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ブックマーク / midoka1.hatenadiary.org (22)

  • 音幻〈ず・づ〉〈 じ・ぢ 〉 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    引き続き藤村由香氏の『記紀万葉の謎』。方法論的にはいきなり万葉集・古事記ということなので異論はあるが、個々の事例は参考になるものが多い。P28から引用しておく。 「高知生まれの友人の話を聞いて驚いた。彼女は「じ」と「ぢ」を特別意識もせずに区別して発音しているという。「”おじいちゃん”はやっぱり、”おぢいちゃん”でなければダメなのよ」というのである。ひょっとして昔の人には「じ」と「ぢ」は明らかに違う音だったのかもしれないと思ってるのである」 だが、その次に「関係」も「くわんけい」と発声するようにと、子や孫に規範としての教育が行われていたという記述が出てきて、表題の「旧かなの音が聞こえる」という一般論の中に埋没してしまっていたのは残念。 この問題について家人からはっきり聞いたのは知り合って40年以上たってのことだった。そういうことが話題にならなかったし、生粋の土佐っ子は自認していても両親とも高

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  • 母語か母国語か;その3ー「国民総生産」と「国内総生産」と - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    先日NHKのニュースで「国民総生産」と「国内総生産」の用語を取り違えていたというお詫びがあって、「ああ、違うのだ」と知って、少し調べてみた。 国民総生産 GNP:Gross National Product (2000年からはGNIへ) 国内総生産 GDP:Gross Domestic Product 国民総所得 GNI: Gross National Income これで、前回 "united kingdom" はあっても "united country"がないと書いた意味が、自分でもやっとわかってきた。そもそも学校英語では "domestic" を家事とか家庭的と第一義ですり込むからわからなくなるので、第一義は「内外」なのだ。だとすれば「国語」の訳は以下でなければならない。 国語→内国語文→domestic language 外語→外国語文→foreign language そして前回

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  • 母語か母国語か(その2);音韻イメージ〈NATION・NATIVE・NARRATE - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    『脳の科学史』という新書があって、著者は日立製作所フェロー・元日分析化学会会長。2001年から2009年まで現・科学技術振興機構で「脳科学と教育」「脳科学と社会」の主査を務めた人物。 ここでは、母語母国語問題について以下のように書いてある。 「余談ですが、なぜ母語と言い、母国語とは言わないのか?母国語は国の概念が入るから良くないという人がいるのです。だから母語とすべきだという人が多いので、気をつけています。母国語ではなく母語です。  P147」 もちろん、ここの文脈では赤ちゃんの言語習得に関する科学的知見を扱っているから、「母語 mother tongue」で正解。だが、国家が行う公教育である学校教育を通して獲得された言語はもはや母語とはいえない。母国の国語、すなわち「母国語 native language」でしょう。 問題はここに来て、日学術会議や日のトップ企業で高い評価を得ている

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  • 母語か母国語か;その1ー悪いのは「依存症」だ - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    田中克彦という言語学の理論家が『漢字が日語をほろぼす』というを最近上梓した。新書がでれば必ずチェックするファンであるが、最後の「脱漢入亜」という主張はかなり難しい、と思った。それに書の出だしの「日語は母国語ではなく母語である」という主張も一筋縄ではほどけない。なんせ、私が尊敬する文学理論家の篠沢秀夫氏の年来の主張が「母国語へ」なのだ。 これでは両氏ともが危機感を抱いている日語・国語の改革がまたまた先ののばしになってしまうのは明らかである。 仕方がないので両氏の主張を〈位相・相位〉の問題として解いてみよう。文学と言語学では位相が異なっていることに異議を唱ええる人はいないと思う。 前提には漢字も言語も原子力も強烈な技術だという認識がまずある。日共産党が今頃になって原子力は未完の技術だから反対だとか言い出したらしいが、すべての優れた技術は未完である。完成を見るときは無用になったときだ

