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debateに関するfunaki_naotoのブックマーク (179)

  • 現代哲学の研究に哲学史は必要なのか(その2):何が誰にとって不要だとされているのか - 研究日誌

    前回の記事の続き。大雑把には「現代哲学の研究に哲学史は必要ない」という主張を擁護した論文 Hanno Sauer, "The End of History", Inqury. https://doi.org/10.1080/0020174X.2022.2124542 について、いくつかの補足をしておく。ちなみに哲学史と哲学の関係について私は自分なりの考えをもっており、Sauerの論文にも賛成できるところとできないところがある。しかし前回と同様に今回のエントリーでも、原則として私見を交えずにSauerの主張をはっきりさせることしかしていない。また、原則を破って私見を述べる際には、それとわかる書き方をしたつもりだ。 前回のエントリーと同じく、以下ではこの論文を2022年9月現在の'Latest articles'版のページ番号だけで参照する*1。これまた前回と同じく、以下に出てくる鉤括弧は、そ

    現代哲学の研究に哲学史は必要なのか(その2):何が誰にとって不要だとされているのか - 研究日誌
  • 現代哲学の研究に哲学史は必要なのか - 研究日誌

    大雑把に言えば、タイトルの問いに「必要ない」と答える論文が出た。 Hanno Sauer, "The End of History", Inqury. https://doi.org/10.1080/0020174X.2022.2124542 読んでみたら面白かったので、自分用のメモも兼ねて概略をまとめておいた。感想なども書きたいのだけど概要だけでだいぶ長くなったのでその辺はまたの機会にしたい。とはいえいくつかのことは注に書いておいた。 要注意事項 以下では同論文を2022年9月現在の'Latest articles'版のページ番号だけで参照する*1。 以下に出てくる鉤括弧は、そのあとにページ番号が付されている場合には同論文からの引用である(翻訳は植村による)。それ以外の鉤括弧は読みやすさのために植村がつけたものだ。 この要約は、箇所によっては原文をかなりパラフレーズするかたちで作られてい

    現代哲学の研究に哲学史は必要なのか - 研究日誌
  • 言語の研究者はことばの規範とどう付き合う(べき)か,についてちょっとだけ - 誰がログ

    はじめに 下記の話題に関して,「言語の研究者は(軽々しく/何があっても)ことば遣いに関する規範に口出しするのは良くない」という反応を見かけたので,関連して今の自分の考えを少し書いておこうと思いました。 togetter.com 解説や問題の整理という類のものではなく,実際の研究者がどう考えているかということの1例だと思ってください。とりあえず以下ジェンダーに関わる話はぜんぜんしていません。というか書いた後に思ったのですがとてもごちゃごちゃしているので,もっと良い議論ができる人の叩き台になれば僥倖です(叩けるほどの強度もないかも)。 言語学と規範 言語学の入門では,どれくらい詳しくやるかは差があるでしょうが,必ずと言っていいほど「言語学は規範的ではなく記述的である」というような話が出てきます。重要なポイントの1つなので,内容をかなり絞り込んで作った下記の「言語学入門入門」でも取り上げています

    言語の研究者はことばの規範とどう付き合う(べき)か,についてちょっとだけ - 誰がログ
  • 浅沼優子氏の小沢健二氏への批判について、ちょっとだけコメントします|モチダ ヨウヘイ

    初めての投稿となります。 私は、シンガポール華人(中国系移民)の社会史の研究を行っている歴史学者の持田といいます。専門は、イギリス植民地統治下のシンガポール・マレーシアにおいて「人種」・「ネイション」というフィクショナルな政治的カテゴリーが人為的に創出されていった過程、およびそれが中国土の政治的ナショナリズムと結びついていった過程などを、実証的に議論する、というようなものです。あまり頭はよくないのですが、何とか研究者を続けています。 数年前に大腸がんで死にかけまして、今も1年に1度ほど検査が欠かせない状態です。現在は慶應義塾大学などで華人史を講義しています。来年度くらいに専門書を出す予定なので、興味があればぜひ(宣伝です)。 さて、浅沼優子氏のnoteでのご投稿を見て、少し思うところがあったため、少しだけコメントさせていただきます。 最初に言っておきたいのですが、私は誰も不快な気持ちにさ

    浅沼優子氏の小沢健二氏への批判について、ちょっとだけコメントします|モチダ ヨウヘイ
  • 呉座勇一の直言「再論・俗流歴史本-井沢元彦氏の反論に接して」(呉座 勇一)

