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占領期最大の恐怖「公職追放」:GHQに最も抵抗した石橋湛山蔵相(11)
自民党初の総裁選に勝ったが、総理大臣に在任65日で思わぬ病気のため退陣し、その潔い引き際が今も語り... 自民党初の総裁選に勝ったが、総理大臣に在任65日で思わぬ病気のため退陣し、その潔い引き際が今も語り継がれる石橋湛山(たんざん)。彼は戦前、軍部とも闘い、言論弾圧を受けた自由主義者で、ジャーナリストである。終戦の翌年に第1次吉田茂内閣の大蔵大臣となったが、1年後にGHQの指令で戦前の言論活動を理由に公職追放された。数多いパージも中でも最大のミステリーとされる「湛山追放」を4回にわたり考証する。 「私は有髪の僧」 石橋湛山は、日蓮宗僧侶の父(後に日蓮宗総本山久遠寺の法主)の郷里、山梨県で育った。中学を卒業するころ、幼名(省三)から湛山と改める。山梨の日蓮宗の寺院には、子弟の名に「湛」を付ける習わしがあったという。 中学の校長が、札幌農学校でクラーク博士の薫陶を受け、熱心なキリスト教徒だったことから、その影響も受けた。石橋は枕元に、いつも日蓮遺文集と聖書を置いていた。石橋は後に回想記で、「私は今
2021/06/02 リンク