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「やられた!」運動会の日 まさかの不審火 “県民の台所”を襲った苦難 | 沖縄タイムス+プラス
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「やられた!」運動会の日 まさかの不審火 “県民の台所”を襲った苦難 | 沖縄タイムス+プラス
[公設市場物語]歴史編(上) 現地建て替え工事に向けて、6月に現施設での営業を終える那覇市の第一牧... [公設市場物語]歴史編(上) 現地建て替え工事に向けて、6月に現施設での営業を終える那覇市の第一牧志公設市場。1950年に牧志公設市場として営業開始以来、「県民の台所」として親しまれてきた。60年代前半から10年以上続いた改築・移転問題や69年の火災焼失を経て、72年10月に現施設がオープン。当時を知る店主らは「公設市場を盛り上げるために何でもやったよ」と話す。 ■ガーブ川の氾濫 牧志公設市場は那覇市が、闇市場の露天商人を市役所跡地(現施設敷地)に集めたことが始まり。戦後、いち早く開放された壺屋地域周辺には帰還者ら多くの人が集い、青空市や闇市がつくられた。市は500人超といわれた商人を集めて使用料を取り、市場を管理した。バラック小屋を経て、50年12月に木造平屋の精肉部・鮮魚部(西市場)、翌年には雑貨部・衣料部(東市場)が整備された。 床が周囲より階段3段分低かったとされる西市場は、そばを