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【永田町・霞が関インサイド】“聖域”自民党税調の敗北 税制牛耳ってきた歴史も首相には通じず
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【永田町・霞が関インサイド】“聖域”自民党税調の敗北 税制牛耳ってきた歴史も首相には通じず
今週半ば、財務省(木下康司事務次官・1979年旧大蔵省入省)の最高幹部から話を聞く機会があった。 ... 今週半ば、財務省(木下康司事務次官・1979年旧大蔵省入省)の最高幹部から話を聞く機会があった。 10月1日、来年4月から消費税率8%実施が閣議決定したことに安堵(あんど)していたことは言うまでもない。 だが、安倍晋三首相の消費増税決断までの安倍官邸と財務省との攻防、とりわけ自民党税制調査会(以下、党税調=野田毅会長)に話が及んだ際、それまでの滑らかな口調に変化があった。 なぜか。それを説明するには党税調の歴史をおさらいする必要がある。 かつて税制改正の論議は党税調が完全に牛耳り、時の首相も手出しできない存在だった。 その象徴は故山中貞則氏。山中氏は岸信介内閣当時、佐藤栄作蔵相の下で大蔵政務次官を務めたことを契機に税制のプロとして力を付けた。 通産相、防衛庁長官、総務庁長官、党政調会長などを歴任しているが、「党税調のドン」として君臨し、総理・総裁もアンタッチャブルの聖域化した。 エピソード