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“普通”という名の圧が蔓延する中で、ノイズとして存在したい - 安田菜津紀|論座アーカイブ
“普通”という名の圧が蔓延する中で、ノイズとして存在したい 台湾から日本へ。自分が堂々と私でいられる... “普通”という名の圧が蔓延する中で、ノイズとして存在したい 台湾から日本へ。自分が堂々と私でいられる場所を日本語の中につくった温又柔さん 安田菜津紀 フォトジャーナリスト 「母国の言葉なのに、話せないなんてかわいそうですね」。大学時代、バイト先で一緒だった男性に面と向かっていわれたとき、私はなんと返していいのか分からず、ただただ押し黙った。 確かに、父のルーツは韓国にあるが、私は韓国語を学んだことはない。韓国は“母国”なのか、韓国語を話せないことで“かわいそう”となぜ憐れむような視線を向けられなければならないのか、その言葉のざらざらとした感触がやけに心に引っかかり続けた。 温さんの本から受けた衝撃 けれどもそんな体験は人から見れば些細なことで、話したところで伝わりづらいものだろうと、どこか投げやりに考えていた。だからこそ、温又柔さんの小説『真ん中の子どもたち』と、エッセイ『「国語」から旅立
2021/01/20 リンク