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asahi.com(朝日新聞社):後鳥羽上皇の水無瀬離宮跡か 大阪・島本で発見 - 文化
石敷き(手前)や柱穴が確認された水無瀬離宮跡とみられる遺構=22日、大阪府島本町、筋野健太撮影「... 石敷き(手前)や柱穴が確認された水無瀬離宮跡とみられる遺構=22日、大阪府島本町、筋野健太撮影「巴文」の文様がある軒丸瓦 鎌倉幕府に反抗して「承久(じょうきゅう)の乱」(1221年)を起こし、隠岐に流された後鳥羽上皇(1180〜1239)が造営した「水無瀬(みなせ)離宮」とみられる建物跡が大阪府島本町で見つかったと、同町教委が22日発表した。近くには離宮跡に建てたといわれる水無瀬神宮があるが、離宮内の遺構が確認されたのは初めて。なぞに包まれた水無瀬離宮の解明につながると注目されている。 宅地開発に伴い、同町広瀬1丁目の田地2カ所で計約300平方メートルを発掘。根石で固められた直径30〜40センチの柱穴四つが一辺約4.2メートルの正方形の四隅に並び、その北側で約30センチ大の平石を幅約3メートル、東西に8メートル以上並べた雨落ち溝とみられる石敷きが確認された。 西側調査区のくぼ地か
2010/01/23 リンク