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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (28)

  • 「おばさんになれば“なるほど”」、第七回がアップされています。 - ohnosakiko’s blog

    サイゾーウーマンに連載中のエッセイ、今回のテーマは「和な人」です。 「きもの」は、おばさんのなけなしのナルシシズムを慰める――「和」にハマる中年女性 一昔前まで、きもので出歩いている人と言えば、お茶や日舞のお稽古の人か、歌舞伎のお客か、小料理屋の女将か、お仕事に向かうホステスさんなど、それぞれTPOの定まっている人ばかりでしたが、「和」流行りの昨今、ちょっとしたおでかけ着としてカジュアルな感じできものを着ている人をたまに見かけます。 若い人へのPRに一役買ったと思われる雑誌が、『七緒』(プレジデント社)。最近着始めた私も、気になるバックナンバーを集めています。『美しいキモノ』(ハースト婦人画報社)は、美容院での目の保養用です。 きものを着るようになると、なぜか自然ときもの関係の話題を耳にするもので、「実は私も中年になって着始めた」「母のお下がりからスタートした」といった話をあちらこちらで聞

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  • 楽しいキモノ地獄 - ohnosakiko’s blog

    この一ヶ月余り、私のはてなブックマークの数はぐっと減っていた。以前はほとんど毎日していたのが数日に一回、それも少しだけ。ネットをやっていないのかというと、やっていた。毎日毎日3時間以上、キモノ中古市場に釘付けになっていた。 とうとう‥‥というか、ついに‥‥‥というか、キモノに嵌ってしまいました。 きっかけは、昨年義母が亡くなり、十数枚のキモノを譲り受けたことから始まる。 形見分け 彷徨う着物 (ちなみに上の記事では「着物」と記したが、この表記はあまり好きではない。昔はただ「着る物」の総称だったわけだが、今は洋服に対する和服という位置づけなので、「着物」はちょっと感覚がずれる。ここでは、まだ着慣れていないということでカタカナ表記で書く。たぶんそのうち「きもの」と書くようになると思う) ズブのキモノ初心者で自分で着付けさえできなかった私に、数ヶ月前、美容師の友人から「うちで、3回完結のミニ着付

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  • きもののボンデージ性とは - ohnosakiko’s blog

    週一平均できものを着始めて2年と9ヶ月。きものの持つ拘束感にはまっている大野です、こんばんは。 ボンデージ(拘束)のコスチュームはいろいろありますが、全身を締め付ける特殊なものを除くと、基的に洋装下着が原型になっていますよね。ブラジャー、コルセット、ボディスーツ、ガードルは、乳房と臀部を丸く持ち上げ、主にウエストを締めつけて、女っぽくセクシーなボディラインになるよう身体を成形するアイテム。 もっとも強く締めつけられるのは、今も昔もウエスト近辺でしょう。私も昔、ウエストマークのスカートのホックが掛からなくなって、泣く泣くウエストニッパーで締めつけたことが。あと、寄せて上げる系のブラも、胃のあたりが結構きついですね。年齢的に、もうそういうのはしないけど。 きものの場合、洋装のように身体を誇示する思想がありません。基的かつ古典的な洋装女服は、下着で成形された身体ラインを活かすように立体裁断、

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  • 連載エッセイ「絵を描く人々」更新されました。今回は「ヘタウマ」。 - ohnosakiko’s blog

    絵を描く人々 第8回 ヘタウマの功罪 - WEBスナイパー 「ヘタウマイラストは、サブカル周辺から出てきた。むしろサブカル=ヘタウマくらいの勢いだった。」(文より) ということで、振り返る70年代末〜80年代。美術を志してウマウマを目指す路線に乗ってしまっていたけど典型的なサブカル女子(!)でもあった自分には、いろいろムズムズするものがありました。 ヘタウマって、下手じゃないんですよね。もともと上手いんです。上手い人が下手っぽく描くというのは、それはもう、そこに抜きん出た個性があるから、それが面白いからです。面白くもなんともないヘタウマは、ただのヘタヘタです。 それにしてもあの勢いは何だったんだろう、ヘタウマといいサブカルといい。 時は移ってサブカル全盛時代が終わり、というかサブカルがメインカルチャーになり、そこではヘタウマよりはウマウマが流行ってみえる昨今。『君の名は。』も『この世界の

