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日中国交正常化50年 残留孤児の半生 どうして帰ることができないのか | NHK | WEB特集
広島市内のビルの一室では中国語が飛び交っていた。私は部屋に入り、白髪の女性に名刺を渡すと「名前、... 広島市内のビルの一室では中国語が飛び交っていた。私は部屋に入り、白髪の女性に名刺を渡すと「名前、なんて読むんですか?」と、優しくも少したどたどしい日本語で返ってきた。 冒頭で紹介した残留孤児の女の子、川添瑞江さんだ。今年で84歳になった。川添さんは1938年に旧満州=今の中国東北部の吉林省で生まれた。郵便局員の父親、みごもっていた母親、それに姉と妹と暮らし、7歳の8月、終戦を迎える。 戦後の混乱で避難を始める中、次々と家族を失った。 川添瑞江さん 「ハルビンに行けば日本に帰れるという話を信じて、私たちは着の身着のまま、避難を始めました。大雨の中、毎日毎日、森の中を歩き続けて、だんだん食べ物もなくなり、そのうち荷物を運ぶための馬も殺して皆で食べました。母の背中におんぶされたまま、妹が亡くなりました。やっと牡丹江という町に着いて、すぐ母は赤ちゃんを生みました。数日後の朝、目が覚めたら、母は冷た
2022/10/14 リンク