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新井白石に関するfunaki_naotoのブックマーク (14)

  • 武人儒学者 新井白石 - 株式会社 吉川弘文館 歴史学を中心とする、人文図書の出版

    家宣(いえのぶ)・家継(いえつぐ)2代の将軍に仕えた新井白石は、儒学者として政治改革を進めつつ、武士としての誇りを持ち続けた。武家独自の「礼楽(れいがく)」を興(おこ)し、官位制度に代わる勲階制度を提案、将軍の対外的呼称の変更に関わる。さらに家宣の能楽愛好を諫め、貨幣復古政策を推進するなど、神君家康の徳を継ぎ、江戸幕府と徳川氏の永続実現に奮闘した生涯に迫る。 肖像画の白石―プロローグ 武人(武士)白石 武人の心性 武士の誇り 赤穂事件と白石 軍事の重視 武家の旧儀による「礼楽」 「礼楽」を興す時 武家官位に代わる勲階制度―公武各別のための制度(一) 武家装束の整備―公武各別のための制度(二) 武家国家の外交―日国王 「楽」を興す 家宣の能楽愛好に諫言 家宣と能楽 家宣と雅楽 天皇(公)と将軍(武)の関係 武家政権の優越性 公と武の関係 「天命維新」の試み 「天命」再降下 幕府危機への提案

    武人儒学者 新井白石 - 株式会社 吉川弘文館 歴史学を中心とする、人文図書の出版
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 第16回 新井白石『西洋紀聞』|日本思想史の名著を読む|苅部 直|webちくま

    シドッチの骨 思想史に限らず歴史上の人物について、その風貌については詳しくわからない場合が多い。日に関しては写真が残っているのは徳川末期の開国以後のことであり、それ以前についても、生前に描かれた肖像画が残っているとはかぎらない。 だが例外的に、重要人物の風貌を立体の復元模型によって知ることのできる例が、近年になって登場した。シチリア島出身で、教皇の命を受け、日への布教のため宝永五(一七〇八)年八月に屋久島へ上陸した司祭、ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッチ(シドッティ、一六六八年~一七一四年)である。当時の日はいわゆる「鎖国」政策のもと、キリスト教の布教はきびしく禁じられており、禁教時代に訪れた最後の使節にあたる。 シドッチは日に来る途中、マニラで手に入れた和服帯刀の姿で潜入したが、たちまち捕えられ、公儀の監視下に置かれて、翌年に江戸小石川(現、文京区小日向)の切支丹屋敷に移送され

    第16回 新井白石『西洋紀聞』|日本思想史の名著を読む|苅部 直|webちくま
  • 週刊東洋文庫1000:『新訂 西洋紀聞』(新井白石著 宮崎道生校注)

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  • プロデューサー新井白石/音楽公演・朝鮮通信使(紀尾井ホール) - 見もの・読みもの日記

    ○紀尾井ホール(小ホール)『紀尾井 江戸 邦楽の風景(六)朝鮮通信使』(PDF)(7月19日、18:30~) たまたま、公演の関係者からチラシをいただいて、こういうシリーズ公演が行われていることを初めて知った。「江戸 邦楽の風景」は2010年春から始まった企画で、絵画、風俗、演劇などと、ジャンル横断的な音楽の楽しみ方を提唱するものらしい。今回は、正徳元年(1711)徳川家宣が第6代将軍になったお祝いに訪れた朝鮮通信使を取り上げる。 使節一行は1711年5月12日に漢城(ソウル)を出発し、釜山で船に乗り込み、対馬や牛窓など、多くの地域に立ち寄りつつ、大阪に到着。大阪から日の川船に乗り換え、京都へ。京都から陸路で、江戸に到着。10月18日には宿舎の浅草東願寺に入り、11月1日に国書を将軍に手渡し、11月3日、使節をもてなす儀礼がおこなわれた。使節の人数は約500人、うち51人が音楽隊だっ

    プロデューサー新井白石/音楽公演・朝鮮通信使(紀尾井ホール) - 見もの・読みもの日記
  • シリーズ 新井白石編4回目 山本七平が絶賛する新井白石の対中国、対朝鮮外交 - 物語を物語る

    前回の続き 新田義貞伝承を追う! 実は東毛奇談の続編シリーズ 新井白石編 その4 第一回目が、白石は新田源氏を名乗ったことから、その自覚を持って何を考え、何をしたかということ。 第二回目が、その白石が皇室を守ったこと。 第三回目が、中国、朝鮮への強硬外交を取ったこと。 そして今回は新井白石編の大まとめです。 「日」が中国に呑み込まれないよう独立国家として存在するためには、「天皇」を中国皇帝に見立てた「象徴」とし、これをもって政治を行うことが必要であった、と白石は考えていた。 あくまでも、実質的な政治は「幕府」が執り行い、「文化、伝統、日の象徴」として「皇室」を尊重していくことが、「日を守る」という考え方で、より「朝幕併存体制」を実践させようとしたのである。 これは考えてみれば、現代の象徴天皇制に近い考えだ、と思う。 現代でも「保守」を掲げる人は、同じ考えも持っていると言って差し支えな

