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希望を奪う政治今も/(上)東北は貧しかった/二・二六事件青年将校遺族 波多江さん99歳 | 河北新報オンラインニュース
日本人だけで約310万人が亡くなった太平洋戦争の終結から69回目の8月15日が来る。再び戦闘参加... 日本人だけで約310万人が亡くなった太平洋戦争の終結から69回目の8月15日が来る。再び戦闘参加に道を開きかねない集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、歴史の岐路に立つわたしたちは戦争からいま何を学び、次代に伝えればいいか。二・二六事件青年将校の遺族で軍靴の時代の語り部、弘前市の99歳の波多江たまさんに聞いた。(編集委員・寺島英弥) <波多江さんは、1936年に起きた二・二六事件に参加し、処刑された青森市出身の対馬勝雄中尉の妹。軍部から「国賊の家」とされ、沈黙を強いられた。「兄の真実を明かしたい」と91年、遺稿・回想集「邦刀遺文」を家族と自費出版した。> -対馬中尉は、どんな時代に生きたのですか。 「誰もが貧しかった。家は青森市の浜の新開地にあり、小作の次男の父がバラックで魚屋をしました。学校には弁当すら持たない子ばかり。兄は中学校の月謝を払えぬ苦しい家のため、父に黙って仙台陸軍幼年学
2015/02/04 リンク