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扶養能力あっても断種は必要なのか 「福祉の父」63年前の疑問 : 京都新聞
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扶養能力あっても断種は必要なのか 「福祉の父」63年前の疑問 : 京都新聞
近江学園の生徒や保母らと写真に収まる糸賀一雄(中央)=1951年4月、遺族提供 「障害者福祉の父」... 近江学園の生徒や保母らと写真に収まる糸賀一雄(中央)=1951年4月、遺族提供 「障害者福祉の父」と呼ばれ、戦後、滋賀県に知的障害児施設などを創設した糸賀一雄(1914~68年)。その後半生は、優生保護法(48~96年)による強制不妊手術が行われた時期に重なる。福祉の巨人は、障害のある人たちへの断種にどう向き合ったのか。 63年前の機関誌に糸賀の言葉が記録されていた。知的障害者の親たちでつくる「全国手をつなぐ育成会連合会」(大津市)の前身団体が発行した「手をつなぐ親たち」。旧厚生省と文部省の監修を受けた、親を教育する「指導誌」だった。 56年7、9月号に東京・銀座で開いた座談会「精薄児と性の問題」の発言録が載っている。精神薄弱は知的障害の当時の呼称だ。糸賀や東京大の教授、小児科医、国の官僚ら13人が参加した。 発言録によると、医師や大学教授、官僚が強制不妊を肯定していた。「(知的障害が)遺