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  • 『美しき町』の美しき諦観 - ohnosakiko’s blog

    恋愛結婚とお見合い結婚 天才マンガ家高野文子の作品集『棒がいっぽん』には、『美しき町』という短編が収録されている。 棒がいっぽん (MAG COMICS) 作者:高野 文子マガジンハウスAmazon 時代はおそらく、昭和三十年代の終わりか四十年代の始め頃。工場労働者が多く住む町のアパートで、つましい生活をスタートさせた新婚夫婦の日常が描かれている。 特別ドラマチックな出来事が起こるわけではない。ベタベタした新婚の風景も、微笑ましくバカバカしい喧嘩もない。この若い夫婦の間にはいつも、まるで三十年連れ添った夫婦のような、控えめで淡々とした情感が漂っている。 彼らは、お見合いで結婚している夫婦だ。 サナエさんは、お見合いの一回目で、「いい人だと思うわ」と結婚を承諾する。相手のノブオさんは、特別な魅力があるとかお金持ちとかすごい男前というわけではなく、普通に真面目な工場労働者。 サナエさんが結婚

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  • 「盗作さん」と言われた話 - ohnosakiko’s blog

    (※この記事は五輪エンブレム問題における佐野氏の責任に言及するものではありません) ohnosakiko デザイン, 社会 佐野氏の人柄とかこれまでの仕事などにあまり関心はないが、今回この件で「クリエイト」ということにたくさんの人が強い期待を抱いていてオリジナリティ神話が生き続けているのを目の当たりにした気分 http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150902#bookmark-263706487 ohnosakiko デザイン, ネット >インターネットの質である「共有」というシステムを、自らの個人的な名誉と利益のために利用したというところ/デザイナーはエディター(出自を明らかにしたありものを編集する)に近いという認識が必要かも。 http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150902#bookmark-264651028 五

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  • 「童貞を殺す服」雑感 - ohnosakiko’s blog

    この数年、仕事先の地方の芸術大学でよく見かけるファッション。美術学部でも音楽学部でも見られる。 (微妙にデッサン狂ってる。左の人が多い印象) パステルカラーでパフスリーブのシフォンみたいなブラウス、薄くてヒラヒラしたミニスカート、長めフレアスカート、レースのソックス‥‥。少し前のロリータやメイド服の流れから?というかアイドルやアニメの影響?‥‥と思っていたが、こういうのが「童貞を殺す服」なのか? 「童貞を殺す服」のブランドを集めてみた - あめ姫は友達が少ない 大学内では、上の記事に掲載されているのほどコスプレ感のある人はほとんどいないが、そういう雰囲気をうすーく漂わせた甘いレトロな感じのファッションの女子はかなり多い。三人に一人くらいはいそう。 大学生の姪は、MILKが好きだと言っていた。彼女の場合、パンキッシュなスタイルから回り回ってガーリーに来たという感じ。 去年久しぶりに会った時、

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  • きものを「貴族の文化」にしたのは何か - ohnosakiko’s blog

    英国人の日文化論が「正しすぎる」「ぐぅの音も出ない」と話題に - with news(ウィズニュース) タイトルがちょっと煽り過ぎというか大袈裟に感じるが、小西美術工藝社のデービッド・アトキンソン社長という日文化に詳しいイギリス人が、きものの価格の高さについて苦言を呈している内容。以下は最後のところ。 そもそも伝統が伝統になる前は、ちゃんとビジネスになっていたはずなんです。消費者の意向を探り、自ら変わり続けた。だから伝統になれた。着物が存続するためには、真っ当なビジネスにするしかありません。もっと価格を下げて、手に取りやすい着物を増やす取り組みが、最低限必要だと思います。 最近またちょっとしたきもの流行りで、若い人向けの雑誌も出て、気軽にきものを楽しめるよう様々な提案がされていたり、手にしやすい価格帯のきものが売られていたりするが、街を歩いていて頻繁にきもの姿を見るところまでは行ってい

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  • 「お世話になっております」の世界 - ohnosakiko’s blog