    以前、私は現代ビジネスで、作家の井沢元彦氏が歴史学界を「専門バカ」と誹謗中傷しつつ、根拠の乏しい自説を「歴史ノンフィクション」と銘打って発表していることを批判し、氏の「仮説」の問題点を具体的に指摘した。 「俗流歴史」の何が問題か、歴史学者・呉座勇一が語る井沢元彦氏の批判に答えて(2019.06.13) これに対し井沢氏は今月の新刊『逆説の日史25 明治風雲編』(小学館、以下『逆説』と略記する)で反論を行った。井沢氏は私にわざわざ上記のを送って下さったので、氏の反論にお答えしようと思う。それによって、「俗流歴史」に共通する問題点が浮かび上がるはずだ。 井沢氏の反論は多岐にわたるが、最大の論点は氏の「ケガレ忌避のための首都移転」説(以下、「ケガレ移転説」と略記する)の是非である。 井沢氏によれば、古代においては天皇一代ごとに首都が移転していたという。 そして井沢氏は、「首都移転を繰り返

    呉座勇一の直言「再論・俗流歴史本-井沢元彦氏の反論に接して」(呉座 勇一)
  • 現実を解きほぐすための哲学 - 株式会社トランスビュー

  • Daily Life:『〈現在〉という謎』の感想

    March 03, 2020 『〈現在〉という謎』の感想 編者の森田さんよりご恵贈いただいた。 www.keisoshobo.co.jp/book/b477659.html 最近はいただいたでもなかなか読む時間がとれず、お礼もままならないことが多い。しかし、書については著者の一人である谷村さんが追加の論考「一物理学者が観た哲学」を公開され、著者間でかなりの行き違いが生じているらしいことがわかった。哲学者と科学者の対話は私にとっても大きな関心事であるので、書を通読して感想を述べさせていただこうと思った。 そういう経緯であるので、以下の感想は谷村さんのノートに触発されて書き始めたものである(ずいぶん時間がかかってしまったが)。しかし、今回の感想は『〈現在〉という謎』のに限定して書いており、谷村さんのノートの内容や、谷村さんのノートにさらに反応していろいろな人が書いたものは念頭においてい

  • 『〈現在〉という謎』をめぐる議論

  • Twitter上での議論フィルタリング基準 - 発声練習

    最近、Twitterの自分のTL上で論争的な事柄に関して、荻上チキさん提唱の「セレクティブエネミー」「道化効果」でやりあっているのをよく見るようになり、どんよりした気分になっている。 ネットでよく見る光景について話しました。(※別に僕がここから自由だという意味ではないので、オマエモナーは間に合ってますhttps://t.co/Qo01guaRFL pic.twitter.com/iAAPiRkRnS— 荻上チキ (@torakare) August 28, 2018 blogos.com 東日大震災における原発事故から始まる脱原発・反原発の話、HIVワクチン、ニセ科学批判批判、リフレ&アベノミクス話、ネットフェミ、ネトウヨ・パヨク、福島の甲状腺ガン検診、北海道地震による全道停電、トリチウム汚染水などの海洋投棄、などなど。激しく論争している人たちが互いにどこまでが合意していて、どこからが譲

    Twitter上での議論フィルタリング基準 - 発声練習
  • 「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。

    よく、「日人は議論が苦手だ」と言われる。理由としては、協調を重んじる気質や自分の意見を言うのが苦手な日人の国民性が挙げられることが多い。だが、それだけではない。日人は、議論を通じて「対話」するのが苦手なのではないかと思う。 そう考えるようになったのは、Twitterで自分の記事に対する反応を見ていたときだ。記事への反応はさまざまで、賛同するものも反論するものもある。 だが不思議なのが、賛同意見は「共感した」「その通り」といったコメントが多いのに比べ、反論意見の場合「まぁこの人は○○だから」「どうせ××したことないんだろ」と人格への言及がほとんどセットになっていることだ。 反論意見は多くの場合、こういった人格への攻撃が伴う。 わたしへの反応だけではなく、他の人への反論コメントも似たようなものだ。 「ちがう意見=敵」と思ってしまうことが、「日人は議論ができない」と言われる原因のひとつで

    「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。
  • ライブとノルマ | Shamrock Records, Inc. Blog

  • 第7回 相手を言い負かすための議論術|はじめての哲学的思考|webちくま

    前回、「あっちが正しいか、こっちが正しいか」という二項対立的な問いは、「問い方のマジック」であるというお話をした。「あちらか、こちらか」と問われると、人は思わず、どちらかが正しいのではないかという“マジック”にひっかかってしまうのだ。 でも、とりわけ意味や価値について、あちらとこちら、どちらかが絶対に正しいなんてことはない。だから僕たちは、「あちらか、こちらか」じゃなく、「あちらも、こちらも」、どちらもできるだけ納得できる、もっと建設的な“第3のアイデア”を考え合う必要がある。そして繰り返し言ってきたように、哲学は、そのような深い“共通了解”を見出し合うための思考法を、2500年の長きにわたって磨きつづけてきたのだ。 相手を言い負かすための技 さて、でも僕たちは、あまりにしばしば、“共通了解”を見出すのではなく、相手を言い負かすための議論をしてしまう。 実を言うと、哲学はこれまで、この「

