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ブックマーク / tangoya.blog95.fc2.com (15)

  • たんご屋本舗 常用漢字は「目安」じゃないのか

    常用漢字巡る権威VSネット 「大論争」になる理由 (J-CAST テレビウォッチ) この見出しを見たときは先日放送の「クローズアップ現代」で取り上げられていた常用漢字のことがネット上で大論争になっているのかと思ったが、そうではなくて審議する委員会内で大論争になっているという放送内容と同じ意味の見出しらしい。そりゃ、考えてみれば常用漢字なんて地味な話題がネット上で論争になるわけがないか。 この放送はわたしも見ていたが、いちばん印象に残ったのは上のリンクの記事にもある 「俺」を入れてしまえば、常用漢字は「まあ作りました。参考してください」程度の存在になってしまう という、ある大学教授の発言だった。 常用漢字は「目安」のはずだから、もとより参考程度の存在だと思っていたが、その大学教授はそうではないと考えているらしい。それならいったい何だというのか。まったくわからない。この教授はわたしの「バカの壁

  • たんご屋本舗 権威主義の正体

    このブログにだれかを取り上げるときは、大学教授でも政治家でも医師でも弁護士でも、基的に名前に「さん」をつけて書くようにしている(尊敬しているひとには「先生」をつけることもある)。大学教授や国会議員などという肩書きに無意識にへへーと恐れ入って気圧されないようにしたいからだ。わたしのような一般人は、学者がいうのだからあるいは政治家がいうのだから自分ごときの考えよりも正しいのだろう、と思ってしまいがちだ。しかし、他人の肩書きに萎縮したり、学術的で高尚に見えるものをありがたがったりするのは、見かけや職業などによる偏見や差別と同じ種類の卑しい心根だと思う。どちらも自分の頭で判断することを怠っている。 商業オカルト、似非科学、ダイエットブームや、全体主義、独裁制、ポピュリズムなどの政治のあり方、それらを支えるミーハー、スノッブ(俗物)、妄信、衒学趣味、知的怠惰といった個人の性質、その背後にあると思わ

  • たんご屋本舗 可哀想だた惚れたつて事よ

    「訓読みのはなし」というを読んで、音読みと訓読み、漢語とやまとことばのことをしばらく考えていたら、翻訳をするときは名詞を名詞節にすると自然な日語になる、という翻訳技法のことが想い出された。それはいろいろなに書いてあることだが、とりあえず覚えているのは、安西徹雄さんの「英文翻訳術」だったか、「英文読解術」だったかというである。そのの内容を確認しようと思って探してみたがすぐに見つからなかった。そこで、たまたま棚にあった別宮貞徳さんの「翻訳読」を見てみると、やはりそういう内容のことが書かれていた。要約して引用すると次のようなことだ。They would be reminded of his past love of them. × かれらは、自分たちへのかれの過去の愛を想い出すであろう。 ○ かれらは、むかしかれが愛してくれたことを想い出すであろう。 これはつまり、「his pas

  • たんご屋本舗 訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語

    最近読んだ。訓読みの歴史、めずらしい訓読みの紹介、一字多訓の話、振り仮名のこと、中国台湾・朝鮮・ベトナムの訓読み事情など、訓読みにまつわるいろいろな話が書かれている。以前読んだ高島俊男さんの「漢字と日人」のようにまとまった主題に沿って書かれているわけではなくいろいろな情報を雑多にあつめたという感じのだが、個々の情報は知らない内容が多い。まあ、おもしろかった。 わたしは、「訓読み」というのは基的にやまとことば(和語)に漢字を当てたものだと漠然と認識していた。たとえば、むかしの日には mountain という意味のやまとことばである「やま」という語があったが、日には文字がなかったので同じ意味の中国文字(漢字)である「山」と表記して「やま」と読むことにした、ということだ。それは、大筋で間違いではないが、このを読んで、そういう経緯以外の流れでできた「訓読み」も相当数あるというふうに

  • たんご屋本舗 「蛇足」の読みかた、「茶道」の読みかた

    東京新聞の「反響」欄に、先週放送の「時事放談」について次のような意見があった。 元財務相が「蛇足」を「じゃそく」と一度ならず二度までも言っていました。最近、首相の漢字の読み間違いなどが問題になっているだけに気になりました。 そのときの放送はわたしも見ていて、「じゃそく」にも気が付いていた。元財務相とは塩川正十郎さんのことだ。しかし、「じゃそく」でもよいはずと思っていたから、とくに調べもせず忘れていた。 あらためて調べてみると、やはり「じゃそく」という読みかたはある。というより、「じゃそく」のほうが来の読みかたのようだ。漢字源によると、「蛇」という漢字は、訓読み「へび」、音読み「タ」と「イ」が呉音/漢音、「ジャ」が呉音、「シャ」が漢音だそうで、「ダ」は慣用音ということになっている。つまり、「蛇足」を「ダソク」と読んだり「蛇蝎」を「ダカツ」と読んだりするのは慣用読みらしい。「ジャソク」や「ジ