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  • 〈二字漢字語〉という呪縛 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    理科教育のことを勉強しているときに、先日書いた、〈重さ・重たさ〉のような対語をつかえば、難なく日常語で意味が通る文章を書けるのに、どうしてそういう工夫を専門家はしないのかと不思議に思ったことがある。以下。 〈重力量weight・重さ量mass〉と〈重さ量weight・質料量mass〉 いろいろ考えていくと哲学用語の〈質料〉と〈質料量〉が対語であった可能性が濃厚なのに、〈質量〉が〈質料量〉から〈料〉を省略して〈重量・質量〉が対概念であることを明確にしたという説明は理科教育関係者からは1度も聞かれなかった。 ■二字の国名      その後、日史を勉強してきて6,7世紀に、国名は二字と定められたことを知った。それで〈和泉・いずみ〉が〈泉州〉の美称であったことが了解された。さらに〈越前〉〈越中〉〈越後〉が律令以前には〈越州〉であったのが一度〈高志・こし〉という美称を獲得して後に、国の三分割と共に

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  • 音韻 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    4月17日の朝日と読売の朝刊に宮崎県知事の別々の著書の広告が載っていた。この事実もスゴイ(決して肯定的意味ではない)が、明治期の日が生み出した大発明の一つである<ルビ>の問題としてみると興味深い。朝日新聞には、KKベストセラーズの広告が<たてがき><ルビなし>で、読売新聞には、集英社の広告が<よこがき><英文字ルビ>で、掲載されている。 私がここで注意深く<ルビ>という語を選んで、公用書類などでよく見かける<フリガナ>や<ふりがな>の語を避けたのには理由がある。後者には<正かな>という前提が濃厚につきまとっているからだ。ここでは単なる技術的な工夫の問題を考えたいので<ルビ>という技術由来の語を使う。 かの宮崎県知事選の結果を目からは<東国原>と知り、耳からは<ひがしこくはる>と聞いたときの新鮮な驚きは今でも覚えている。そしてこういうことは史上初めてのことなのか、それともテレビ時代がもたら

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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/04/17
    正かな?
  • 音幻〈KIOSK〉 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    新聞で知ったのだけど、旧国鉄の駅の売店の名称を「キヨスク」から「キオスク」に正式に変更する動きがあるらしい。当初、「KIOSK」を「キヨスク」と読ませた理由については、当事者である旧鉄道弘済会が〈清く〉〈気安く〉のイメージを付加するためだったと説明していたらしい。 逆に言えば当時でも語中の母音連続は日人一般にはなじみがないという通念があったと考えることもできる。「三月」を意味する「ヤヨイ」も、宣長すら月の名前の中ではもっとも尊重に値すると言っているらしいから、語中母音連続をさける場合に〈j〉を挿入するというのは理にかなった一般的な方法だった可能性が出てくる。 とすれば成り行きに任せておけばいくつかの「わたり音」が挿入されて流布してしまう可能性があったともいえる。その可能音韻を推理していって、以下のようなものが脳裏に浮かんだ。 KIwOSK→キオスクor クオスク(イ脱落) KIrOSK→

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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/04/06
    「当時でも語中の母音連続は日本人一般にはなじみがないという通念があったと考えることもできる」
  • 2007-03-31

    2006年春から、あるオープン・カレッジで認知言語学の講座を聴講した時のレポートが上記の10枚ほどの作品である。内容は前半が先日書いた「構文論と統語論」を補完することになる「直示法」とか「直示文法」への試論で、後半は直示辞<こ・そ>への考察になっている。前半と後半は相互に補完しあう構成になっているので読みにくいとは思う。だが、どうも私の思考回路はそのようにしか進んでいかないのである。 http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/gengo06.pdf 題名の根拠は、すでにこのブログでも書いているが、世上の「日語祖語論」への過度の関心に対する疑問から来ている。無文字社会がわれわれのルーツである以上、その姿を復元したいというのは素直な願望ではあるが、それが可能になるためには段階を踏む必要があるのである。つまり、正しい方法に基づかなければならないということ