    仕事のメールの冒頭に必ず「お世話になっております」とつけるのは、何故なんだろう。 世事に疎い私だが、最初にそのメールをもらったのは、非常勤で行っている私立学校の教務からの事務連絡だった。こちらはその学校に講師として雇われている、つまり「どちらかというと、こちらがお世話になっている」という感覚があったので、少し戸惑った。 たとえば生徒の親が講師に「お世話になっております」と言うことはあっても、学校側が講師にそれを言うのは変じゃないか? 私は労働力を提供して報酬を貰っているのであって、別に学校を「お世話」したことはないわけだし。 そう思っていたところ、別の勤務先の常勤講師の人から電話があった。その人も冒頭で「いつもお世話になっております。◯◯校の△△です」と言った。私は急いで「こちらこそお世話になっております」と返した。 常勤講師は組織に属する人だから、この場合は学校を代表して喋っているのだろ

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  • 「公募展」をめぐって - ohnosakiko’s blog

    茂木健一郎による「国立新美術館」と「公募展」批判 - Togetter 公募展をめぐるツイートあれこれ - Togetter 会田誠とパルコキノシタの公募団体に対するやりとり - Togetter 脳科学者の茂木健一郎氏が国立新美術館で開催されていた『アメリカン・ポップアート展』に感動しつつ、その会場の隣で開催されていた公募団体展*1 を「ポリシーなし、キュレーションなし、単なる愛好者の団体」「「国立新美術館」でやる「公募展」が「アレ」なんてことは、まともなアート関係者はみなわかっているのに、誰もそれを言わない」「現代のアートにつながる文脈や批評性は、ないから」「あるのは年功序列と新陳代謝のない停滞」とコキおろしていたのに対し、Twitterでさまざまな反応が出ていた。 面白かったので、「公募展」で検索して出てきたtweetの中から、個人的に目に止まったものをピックアップし、勝手な補足や自

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  • ヤンキー、ニューエイジ、ラッセン(そしてアート‥‥) - ohnosakiko’s blog

    8/29下北沢B&Bでのトークイベントにお越し下さった皆様、どうもありがとうございました。 満員のお客さん&著名な論者とのトークという緊張で、自分の喋りが時間に追われた時の講義のように早口(そしてところどころ日語崩壊?)になっていた点を含め個人的にはいろいろ反省点もありますが、概ね楽しんで頂けたようで良かったです。 Togetterに実況が上がっています。発言の骨格はだいたい拾って下さっている印象。多謝>misonikomiodenさん 『ラッセンとは何だったのか?』  出版記念  いま、ここからのラッセン 実況ツイート もちろんこれだけだとわかりにくいところもありますので、主にラッセンとヤンキー問題について、解説と個人的な感想がてら書いておきたいと思います。長いです。 ラッセン・ヤンキー論 話は5年前に遡る。2008年のブログ記事『ラッセンとは何の恥部だったのか』は、『アーティスト症候

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  • 菜穂子の油絵と1920〜30年代の美術 - ジブリ『風立ちぬ』より - ohnosakiko’s blog

    前記事のコメント欄のやりとりから。 >私は美術大学なので、友人もみな菜穂子の絵にばっちり注目して「めっちゃフォービズムだった」などと話しているものですから 私も、ちょっとだけ映った菜穂子の絵、かなりアヴァンギャルドで気になりました。ブラマンクみたいな荒々しい筆遣いでしたね。もう一回観て確認したいです。 http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20130730/p1#c1375373636 確認を兼ねて二度目の鑑賞をしてきた。菜穂子の油絵が登場する箇所は、全部で3回あった。 1. 1933(昭和8)年、軽井沢に赴いた堀越二郎が、成長した菜穂子と再会する時。 菜穂子は戸外にイーゼルを立てて油絵を描いている。ちなみにこの場面を切り取った映画ポスターについて、モネが自分のを描いた『日傘をさす女』を下敷きにしているのではないかということは、既にあちこちで指摘されている。

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  • 「うちらの世界」と文化の溝 - ohnosakiko’s blog