  • たんご屋本舗 文章題と抽象化能力

    教育】国際数学・理科教育動向調査 日の子供の弱点浮かぶ (産経ニュース) 少し古いニュースだが、小学生を対象に行われた「国際数学・理科教育動向調査」で、日の子どもは文章題や記述問題に弱いことがわかったという。この調査は各国の子どもの数学や理科の学力を測るのが目的だったのだろうけれど、むしろ日の子どもの国語力の低さが露呈したというのは皮肉なことだ。 数学の成績も理科の成績も国語力に負うところが大きい。それは、言語の能力と抽象化能力の高さに相関があるからではないかという気がする。畢竟、知能というのは抽象化能力のことではないか。かつて大学で心理学を専攻したものとしていわせてもらえば、心理学上、「知能」の明確な定義はなかったはずだ。それなら自分なりに知能を定義しても問題なかろう。 言語にはものごとを抽象化する機能がある。たとえば、「消しゴム」といっても、わたしの使っている消しゴムとあなたの

  • たんご屋本舗 口語体と話しことば

    マニュアルなどの翻訳では、こういう文体や規則で訳しなさい、ということをまとめたスタイルガイドというものを支給される。カッコは半角で、といったことから、「A, B, and C」のような列挙のときに最後の「および」の前に読点を入れてはいけない、とか、カタカナ語が 11.5 文字以上のときは複合語の間に半角スペースを入れなさい、とかいった内容で、そういったことをあまり気にせずにふつうに文章を書いているひとはおそらくびっくりするであろう、非常に細かいことまで指示されている。 あるソフトウェア マニュアルのスタイルガイドに「できるだけ口語体を使うこと」という項があり、そのすぐ後に「話しことばは使用しないこと」という項があった。 できるだけ口語体を使う例としては、「のみ」ではなく「だけ」を使うとか、「ねばならない」ではなく「する必要がある」を使うとかいったこと。話しことばは使用しない例としては、「た

  • たんご屋本舗 せいぜい頑張ってください

    石原都知事:北京五輪開会式の首相を批判 (毎日新聞) ちょっと古いニュースだが、福田首相が「まあ、頑張ってください。せいぜい頑張ってください」と五輪選手を激励したのに対して石原都知事が「『せいぜい』とはどういうことかね」と批判したという。 広辞苑第六版によれば、「せいぜい」の意味は次のとおり。 せい‐ぜい【精精】 [二]〔副〕 (1)力の及ぶ限り。精一杯。「―努力します」 (2)十分に多く見積もっても。たかだか。「―三日もあれば出来る」 (1)の意味で言ったのだとしたら、福田さんはとくに妙なことを言ったとはいえない。しかし、石原さんは「せいぜい」を(2)のような否定的な含意のある表現として受け取ったようだ。辞書での定義はともかく、「せいぜい頑張ってください」といわれたら、わたしもあまりよい気はしない。つまり、石原さんと同じ語感を持っている。 ところが、和英辞書を見てみるとおもしろいことがわ

  • たんご屋本舗 「国語に関する世論調査」の結果の「さわり」

    国語世論調査:「檄」「さわり」…誤解こんなに 正答率、世代差も--文化庁 (毎日jp) 文化庁の国語世論調査によれば、「ウェブサイト」という語の理解度が 5 年間で大幅に向上したという。わたしは翻訳のときに「Web サイト」と書くことはあるけれど、ふつうの生活で「ウェブサイト」という語を使うことはない。仲間うちでは平板アクセントで「サイト」といっているし、知らないひとや不特定多数に対しては「ホームページ」というようにしている。 「ホームページ」は和製英語だとか、「ホームページ」と「ウェブサイト」は違う、とかいう意見もあるだろうが、それでも、web sites を見たこともないようなひと(が含まれると思われる集団)にわかりやすく説明するには、便利なことばだと思う。 一般の新聞でも「ホームページ」という語を使っているんじゃないのと思って、念のため、Google のニュース検索で検索してみたら、

  • たんご屋本舗 「おめでとうございました」と過去形

    「おめでとうございました」という言いかたはおかしいという意見がある。わたしはおかしいとは思わない。たぶん、「た」という助詞が英語でいうところの過去時制の意味、つまり「過去に起きたこと(でいま現在とは関係ないこと)」を連想させるので、おめでたいことに「た」を使っては拙い、つまり、結婚式の忌詞のように一種の作法としてよろしくないということなのだろう。それはそれで 1 つの見識だと思う。 実際には「た」は必ずしも過去のことを意味するわけではないし、「おめでとうございました」の「た」も過去の意味ではないとわたしは思っている。 When the LED glows, press the button once. こういう英文を「LEDが点灯したら、ボタンを 1 回押してください」と訳すことがある。この場合の「た」は、もちろん過去のことではない。 これに似た文を訳すときに、たとえば「LED が点灯した

