬長亀次郎氏、スクラップ帳見つかる 記録35年間 - 琉球新報デジタル
約35年間に800冊余り―。米軍統治下の弾圧に抵抗した故・瀬長亀次郎さんが、1950年代半ばから9... 約35年間に800冊余り―。米軍統治下の弾圧に抵抗した故・瀬長亀次郎さんが、1950年代半ばから90年まで毎日つくり続けた新聞スクラップ帳の数だ。長年、最初の5冊(54~57年分)が所在不明になっていたが、ことし3月、県内の関係者が借りたままになっていたのが見つかり、瀬長さんの資料などを保管・展示する「不屈館」(那覇市若狭)に返却された。 人民党事件、那覇市長当選、そして追放という、瀬長さんにとって“激動の4年間”が、県内外の新聞で当時どのように報じられていたのかを語る貴重な資料だ。 “激動の4年間” 瀬長さんは1907年生まれ。戦前に沖縄朝日新聞や毎日新聞那覇支局の記者として活動し、46年から49年まで、うるま新報(現在の琉球新報)の社長も務めた。立法院議員だった54年10月、米軍の退去命令に従わなかった人民党員をかくまったとして逮捕され、投獄された。 見つかったスクラップ帳のうち最も古