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なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか
このブログで何度か明治初期に起こった廃仏毀釈のことを書いてきた。この時期にわが国の寺院が半分以下... このブログで何度か明治初期に起こった廃仏毀釈のことを書いてきた。この時期にわが国の寺院が半分以下になり、多くの国宝級の文化財を失ってしまったのだが、そもそも廃仏毀釈が起こる前のお寺や神社がどのような姿であり、一般民衆は廃仏毀釈をどう受け止めたかについて調べていると、高村光雲の文章が眼に止まった。 高村光雲は上野の西郷隆盛像を制作した彫刻家で詩人の高村光太郎の父親でもあるのだが、仏師であった高村東雲の徒弟となったものの、明治維新以後は仏師としての仕事がなくなり、西洋美術を学んで日本の木彫技術の伝統を近代彫刻に繋げた人物だと評価されている。 その高村光雲が口述し、昭和4年に出版された『幕末維新懐古談』という本があり、平成7年に岩波文庫で再刊されている。残念ながらその岩波文庫も今では絶版になってしまったが、有難いことに青空文庫で全文を読むことが出来る。 その中に「神仏混淆(こんこう)廃止改革され
2017/12/03 リンク