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菰野町 - 【その他】飛塚古墳
飛塚古墳出土物とその完成想像図 所蔵・写真提供 三重県埋蔵文化財センター 飛塚古墳は、大字大強原字... 飛塚古墳出土物とその完成想像図 所蔵・写真提供 三重県埋蔵文化財センター 飛塚古墳は、大字大強原字柳坪のミルクロード(県道140号線)際にある。古墳の規模は菰野町に現存する独立墳としては最大のもので、高さ3m、直径32mの円墳である。元々は今より大きなものであったと考えられるが、長い年月のうちに墳丘はくぼみ、上部は平坦になっている。 この古墳は、柳ヶ塚、首人塚ともよばれ、この地方に勢力のあった豪族の墓、また成務天皇時代の県主の墳墓であるとも言われている。明治初期の発掘調査で鉄刀、管玉、勾玉等が出土したと伝わっているだけであった。しかし、平成24(2012)年国道477号線整備事業に伴い飛塚古墳の上にバイパスが通ることとなり、古墳北側の周溝にあたる一部分の発掘調査が行われた。これにより1,000点程の遺物が出土し、古墳の成立年代は古墳時代前期末(約1600年前)であったことが判明した。 出土