新型コロナウイルスに関する情報は、厚生労働省の情報発信サイトを参考にしてください。情報を見る
エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
信玄の「最後の城攻め」から450年 新城で「敵、味方なく供養を」:朝日新聞デジタル
戦国大名・武田信玄による最後の城攻めとなった1573年の「野田城の戦い」(愛知県新城市)から今月で450... 戦国大名・武田信玄による最後の城攻めとなった1573年の「野田城の戦い」(愛知県新城市)から今月で450年となる。地元住民らが、戦いで命を落としたすべての人を供養する催しを開く。 野田城は現在の同市豊島に菅沼定則が築城。その孫で、徳川家康の家臣だった定盈(さだみつ)のときに城攻めを受けた。1573年の2月10日に降伏し、開城したと伝わる。 昭和初めに地元の郷土史家がまとめた「千郷村史」には、武田側も含めて戦いで亡くなった人たちを埋葬した塚があちこちにあったと記されている。 また、別の郷土資料「大野田史」では、明治時代に地域で疫病が流行した。村の長老が、初代城主・定則の墓がある泉龍院(同市豊栄)の住職に相談したところ、地域に葬られた人を敵も味方もなく供養する石碑を建ててはと助言を受けたとされる。 そこで1901(明治34)年に「怨親(おんしん)招魂碑」が建立された。怨親とは、敵も味方も同じよ
2023/02/02 リンク