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大森荘蔵に関するfunaki_naotoのブックマーク (18)

  • 大森 荘蔵『流れとよどみ―哲学断章』|KAZE

    ☆mediopos2603  2022.1.1 私たちの世界観は 教えられたことに呪縛されている 物「と」心 体「と」心 主体「と」客体 科学「と」社会 人間「と」自然 近代以降の私たちは それらの「と」によって 世界を二つに分ける世界観である 「二元論的構図」の魔法によって 呪縛されているのである 大森荘蔵の哲学的営為の中心には そうした「二元論的構図」の呪縛を どのようにして解くかということがあったようだ おそらくその呪縛は近代よりもずっと前 とくに言語が使われるようになってから 私とあなたのあいだにある「と」のように 世界がさまざまなものに分けられはじめてから 次第に私たちの世界観になってきていたはずだ 世界を「分かる」ために 私たちは世界を「分けて」きた そして渾沌は穴をあけられて死ぬ・・・ 言語はその源でもあっただろうが その道具によって 分けられないものまでも分けてしまい 言語

    大森 荘蔵『流れとよどみ―哲学断章』|KAZE
  • 読書メモ:大森荘蔵『物と心』  - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

    物と心 (ちくま学芸文庫) 作者: 大森荘蔵 出版社/メーカー: 筑摩書房 発売日: 2015/01/07 メディア: 文庫 この商品を含むブログ (5件) を見る 今年1月に文庫版が発行された、大森荘蔵の論考集。 「物と心」というタイトルが示すように、主に心脳問題に関する論考がおさめられています。難解な哲学書かと思いきや、意外なほどに面白く読めるでした。心脳問題以外にも、「時間とはなにか」「確率とは」「帰納法とは」「数学とは」などの科学哲学の王道的なテーマも扱われており、大森荘蔵の哲学を知るのにも良いなのではないかと思います。 心脳問題とは、「物質である脳と、非物質的としか思えない心との関係はどうなっているのか」という問題ですが、大森はたとえば次のように言い表しています。 たしかにこの二十世紀に育った「私」が自分の体をみてもどこからどこまでただの物であるとしかみえない。机や椅子のよう

    読書メモ:大森荘蔵『物と心』  - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
  • 雑 - finalventの日記

    書架にある大森荘蔵のをぱらぱらとめくる。自然にわかるところと、わからないところがある。ふっと彼が、道元の有時について触れたところがある。大森は、発表されたものにはそれほどの言及はないが、道元をよく読んでいた。が、彼らしい謙虚でもあるが、有時がなんであるかといった理解や解説は示さなかった。大森はその他の仏典もよく読んでいた。ときにはっと驚くような言及がある。だが、大森はおよそ、誰かの思想をそのままの形で受け取ることはなく、彼自身の疑念の原形にまで沈めていった。それが哲学者としての、つまり、廃人としての儀礼のように見ていただろうし、それをもって哲学の徒としてっていけることに、つまり東大の教師であることにひとつの倫理を見ていた。くどいようだが、自身を廃人と思ったからこそ、教師をなしとげていたというものだろう。 大森はよい教え子を結果的に育てた。彼らはみな大森を踏まえて大森を超えていったかに見

    雑 - finalventの日記
  • 大森荘蔵 『知の構築とその呪縛』 (ちくま学芸文庫) - TOOFAR2のブログ

  • ララビアータ:恩師の言葉 - livedoor Blog(ブログ)

    先日、花井一典氏の思い出について書いたおり、恩師に対する関係の理解の違いが、二人の齟齬のきっかけとなったことに言及して、私は次のように記した。 恩師に対する敬愛は、何かもっとつつましく秘められた形をとるものであると、私には感じられた この点について、以前、私の亡き恩師大森荘蔵先生について『文学界』(2004年12月号)に書いたことがある。市販された雑誌に掲載された文章であるから、全文を再録することはためらわれるが、今では古書店で探す以外に購入が難しいものであるから、道義上許されることと思う。興味がある方は、以下参考にしていただきたい。 「恩師の言葉」 大森先生は私の恩師である。以前、拙著で先生に言及するさい、故人の名には敬称をつけないという慣行から、やむを得ず敬称を略したが、まことに心苦しく感じた事があるので、ここでは大森先生と呼ばせていただく(もっとも生前は、先生のことをただ「大森さん」

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2010/10/12
    「語られずただ我々の前に示されている」
  • 三十六計不如逃

    脳が語る身体―養老孟司対談集作者: 養老孟司出版社/メーカー: 青土社発売日: 1999/07メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る哲学者の大森荘蔵さんとの対談が一番印象的。大森さんは、「心の働きは脳の機能である」ということが納得できないようだ。「脳内のニューロンの働きの結果として意識がでてくるという考え」は「たいへん危険な考えだ」と言う。自分の喜びや悲しみが、あの豆腐のようなものから生まれたものであるのが信じられない。 それに対して養老さんはいろんな説明を試みるが、その一つに 「足の先を怪我したならば、足の先が痛みます。私は確かに足の先が痛み、それはまぎれもなく私が足の先のことを知っているということを示しています。  ところが、治療のために麻酔をかけたとします。すると足の先の痛みは消えます。足の先で起こっていることにおいては麻酔をかける前も後も変わりがないはずなのに、初