    ネットでバカを晒す若者の話から始まって、先週は「低学歴/高学歴」話が盛り上がっていた。バカを晒す行為を学歴の高低で語るのはどうか、そういうことは学歴の高い層の中にもあるという話もあった。つまり「うちらの世界」的なものは学歴を問わずあると。 たしかに学歴の高低と「バカ」を関連づけても、あまり面白い話にはならない。にも関わらず多くの人が学歴話で盛り上がったのは、学歴の違いによる(と思われる)文化の違いがどこかにあるからだろう。その違いや溝が具体的に見え、それについて言葉を紡ぐことができるのは、比較的学歴の高い人が多いということなのだろう。 文化間の溝は昔は貴族文化、武家文化、町人文化というように階級の違いで説明できた。そして階級がなくなりそれぞれの文化がある程度混ざり合ってきた以降の時代も、厳然としてハイブロウ、ロウブロウといった文化の溝は残った。それは都市と地方の違い、もっと言えば都会者と田

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  • 子どもの「美術離れ」と大人の「信仰」 - ohnosakiko’s blog

    くらしナビ・学ぶ:美術離れ、い止めたい 武蔵野美大、公立小中の出張授業 - 毎日jp(毎日新聞)より 子供の「美術離れ」が懸念(けねん)されている。学力低下が指摘される中、昨年度から完全実施された中学の学習指導要領で、美術や音楽の選択教科が廃止され授業時数が減ったためだ。とはいえ、保護者も芸術よりも学習を重視する傾向にある。国内有数の美術大「武蔵野美術大」(武蔵美、東京都小平市)は「美術だからこそできる教育がある」と、学生や卒業生の出張授業に力を入れている。 多摩美もだいぶ前から、こういう出張授業の取り組みをしていたと思う。学校側も、「外注」した方が子どもを刺激できると考えているのかもしれない。 しかし少なくとも中学校においては、受験科目にない美術・音楽にいずれしわ寄せが来ることは、「ゆとり教育」が終わった時目に見えていたのではないかと思う。生徒にとって美術はほとんど息抜き、”癒しの時間

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  • ニッポンの夏、ラッセンの夏 - ohnosakiko’s blog

    タイトルはニッポンとラッセンで韻を踏んでみました(言わなくてもわかる)。 ラッセン論集『ラッセンとは何だったのか? - 消費とアートを越えた「先」』がいくつかのニュースサイトで取り上げられて急に話題になり出したと思っていたら、このタイミングでラッセン氏が今夏も来日して展覧会をやっているそうで、「ラッセン」でtwitter検索するとそれらのtweetが相俟ってなかなか”壮観”な眺めになっている。 多いのは「ラッセン展覧会行きたい」*1「ラッセン見にいかねば」「ラッセンいいよね大好き♡」といったファンの人々のtweetで、特に驚いたのがこれ。 @tocki06 行きたい( ゚Д゚ )美術の教科書ラッセンのとこばっか見てた♡会える?!Σ( ̄[] ̄;)!— れーか (@1122_rere) July 11, 2013 ラッセンが「美術の教科書」に?! マジですか!! ってラッセンほど有名なら日

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  • 丸くなるということ - ohnosakiko’s blog

    1年くらい前の話。デザイン専門学校が終わって帰る道すがら、授業で組んでいる若い講師の人に「しかし大野さん、丸くなりましたよね」と言われたことがあった。 「この間Mさんも、大野さん昔に比べてほんと丸くなったよねって言ってましたよ。私、一緒に授業で組んで3年だと思うんですけど、最初の頃に比べてもそういう気がします」。 確かに体型は前に比べるとちょっと丸くなりましたが‥‥って体型の話ではありません。「学生に対する指導態度」のことを言われているのだ。 ベテランのデッサンモデルのMさんは美大予備校で働いていた時から知っているので、たぶん私の実技指導を一番長く見ている人だ。わりと言いたいことをポンポン言い、ダメなのはスパスパ切り捨てていた昔のイメージに比べると、オダヤカになったということなのだろう。それを「歳を取って角が取れた」と言うのは直接的過ぎるので、「丸くなった」と言ったのだろう。 美大予備校講

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  • 新刊のご案内 - 『アート・ヒステリー なんでもかんでもアートな国・ニッポン』 - ohnosakiko’s blog

    アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン 作者: 大野左紀子出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2012/09/26メディア: 単行購入: 39人 クリック: 508回この商品を含むブログ (15件) を見る ” その言葉が盛んに叫ばれ、常にプラスの価値が盛り込まれ、同調的空気が形成されている時こそ、そこで信じられているものを疑ってかかるべきです。アートという言葉にいつもくっついてくる「可能性」や「多様性」や「個性」や「自由」といった、既に手垢のついたイメージを信用しないで、それらの言葉によって隠されているものの方を見るべきです。” (「はじめに」より) 2008年の『アーティスト症候群 アートと職人、クリエイターと芸能人』(明治書院)はこれまでたくさんの方に読んで頂きましたが、去年その文庫版が出た河出書房新社から今週、『アート・ヒステリー なんでもかんでもア

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  • あらしが来るとは誰も思っていなかった ---- ドラ・ド・ヨング『あらしの前/あらしのあと』 - ohnosakiko’s blog

    『あらしの前/あらしのあと』(岩波少年少女文学全集、1961、吉野源三郎訳)を、久しぶりに再読した。 著者のドラ・ド・ヨングはオランダ人女性だが、「あらしの前」(原題:THE LEVEL LAND)は1950年にアメリカで出版されて好評を得、その7年後に「あらしのあと」(原題:RETURN TO THE LEVEL LAND)が出されている。 私の持っているのは、この二冊が一緒になっている50年前の古い単行。今は岩波少年文庫に別冊で収められている。日に紹介されている欧米の児童文学の中では、わりと地味な部類に入るこのを手に取ったのはもちろん、「不安の中でどう振る舞うのが正しいか」のヒントがどこかに書いてなかったかなと思ったからだ。 あらしの前 (岩波少年文庫) 作者:ドラ・ド ヨング発売日: 2008/03/14メディア: 単行あらしのあと (岩波少年文庫) 作者:ドラ・ド ヨング発

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  • これが男の生きる道 ? - 上野千鶴子vs澁谷知美、‥‥‥そして橋本治 - ohnosakiko’s blog

    新春爆笑トーク 上野千鶴子vs澁谷知美「男(の子)に生きる道はあるか?」(対談のウェブ中継) このイベントの告知、内容紹介はこちら 中継を見て、ブックマークコメントに、 「爆笑」できない/澁谷は男子のための癒し(ガス抜き)?という印象。上野先生、恋愛強者ぶりの強調(「切れたことがないです」)、「経験則」を連発。世代の違いは感じたがどちらにもモヤモヤ。 この対談を批判している笑おう、憤りと皮肉と拒絶とをこめて - FemTumYumのブコメには、 >「オトコは自分のペニス一しかしらないけれどもオンナは何も知っている」←上野発言。うへぇ。/両人の「男の子もラクになればいいのよ」的余裕のうちに見られる変な母親臭さは気になる。売文のためと言えども と書いた。 正直なところ、「東大の先生と生徒」の馴れ合いみたいな雰囲気にちょっと引き、上野千鶴子の(たぶんいつもの)マッチョな発言にドン引きし、

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  • コペル君と豊田正子 - 1930年代の教養主義と格差 - ohnosakiko’s blog

    『君たちはどう生きるか』のエリーティズム 最近、4年前に書かれた『グロテスクな教養』(高田理惠子、ちくま新書)の書評のブログ記事をたまたま見かけた。私がこのを読んだのもやはり4年ほど前だったが、第一章の「教養、あるいは「男の子、いかに生くべきか」」の中で、戦前の教養主義の一典型として、吉野源三郎著の『君たちはどう生きるか』が何度か言及されていたことを、この書評を読むまですっかり忘れていた。 君たちはどう生きるか (岩波文庫) 作者:吉野 源三郎岩波書店Amazon1937年(昭和12年)に刊行された、小説仕立ての少年向け教養書、啓発書である。主人公のコペル君(ニックネーム)が、日常の出来事や中学校生活のさまざまな体験を通して、世界と自己との関わりについて目を開き、成長していく様が描かれている。 著者の吉野源三郎は戦後、総合雑誌『世界』の初代編集長になり、反戦平和主義者としての活動もした所

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