  • たんご屋本舗 北近畿と方言

    北近畿というのは、文字どおり近畿地方の北部である。具体的には、兵庫県北部、京都府北部、福井県に該当する日海に面する地域だが、東京では山陰や北陸ほどは知られていない。 たんご屋の郷里は、このうちの京都府北部で、旧国名を「丹後(たんご)」という地域である。東京に出てきて以来、「京都に海があるの?」と何回いわれたことか。「知らなかった」ならばまだよいが、こいつうそついてんじゃないのというような態度でいつまでもいぶかしがるひともいる。最後まで信じてくれなかったひともいた。京都に海があるというのはそれほど衝撃的な情報らしい。 現在放送中の NHK の連続テレビ小説「ちりとてちん」の舞台は福井県の小浜でわたしの郷里にわりに近い。親近感のあるところだが、行ったことはなかった。今回、このドラマを見て、方言がわたしの郷里の方言ととてもよく似ているのに驚いた。広い意味の関西弁になると思うが、やはり田舎だから

  • たんご屋本舗 隠語 - 寿司屋の符丁

    前回「ようつべ(YouTube)」「ほめぱげ(home page)」といった隠語は気恥ずかしくて使えないということを書いたが、「おあいそ(お勘定)」「あがり(お茶)」「しゃり(ごはん)」といった寿司屋の隠語、符丁も気恥ずかしくてわたしは使えない。 そういうことばを使っているひとを非難する意図はない。通じるのであれば使うのは自由だと思うが自分は使えないということだ。これは理屈ではなく感覚の問題なので自分でも一貫性が取れているわけではない。「ガリ(ショウガの甘酢漬け)」も符丁だといわれているが、この語はわたしも使う。 ガリって当に符丁なのかなと思って広辞苑で引いてみたが、寿司屋の符丁だとは書かれていなかった。もちろん、当のところはどうなのかわからない。がり (古く、大きなショウガをがりがりとかんでしたことからという) 握鮨・押鮨などで、口直しに添える薄切りにして熱湯に通し甘酢につけたショ

  • たんご屋本舗 日本語の歴史

    山口仲美さんの「日語の歴史」というを読んだ。ちょっと読みにくかった。 奈良時代から平安時代までは、万葉仮名、宣命体、変体漢文、漢字カタカナ交じり文、草仮名文、ひらがな文といった日語表記自体の変化の歴史を実例を交えながら説明している。 鎌倉と室町時代は、「なむ」「ぞ」「こそ」という強調の助詞の係り結びがなくなっていくことを例にして、古典文法の変化情緒を重んじた平安貴族に代わって武士が台頭するにつれて日語が情緒性よりも論理性を重視する文法に変化していくようすを解説している。 江戸時代は、「浮世風呂」を例に、発音の多様性と変化のようす、人称や敬語の使われかたや成り立ち、女房詞(おでん、しゃもじなど)、遊里詞(ありんす、なんすなど)について書いている。つまり、文化の担い手が貴族から武士を経て(江戸の)町人に変わってきたということらしい。 明治時代以降は、言文一致の流れを中心に、ローマ字のこ

  • たんご屋本舗 碁将棋の日本語

    碁は「打つ」、将棋は「指す」。子どものころから何十年も将棋趣味としているたんご屋にとってはまったく当たり前のことで間違えようがない。しかし、碁将棋に興味のないひとは間違えやすいことのようで、アナウンサでも間違えて「将棋を打つ」といったりするのを聞くことがある。 もう 1 つ、碁と将棋で似ていて違う言葉に「定石」と「定跡」がある。どちらも「じょうせき」と読むが、前者は碁、後者は将棋の用語だ。 日では「棋」という漢字が碁と将棋の両方を意味する。「棋界」といえば囲碁界と将棋界のことだし「棋士」といえば碁打ちと将棋指しのことだ。 香港で中国象棋のを買ったことがある。中国語は読めないが図面を見て定跡を勉強しようとしたのである。繁体字では「其」という字の下に「木」をくっつけた文字(「棋」の部首を縦に並べた文字)が将棋(象棋)の意味で使われているようだ。つまり、「碁」の「石」の部分が「木」になると

  • たんご屋本舗 交ぜ書き

    「完璧」はなぜ「完ぺき」と書くのか―これでいいのか?交ぜ書き語 ISBN:4469221791 田部井文雄 大修館書店 2006/02 ¥945 「交ぜ書き」というのは、このの標題にあるような「完璧」を「完ぺき」とするような書きかたのことだ。パソコンを使っているとほとんどの漢字は読みを入力するだけで書くことができるので、なぜ「完璧」を「完ぺき」と書くことがあるのか当にわからなくなる。まあ、理由はかんたんで「璧(ぺき)」という漢字が常用漢字表に入っていないからだ。このの著者は「交ぜ書き」に強く反対する立場でこのを書いている。そこまでこだわらなくてもと思うが、たしかに交ぜ書きに生理的な嫌悪感があるというひとは多いと思う。 交ぜ書きではなくて書き換えで対応された熟語もある。たとえば「洗滌(せんでき/せんじょう)」は「滌」の字が表外漢字なので「洗浄」と書かれるようになった。「障碍」も「碍」

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