    2007-03-31
  • 〈subject〉 と 「てにをは」 と 〈もんく〉 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    『近代日語の思想』の27ページで柳父章は三上の説を支持しながら以下のように書く。「それは、近代以後の日は、西洋の文法理論をモデルとして受け入れた、というだけでなく近代の日語じたいを、西洋文をモデルとして作り変えて来た、という事実である。とりわけ書き言葉の日語は、ほとんど全面的につくりかえられた。つまり西洋語の翻訳を通じて、日語じたいを新しく作ってきた、ということである。」 その後でさまざまな明治期以降の文体を翻訳体中心に考察している。だが、翻訳文のわかりにくさは文体からだけくるものだろうか。というより文法の構文の読み取り行為への寄与というものはそれほど重大なのだろうか。日常の言語生活においては語彙構造のほうがはるかに大きな問題なのではないだろうか。 例えば日語能力試験は英米系の人々にとっては漢字というハードルがあるので、きわめて難しいということになっている。だが、中国系の人々に

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  • 構文論と統語論 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    amazonへ行ってガチャガチャやっていたらキーワードとして以下の文字列が出てきた。 キーワード:文法論:形態論,構文論[統語論] びっくりしたし、今まで日語文法のを読むたびにわからなくなった原因がやっと得心できた。なんと、構文論と統語論は同じだというのである。だが英語では明らかに用語が違っている。 grammar (粒々にするコト);文法 sentence;量刑文⇔verdict;真偽文 phrase;語句 or 文句・文言 sentence structure構文;subject主部、predicate述部 syntax統語;subject体言、verb用言 つまり、日人が日常使用する〈文句〉は〈なにが、どうした〉というverdict文の基礎なのだから統語論で論じるべきで、構文論が分析するのは量刑文に代表されるsentenceだということである。当然構文はすべて、機能としてはco

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  • スペインとイスパニア - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    コロンブスがアメリカ大陸に行ったときの支援者がイスパニアの女王であることは知っていたし、それが現在のスペインであることも知っている。だが、なぜ表記が違うのかまでは気にしたことはなかった。 ところが今年になって中南米からきたばかりの中学生に日語を教えてみて、こういう差って結構大事だと気がついた。というのは「つくえ」とリピートしてもらうと「eつくえ」と軽い母音が入ってしまう。まだ規則を見つけるところまでいっていないが、ある種の子音についてみられる。 という経験を反芻していると、夜のテレビ番組から「eリスボン」という音が聞こえてきた。大イスパニア時代に起きた大地震でポルトガルの首都リスボンが壊滅して、ヨーロッパにペスト同様のショックを与えた事件についての番組だった。語り手はイギリスのドクトルの肩書きをもった男性だったが、学校でならった英語とは別種の訛りの強い英語だった。 自分にある種の経験がな

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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/02/11
    語頭母音と語頭子音の対立
  • 音幻;魚の名 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    新江ノ島水族館に出かけてきた。新装なったときは、ものすごい人出だったので、ちょっと近寄る気がしなかったのだが、この寒空に出かける物好きは少ないだろうと期待していった。ほどほどの人で楽しめた。 ここの売り物はクジラとイルカのショーだ。ところが早速〈ゴンドウクジラ〉がどうしても〈バンドウクジラ〉に聞こえてしまう。困ったものだ。 ところが帰りの電車でふと京都では〈the おさかな〉の〈鯛〉を〈ぐじ〉と呼んでいることを思い出した。〈ぐじ・くじら〉は偶然だろうか? さらに家にかえると、折込チラシの中に土佐料理の広告があって、名物〈くえ鍋〉と出ているではないか。写真をみるとこちらでいう〈あんこう鍋〉に似ている。〈くえ・ぐじ・くじら〉は偶然だろうか? それとも〈卑語・尊称・誇大語〉の対応を考えても良いのだろうか? というわけで土佐出身の家人に〈くえ〉について尋ねると、少し前に娘が買ってきた「美味しんぼ;

