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[2]「脱亜」と帝国のまなざし - 五野井郁夫|論座アーカイブ
「悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」(... 「悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」(福澤諭吉「脱亜論」『福澤諭吉全集 第10巻』岩波書店、1960年、240頁) 近代日本における人種差別的な誹謗という、人を傷つける言葉はどこから来たのだろうか。その来歴をやや足早にたどってみたい。 明治維新以後、富国強兵のような近代化路線として日本でも植民地主義が採用された。「脱亜入欧」という言葉があるが、「脱亜」の意味自体は現在でも誤解されているきらいがある。くわえて「脱亜論」についての論争のなかには、福澤諭吉本人の筆によるものなのか疑問視する声もある。 福澤本人は「入欧」という表現は使用していない。また1881年以来、朝鮮が独力で文明開化を成し遂げるために、特殊密接な関係を作りあげたいとの願いから朝鮮国内の改革派に対して援助を行っていた福澤本人の東アジアへの当時のまなざしは、いわゆる蔑視の
2015/01/30 リンク