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気配り? 細かすぎ? 秀吉、部下の少額給与も自ら指示…姫路城主時代の家臣宛て直筆文書発見(1/2ページ)
豊臣秀吉が家臣の小出秀政に宛てた自筆文書1通が熊本県天草市の個人宅で見つかり、兵庫県立歴史博物館... 豊臣秀吉が家臣の小出秀政に宛てた自筆文書1通が熊本県天草市の個人宅で見つかり、兵庫県立歴史博物館(同県姫路市)が6日、発表した。羽柴秀吉と称していた姫路城主時代のものとみられ、「ありけんハ」という人物に給与として「五人扶持(ぶち)」を支給するよう秀政に命じる内容。同館の前田徹学芸員は「姫路城主時代の秀吉の自筆文書は数点しかなく、給与の支給に言及した文書は極めて珍しい」としている。 書状は縦22・9センチ、横30・4センチ。漢字交じりの仮名書きで、5行にわたって書かれている。天正10(1582)年3月10日の日付があり、織田信長の配下だった秀吉が備前(岡山県)を攻める前後の時期という。 本文は「五人扶持、『ありけんハ』にいだし申すべく候なり」(五人扶持を「ありけんハ」に支給せよ)とあり、年間5人を養える程度の俸給を与えるよう指示している。前田学芸員は「給与は少額だが、そうした文書まで秀吉がわ
2017/10/07 リンク