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  • microsoft社の日本語変換ー卑語の問題 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    <そこチから><そこヂから>、どちらでも〈底力〉に変換することができる。だが〈そこジから〉を変換するとおかしなことになる。このことでもわかるように私などこのソフトを使うことで日語の orthography を勉強してるようなところがあるのである。一番頻繁に訂正されるのが、私の場合〈ている〉で、〈てる〉と発音どおり入力すると自動的に〈ている〉と変換されてしまう。上の部分が〈てる〉のままなのは、これを Excel で書いているからで、Word の場合はきっちり訂正される。だから話すように書きたいときは、ちょっと困る場合もある。 ところが〈地面〉の方は〈ぢめん〉と入力すると駄目なのである。それが文部省の現在の定めだからだ。だが、この〈ぢ・じ〉判別の理論的根拠を私は見たことがない。日の行政のいいところでもあり、悪いところでもあるのだが〈拠らしむべし、知らしむべからず〉が王道のようである。だが隠

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  • 「漢字かな混じり文」の次へ - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    つい100年ちょっと前までは、知識人の「漢文」と、庶民の「話すように書く文」という二つの言語に分裂していた日語のことを考えると、よくここまで来たものだと先人の努力に敬服する。それくらい漢字かな混じり文、それにルビという啓蒙道具を発明した日語はすごいと思っている。 でもその恩恵に浴してる我々は、それを改善していく義務も負っているはずなのである。敗戦後に行われた大きな改革が「カタカナから平仮名へ」であり、「公文書への横書きの導入」だったのだと思う。とりわけ「横書きの導入」のもっている先見性は忘れてはならない。そうでなければビジネス文書など、とうてい現在のような国際化に対応できていないと思う。第一このブログだってここまで普及していたかどうかも考えておく必要がある。 それでは横書きの定着を待って次に行われるべき戦略課題はなかったのだろうか。あとは小学校から英語を教えれば英語ぺらぺらの日人が育

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  • 公式言語 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    『露伴随筆集ー言語篇』を読み始めたら、頭がエッセー・モードに切り替わらないが、ちょっと気分転換に。 正しい日語を体現しているかのような大新聞が「縦書き」を支えている。しかしその言論の内実が果たして日の国民に対して指導性を発揮しているのか大いに疑問が持たれる今日この頃である。そして日の口語規範を支えている組織であるNHKも体制がゆれている。 だが日の公式言語は相変わらず第一に口語である。その証は新年の宮中で行われる「歌会始」をあげれば十分であろう。当然天皇の「お言葉」とは口から出たものであって、筆先から出てきたものではない。天皇とは口語の体現者なのである。だからこそ公務とは身体を現場に運ぶこととなる。確かに和歌は「縦書き」である。だが和歌とは口唱詩なのだから、そのメモに過ぎない文字は縦でも横でもかまわないのである。どちらでも良ければ習慣に従うのが良識というものであろう。 だが、それで

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  • 「JISの字種の拡大」と『阿刈葭』 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    友人からのメールで知ったのだけど、JIS変換で英字の小文字エルを入れてから、かなを英文字入力すると「つ」「やゆよ」以外でも、小さいかなやカナを入力できるようになっているそうだ。まだ全部のかなが変換できるわけでなく私が確認できたのは「ぁぃぅぇぉ」「ァィゥェォ「ゎヮ」「ヵヶ」。 それが小学生の女子の間で大流行で、それを見た大人が困惑しているというのが記事の趣旨のようだが、JISが小学生の女の子のためにこういう字体を用意するはずがないから、別のきちんとした理由があるはずだ。ここで、自分の情報が遅れているのを告白するようなものだが、鼻濁音「が、ぎ、ぐ、げ、ご」も半濁点に変えた字体がJISに組み込まれていることを、つい最近知ったばかりだということを思い出した。 とすれば一つの仮説として、JISは「話すように書ける日語」を目指しているということが考えられる。それは最近やたら旧字体漢字が目に付くように