  • 大森荘蔵 - would-be

  • 大森荘蔵『知の構築とその呪縛』 - ものろぎや・そりてえる

  • 大森荘蔵「時間と存在」(青土社): Bibliophilia-精神医学的勉強覚書

  • 大森荘蔵「時間と存在」

    佳代とナジャのリヒテンシュタイン姉妹(ペルソナ)による対話ブログ。話題はシュルレアリスムからアニ横まで。Il est l'heure de s'enivrer! 「うん、興味深かった。全体をまだしっかりとフォローできてるわけじゃないけど、とてもおもしろくて、そしてはっとさせられるとこがいくつかあった。それは書のテーマのひとつとなってるゼノンのパラドクスの問題で、アキレスは亀に永久に追いつけないって西洋哲学の疾患のひとつに対するアプローチの仕方が、関心させられた。大森はここで幾何における点概念と無限概念における錯覚を挙げてて、点が移動すると考えるとこにこのゼノンの問題があるって述べてる。そこから現代に至るまで科学にまつわりつく点と線の二つに対する認識の錯覚‥それらはけして移動するものでない、ということを論拠としてゼノンのパラドクスを解体してく様は刺激的だったな。数学に疎い私でもわかりやすく

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  • 私の人生観を決定づけた大森荘蔵の言葉 - finalventの日記

    「物と心」より。 こうして如何なる解釈をとろうと、確率論は帰納の意味を明確にはしたが、帰納の問題に解決を与えることができなかった。むしろ確率論の経験への適応可能性が帰納の正当化に依存するのである。 正当化が論理的に不可能だ、ということも全く正しい。理由は簡単で、ヒュームの言う通り、過去が未来を些かでも規定するという補償が些かもないからである。しかも、何の正当性もなくわれわれは現に無数の帰納を行っている。それが定義上「合理的」だからである、と言うことは念入りな冗談という以外はない。 実はその意味で科学にはなんら合理性はなく、念入りな冗談に過ぎない。 合理性ではなく、それは賭に過ぎないと大森は言う。 この、未来と過去の類似、過去世界の世界像の未来への外挿はこれまで何の根拠もない独断的仮定として非難されてきた。しかし、これは仮定ではなく賭なのである。そして、何の根拠もない賭けなのである。 いかに

    私の人生観を決定づけた大森荘蔵の言葉 - finalventの日記
  • 機械は意識を持つか。コンピューターは意識を持つか。インターネットは意識を持つか。: 極東ブログ

    結論を先に書くと、機械は意識を持つか。イエス。コンピューターは意識を持つか。イエス。インターネットは意識を持つか。イエス。 昨日「極東ブログ: デカルト的な考えによれば人間の身体は機械である」(参照)を書いたおり、私は意図的に機械主義についてオートマトンから始め、デカルトとその後継の機械主義を分け、「デカルト的な考えによれば人間の身体は機械である」とし、けして「デカルトの考えによれば人間は機械である」とは書かなかった。デカルト自身は人間の総体については機械とは考えなかったからだ。 デカルトは、雑駁に言えば、人間の精神は別に存在し松果体によって身体と結びついていると考えていた。また、その精神こそが動物と人間との差異として考えた。このような人間の超越性についての考えの延長には現代ではチョムスキーの思想が存在する(彼はUGの構成性をピアジェが知性の基底を扱うような進化論的な獲得のプロセスモデルと

  • モノクロ珈琲 : 脳が先か言語が先か

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    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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  • 哲学は難しい - 一本足の蛸

    大森荘蔵 -哲学の見 (再発見 日の哲学) 作者: 野矢茂樹出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/10/19メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 7人 クリック: 44回この商品を含むブログ (29件) を見るこれは非常にわかりやすく書かれただ。大森荘蔵の原典は『流れとよどみ―哲学断章』と『時間と自我』、あといくつかの論文しか読んだことがないが、少なくともそれらよりずっとわかりやすい。原典より解説書のほうがわかりやすいのは当たり前だろうと思う人もいるかもしれないが、大森荘蔵は極めて平易な文章を書く達人だから、それよりさらに平易な文章で彼の哲学の軌跡を追うのは並大抵のことではない。そう考えると、野矢茂樹というのは凄い文章家だな、とあらためて感心する。 たぶん、ふつうに日語の文章が読める人なら、誰でもこのに書かれている事柄は理解できるだろう。とはいえ、もちろん斜め読みやと

    哲学は難しい - 一本足の蛸
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    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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  • hearing the voice of the friend

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