LaTeX ユーザにとってたいへん残念なことになった。 奥村先生の TeX Forum から来る投稿記事メールは最近ほとんど読み飛ばし状態だった。しかし,つい先ほど受信したメールのサブジェクト: "「何々prop」のみならず「OTFパッケージ」も公開停止に" があまりに衝撃的だったので,作者・齋藤修三郎氏のサイトを確認してみた。果たして「暫く旅に出ます.探さないで下さい.」との悲しい文言が... OTF 公開停止は事実のようである。OTF パッケージは,LaTeX 和文タイプセットにおいて出力漢字を拡張するために,なくてはならぬ存在なのに。 どうして齋藤氏は公開停止を決断なさったのか? この悲しい文言から,なにか,相当に深い事情がありそうなので,それを詮索してもはじまらない。まずは齋藤氏の意思を尊重すべきだろう。フリーソフトウェアの開発・公開・メンテナンスは,作者の思いとユーザの使い方・要
先日 misima の問題点を訂正して公開した.このプログラムに関する頁は,私のサイトではなぜかダントツでアクセス頻度が高い.私自身は TeX で旧漢字を出力する必要のある時にごくごく希に使用する程度であるが,これを使ってくれる方の多くは旧仮名遣い・旧字(歴史的仮名遣い・旧漢字)で文章を書きたいと考えているようである.私の当初の目的とはかけ離れた使われ方ではあるが,そういうものかも知れない.私が想定した目的は,古い文献の引用を効率化することでしかなかった.通常の IME では旧字・旧仮名テキストの入力は困難であり,現代仮名遣い,当用・常用漢字による正則 (というのはなにかというのはさて措き) 表記テキストを入力することで,この労力を軽減するというものであった. 私自身は現代仮名遣い,広く認められた表記で書くべきであると考えている.もちろん「正字正仮名 (こんな名称はどこの事典にも載っていな
古書で中公新書の築島裕著『歴史的仮名遣い』を入手した。これは昭和六十一年に刊行された啓蒙書である。その後絶版になってしまい、残念ながら、現在では図書館か古書で探すしか読む手だてがないものとなっている。 私も歴史的仮名遣いは久しく興味の対象であり、近現代文学のオリジナルが旧字旧仮名遣いの作品は、学生のころから努めて原典表記のものを漁って読むようにしてきた。旧仮名遣い・旧字変換ツール misima を公開する動機にもなっている。 私が感銘を受けた本書の核心部は、仮名遣いというものを二種類に区分して論じている点である。つまりひとつは「実態」としての仮名遣いと、もうひとつは「規則、ルール」としてのそれとを区別しているところである。そして著者の教えてくれる興味深いところとしては、こんにち歴史的仮名遣いとして語られる後者が、契沖によって整理されてのち、明確に社会的に意識され、その習得度合いによって教養
先日,森鷗外の『仮名遣意見』をめぐって歴史的仮名遣いの保守主義云々について書いた。「正字正假名」なるものを信奉するひとの主張には,その「國語の保守主義」,「合理的」,「カッコいい」なる馬鹿げた理屈において,私はどうしても与しかねるからである。私は日本語に関心を持つ者は歴史的仮名遣いを知っておかねばならないし,読み慣れておく必要があると認める。 misima 旧仮名遣い・旧字変換支援を公開しているのも,歴史的仮名遣いへの関心と愛着から来ている。 misima に取り組むに際して,何冊もの歴史的仮名遣いに関する書籍やインターネット・リソースを参照して研究して来たし,その過程で仮名遣い変更の功罪についても少しは考えるようになった。最近多く見られるようになった,歴史的仮名遣いで文章を書くひとに対しても,私はある程度の理解をもっているつもりである。でも,歴史的仮名遣いを尊重したいと思う気持ちとそれを
コンピュータ関係の書籍を読んでいて,その内容に刺激を受け,著者の力量に感銘を覚えることは少なくない。しかし,私の読書経験のなかで貴重な一冊だと思わせてくれる本はまずない(計算機科学の本なんかで感動するか,普通?)。私にはそんな本が二冊ある。B. W. カーニハン,D. M. リッチーの『プログラミング言語 C』と,D. E. クヌースの『TeX ブック』である。 前者は,C 言語の入門書にして言語仕様の解説書として,決定的な役割を果たし続けている名著中の名著である。私は UNIX サーバの仕事が舞い込みはじめた 1992 年あたりに,本書を購入して C を勉強したのである。計算機の勉強において,そのアーキテクチャに親和性を持つプログラミング言語を学び,システム・プログラムを自分で書いてみることが,OS 理解の王道である。その当時は UNIX といえば C 言語だったのである。 ガチガチの汎
今日,自宅の Windows XP に JIS X 0213:2004(所謂 JIS 2004)対応のMS明朝,MSゴシックのフォント,さらにメイリオ・フォントを導入した。ずいぶん前に,JIS X 0213 について書いたとき,なによりもこの規格でなされた 168 字の字体変更をこき下ろした。けれども,Utf82TeX CJK 統合漢字拡張 B 対応を行ったこともあり,「標準」に追随して行かざるをえないなあという気持ちが強くなったのである。たとえ愚かな君主の決めた愚かな法律・標準であっても,発効すれば文句を言いながらも従うしかありません。「標準」とはそのようなものである。 IE 7 で葛原妙子の「葛」は,もと だったのが になった。これはこれで正しい。 しかし,考えれば考えるほど,この JIS 2004 の字体変更の理屈が理解できない。この変更は,国語審議会の答申「表外漢字字体表」に示され
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