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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/10/17
    「結局、私たちは、〈正〉を〈同一〉と誤解しているのだとおもう」「〈正〉の反対は、〈自然〉なのだと考えておくことも大事だ」
  • 「通鼻音・ん」と「音便の訛音」 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    ここまでくると古田武彦 high というよりは「その余韻」に近くなってくるが、幸田露伴の『音幻論』の存在を知り、ついでに『「の」の音幻論』という1948年生の人のを手に取ることとなった。その中の通鼻音,すんわち「ん」の歴史がとても参考になった。 通鼻音・ん ;両唇閉鎖または舌と歯茎か懸ヨウ垂とによる閉鎖によって、呼気を鼻腔へ流出させることによって生じる。 ■「ん」と「む」の戦い;上田秋成と居宣長の論争書『阿刈葭(カガイカ)』 小林秀雄が論じた「日の神」の部分は後段の部分で、前段に「ンとム」についての激しい論戦が行われている、という。その冒頭二句を引用するが、私の昨年来の広辞苑にでてくる「音便」に対する疑問が氷解した。 秋成 ;音インを主とする西の国(中国)にすら「ん」と呼ぶ一定の字がないなのは、それが音ではなくインだからだが、日にあるのは上の言葉との連声によって「ん」の音が自然に生ま

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  • 『古事記・上巻』の構造 (その初) - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    古田武彦highの続き。。 「古事記」を考えるんだったら、最初の三柱の一人神たち、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神について押さえるべきだと思う。それも当て字の漢字ではなく音韻の意味を捉えことが必要になる。 「アマ・タカ」の「あまねき実在・イノチの伸張方向」というイメージは「度量衡概念の推移」を考えている時に見出したものだが、それでは「カムムスビ」の「カム」は何を意味するのだろう。素直に読めば「噛む」。これを「あまねき実在」レベルの語彙に変換するのは難しかった。でもわかれば簡単。「発酵」である。歴史書を読んでいると墳墓や大規模集落の痕跡探しに圧倒されてしまうが、こういう技術が意味を持つ前提として品保蔵の技術が確立していなければならないことを見失いがちなのである。 では品保蔵からもたらされる「アマ・タカ」と決定的に異なる世界認識ははなんだろうか。それは「人為」の発見である。人が手を加

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  • 逆接による造語 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    まだまだ続く古田武彦high。 「度量衡概念の推移」の問題を考えている時に、少なくとも古事記の段階では造語法に2つの系統がある事がわかった。「ア段とオ段の対比」と「逆接法」である。とりわけ逆接法は漢字の造語法に受け継がれて行った。漢字例の代表が「物事・事物」「筋道・道筋」「論理・理論」。いずれも歴史上も現代も日思想と日語生活の重要な基礎語である。 古い語の代表が「あま・まnあ」「たか・かた」。古事記の世界を理解するにはなくてはならない基礎語である。〈まnあ〉と、間に子音を入れたのは奈良時代までの日語では母音は語中にこれないので、何か子音を入れるしかないので、諸般の状況から〈n〉が最適だと判断した。それぞれは「触れえない・触れえる」に対応すると考えたのだが、その後陰陽五行を勉強してみると〈用・体〉と区分したほうが現代日語として自然な命名になる。 このような考えで「コノハナサクヤヒメ」

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  • 「ぬばたまの」と「くさり」 - 思い出しておこう−イメージと言語と身体と歴史と

    ひき続き、古田武彦high。ナウマンの『山ノ神』以来、久々のtrans。これが細部を共有するということなのだろう。脳の中に個別にしまってあったものがつながってくる。crysatalization。こういう状態になると、とにかく疲れる。脳が疲れる。体に脳がついているのではなく、脳のために体が動員されている状態になる。板チョコをぺろりとべきってしまう。書いては寝る。寝ては結果を書きとめる。疲れる。この繰り返し。いつ終わるかはわからない。もちろん現実生活が騒がしくなれば即中断。(これが出来ないとたぶん病院行きになっていたのだと思う。) さて、「ぬばたまの」は学校で夜とか黒の枕詞として習ったが、ぜんぜんピンとこなかった。広辞苑にはヒオウギの黒くて丸い種子とかあって、もっとわからなくなるのだけど、黒曜石と聞いてなんか腑に落ちたのだ。ムカーシ、黒曜石が美しくて、高価で、力の象徴だった時代があるのなら

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