  • シリーズ 新井白石編3回目 対中国、対朝鮮、日本の取るべき外交姿勢は、新井白石に学べ。 - 物語を物語る

    新田義貞伝承を追う! 実は東毛奇談の続編シリーズ 新井白石編 その3 今回は「対中国、対朝鮮、日の取るべき外交姿勢は、新井白石に学べ」です。 前回までの要点 1、新井白石は新田源氏を名乗った。 2、その白石が、皇室を守った。 で、今回の要点は、 1、対中国、対朝鮮外交で見せた強硬な姿勢 2、沖縄・琉球対策 の2点。 彼は、江戸中期にあって、中国(清)の脅威からどうやって日の独立を守ればいいのか、また日の国防にはまず南の琉球・沖縄、北のアイヌのことを知る必要があるとも考えていたのだ。これらは、今回いろいろな関連を読んで知ったことだった。 そんな偉人の足跡を知ったあとで、思い出したのが現代の政治家の「あの不甲斐ない件」のことだった。 「胡錦濤皇帝」に拝謁を賜った小沢一郎(週刊新潮 07/12/20号) http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seij

  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0162.html

  • 新井白石『西洋紀聞』 - 記憶の彼方へ

    西洋紀聞 (岩波文庫 黄 212-3) 先日、近所のCOOPに買物に行った折、無人の古50円均一コーナー(鍵のかかったユニセフの募金箱が設置してある)を眺めていたら、一冊の古い岩波文庫が目にとまった。新井白石の『西洋紀聞』だった。1709年、鎖国下の江戸中期、命がけで日に潜入するも、捕らえられ、切支丹屋敷に幽閉されていたイタリア人宣教師シドチを尋問した新井白石による、日人の西洋理解のルーツとなったとも評される報告書である。手にとって、ぱらぱらと捲っていて、驚いた。日語をほとんど知らないイタリア人とイタリア語を全く知らない日人がここまでお互いを理解し合えたことをはじめとするテクストの意味内容もさることながら、その岩波文庫版の大胆な割注(文の間に割り書きにした注)を用いた文組みに驚いた。ルビよりも一回り大きなポイントの活字によって埋め尽くされたページさえある。もちろん、活版印刷で

    新井白石『西洋紀聞』 - 記憶の彼方へ
  • エピソードに見る日本人の宗教観 - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

    人にはよく宗教心がない、と言われますが当でしょうか?確かにキリスト教やイスラム教のように一神教でガンガン押してくる人たちの宗教観から見ると、多神教で争いごとを好まずに曖昧に過ごす日人には宗教心がないように思えます。 そんなことを考えながら、日人の宗教観を考える上でのエピソードを二つお届けします。皆さんは何を感じられるでしょうか。 【エピソードその1 新井白石のキリシタン否定】 山七平さんの「日人の人生観」(講談社学術文庫)の中に、「新井白石のキリシタン否定」という一節が載っています。 ※    ※ 【以下引用】 ※    ※ 現代日の基礎を形成した鎖国時代に、キリシタンと対決した日の知識人と言えば新井白石である。(中略) 白石は『西洋記聞』の中で明確にキリシタンを否定しているが、それは決してキリシタン日侵略論を基にしておらず、彼自身はこの俗説をはっきり否定しており、問題

    エピソードに見る日本人の宗教観 - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]
  • 近代天皇家と新井白石: 極東ブログ

    文仁親王妃、男のお子さまご出産、おめでとうございます。 お子さまの皇位継承順位は、第一位皇太子、第二位文仁親王に次いで第三位となる。たぶん、この順で皇位が継がれていくか、あるいは皇太子の次となるかだろう。 何年先のことになるかわからないが私はもうこの世にいないだろう。が、この慶事を聞いて私なども日がそのころまで中国に飲み込まれることもなく存続していたらいいなという仄かな希望を覚える。 テレビなどから見る日庶民の喜びのようすは遠い親戚の家の世継ぎが出来てよかったという気持ちのように受け止められる。もともと日の庶民にはごく例外を除けば血統意識がなくあっても実際には家名の継続があるだけである。つまり、家の財産のシステムでもある。 これで皇室典範改正は見送りになるだろうし、一世紀近くは女帝の登場もないということになるのだろう。私個人としては、「極東ブログ: 英国風に考えるなら愛子様がいずれ

  • 歴史一口話 : 白石が取り調べた宣教師(2) - livedoor Blog(ブログ)

  • ARAI Hakuseki

    言語學者としての新井白石 今ではなくなられましたが、もと私の師匠でありました、伯林の大 學教授ガベレンツ先生は、其著スプラツハウィツセンシャフトの 中に、日の語學に就き批評を下されまして、 日人の獨りだちで爲した精神的作動の中では、此言語學 上に於ける程の名譽なる結果は、恐く他の學域上に見出し 難からう、 と書かれました。私には、今茲に所謂他の學域なる者が、果して 左様なみすぼらしき者であるか、たゞしはないかといふ事を論 辨する遑がありませぬ。さりながら此日語學の價直を高く 見られました教授の御意見だけには、千里の異域にも亦かゝる 知己が居らぬでもないと、窃に喜んだのであります。 さりながら此名譽ある日語學の研窮の歴史は、このほんもと の日國では、だれが取調べて居りますか。もう一ツ云ひかへ て見れば、此語學のために力を盡し、此日語のために涙をそゝ いだ、われくの祖先の事蹟は、こ

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