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被爆68年の長崎/被爆政府がなぜ署名拒否/式典で被爆者代表 築城昭平さん
9日の長崎平和式典で、被爆者代表の築城昭平(ついき・しょうへい)さん(86)が「平和への誓い」を... 9日の長崎平和式典で、被爆者代表の築城昭平(ついき・しょうへい)さん(86)が「平和への誓い」を読み上げました。その思いとは。要旨を紹介します。 当時、私は18歳、師範学校の2年生でした。動員学徒として三菱兵器住吉トンネル工場に通っていました。1945年8月9日、夜勤を終え、爆心地から北1・8キロの寮に戻ってきたのが午前7時ごろでした。 バリバリバリという音で目が覚め、その瞬間、爆風で吹き飛ばされ、気がついたときには部屋の壁に打ちつけられていました。左手首と左足が焼けただれ、飛び散ったガラスの破片で体中から血が流れ、赤鬼のような姿になっていました。 2カ月もの間、高熱と血便が続き、立つこともできず、脱毛と傷の痛みに悩まされました。近くに避難をしている人が次つぎと亡くなっていく話を聞くと、恐怖の中で死を覚悟したものでした。 今、強く願うことは、この大量破壊・大量殺人の核兵器を一日も早く、この
2013/08/10 リンク