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函館大火から83年 村瀬さん「悲劇伝えたい」 | 2017/3/21 函館新聞社/函館地域ニュース - e-HAKODATE
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函館大火から83年 村瀬さん「悲劇伝えたい」 | 2017/3/21 函館新聞社/函館地域ニュース - e-HAKODATE
「80年以上経った今でも、あの日の出来事はしっかりと記憶に焼き付いている。若い世代にも大火の悲劇... 「80年以上経った今でも、あの日の出来事はしっかりと記憶に焼き付いている。若い世代にも大火の悲劇をあらためて知ってもらいたい」と話すのは、12歳の時に1934(昭和9)年の函館大火に被災した、函館市千歳町の村瀬幸雄さん(95)。毎年3月21日には、現在の自宅の目の前にある函館市慰霊堂(大森町33)での函館大火慰霊祭に出席し、祈りを捧げている。 旅館業を営んでいた両親と兄弟5人で若松町に住んでいた村瀬さん。大火の当日は父親と一緒に松風町の映画館に出かけたが、凄まじい強風が吹き荒れていたため、午後6時ごろに自宅兼旅館に引き返したという。 それから約1時間後の午後6時53分に住吉町方向から最初の火の手が上がると、風にあおられあっという間に燃え広がった。「馬車や手押し車に荷物を積んでたくさんの人たちが避難してきた。旅館には父親と長兄が残り、母親と私を含む4人の兄弟で海岸町方面に避難した」。この