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巨木や岩石が頭の上を「跳び交う」 1945年、宮古島で何があったのか 元兵士が従軍記残す:東京新聞 TOKYO Web
山口さんの従軍記。沖縄本島で日本軍の組織的戦闘が終結した1945年6月23日以降、宮古島への米軍による空... 山口さんの従軍記。沖縄本島で日本軍の組織的戦闘が終結した1945年6月23日以降、宮古島への米軍による空襲は激しさを増したとつづる 沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる1945年6月23日以降も、沖縄本島から南西約300キロの宮古島では、兵士らが空襲や飢餓に苦しみ続けた。群馬県中之条町に生まれ、2006年に89歳で亡くなった山口武夫さんは、はいつくばって攻撃を耐え、野草をむしって空腹をしのいだ体験を従軍記として詳細に書き残していた。「戦争の恐ろしさは、行った者でしか分からない」。遺族によると、かつて山口さんはそうつぶやいていたという。(小松田健一) 沖縄戦と宮古島 日本軍は宮古と伊良部、下地の各島に飛行場や砲台などを建設し、1944年5月から将兵約3万人が進駐した。米軍の上陸はなかったが、10月以降に空襲と艦砲射撃を繰り返し受け、日本軍による土地接収や疎開で移転した住民のマラリア
2023/07/10 リンク