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日本のサラリーマンと紫式部の意外な接点
「蓑(みの)のそばへ笠が寄る」という諺があるが、あるときガード下の飲み屋で騒いでいるサラリーマン... 「蓑(みの)のそばへ笠が寄る」という諺があるが、あるときガード下の飲み屋で騒いでいるサラリーマンたちを見て納得した。似たような者同士が集まって親しくなるというのはごく自然なことだ。しかし、集まってくるのが才能あふれるアーティストや、歴史の流れを変えた偉大な人物となると、その人たちを引き寄せた運命の気まぐれに驚いてしまう。 日本の場合、平安期を風靡した女流作家たちにも驚くほどの強いつながりが見られる。『蜻蛉日記』の著者である藤原道綱母は、紀貫之があの『土佐日記』を書き上げて間もなく生まれたが、彼女は紫式部や清少納言のちょうど親世代に当たる。兄・理能、弟・長能のほかに、姉と妹もいたようだ。 小さなコミュニティで繰り広げられる人間模様 兄の妻は清少納言の姉で、妹は菅原孝標と結婚して、生まれた娘は『更級日記』の作者として知られている。一方、姉は藤原為雅という人と結婚。その姪がかの有名な紫式部である