    第7回 相手を言い負かすための議論術|はじめての哲学的思考|webちくま
  • hideo kuboki (@nosuke_pooh) さんの連ツイに対するご返答 - ときかぬ記

    2016 - 05 - 12 hideo kuboki (@nosuke_pooh) さんの連ツイに対するご返答 hideo kuboki (@nosuke_pooh) | Twitter さんによる、私の「 伝称筆者についての前の記事に対する反応へのレス - ときかぬ記 」を受けての連ツイがありました。それに対してご返答します。 まず最初に、 2)日(2016年5月11日)の昼頃に気がつきました。私のツイートについても引用・言及・批判等、して下さっていました。失礼しました。またありがとうございました。 — hideo kuboki (@nosuke_pooh) 2016年5月11日 こちらの方こそ、言及しておきながらお伝えせずに失礼いたしました。 ツイッター の機能を誤解していまして、リンク貼ったら通知が行くものだと勘違いしておりました。誤解に気付いた時には気勢が削がれており、まあいい

    hideo kuboki (@nosuke_pooh) さんの連ツイに対するご返答 - ときかぬ記
  • 伝称筆者についての前の記事に対する反応へのレス - ときかぬ記

    2016 - 05 - 09 伝称筆者についての前の記事に対する反応へのレス ouix.hatenablog.com 先日の記事でいくつは反応をいただきました。ありがとうございます。見つけた範囲でレスします。 まずは、 ツイッター 。 @kasamashoin 伝えられる筆者と真の筆者が筆からして同一だと思うんだけど、客観的な決め手がないから「伝」つけざるを得ないケース(私が見た例としては個人蔵の伝行身禄筆お身抜が該当する)があって、そんなことを簡単に言っていいものではない。 — 録誌斎 (大谷正幸) (@64sai) May 8, 2016 これってまさに私が「伝称筆者は作者ではない。もちろんその伝称(過去の古筆家の鑑定)が当たっていると思うなら作者欄に記せばいいんですよ、「伝」抜きで。ちょっと留保したいというなら「(推定)」くらいはつけてもいい」と書いたケースですよね。むしろ「伝え

    伝称筆者についての前の記事に対する反応へのレス - ときかぬ記
  • 「全能の神がいるなら、なぜ悪や無知、罪を自ら作り出すのだ?」との問いは、やっぱり重要だよね - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    新井白石と「思想的名勝負」をしたシドッチの遺骨見つかる。白石のその後も含め、思いを馳せる。【記録する者たち】 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160406/p1 を書いた縁で、ネット上にあった新井白石のシドッチ尋問記「西洋紀聞」の現代語訳を読むことができた。 そして、自分にとってはなじみ深い議論に、ここでも巡り合うことができた。 少し、これをまとめて論じたい。 “西洋紀聞現代語訳 Seiyoukibun.pdf” http://htn.to/Q1xkyq 「天戒を破った罪が大きいので自ら贖うことができず、デウスがこれをあはれんで、3 千年後にイエスになって生れて、罪を贖えた」という説なんか、まるで嬰児のたわ言である。 一方で刑罰をつかさどるものが、一方であわれむべき情を発して、罪を許そうと努めている。マサンをうなという天戒自体、そもそもデウス自身が課し

    「全能の神がいるなら、なぜ悪や無知、罪を自ら作り出すのだ?」との問いは、やっぱり重要だよね - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
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  • 反対意見を持つ相手を味方にする方法/D・カーネギー - SYNODOS

    ■反対意見を持つ相手を味方にする方法 第一次世界大戦の直後、米国上院議員ロッジ氏とハーバード大学ローレル学長が、ボストンで国際連盟についての公開討論を行なうことになりました。国際連盟は現在の国際連合の前身で、アメリカのウィルソン大統領が提唱したものです。ロッジ上院議員はそれに反対する中心人物です(最終的にアメリカ政府は国際連盟への加盟を断念しました)。 彼はボストンの聴衆の大半が自分の意見に反対しているのを感じていました。しかし、みんなを説得しなければなりません。どうすればいいのでしょうか? 聴衆の考えを正面から非難する? いや、それはだめだ――。彼は、抜け目のない心理学者でもあったため、自分の願いをそんな未熟なやり方で台なしにはしませんでした。 ロッジ議員はまず、「親愛なるアメリカ国民の皆さん」と呼びかけて、聴衆の愛国心に訴えかけました。聴衆との意見の相違を小さく感じさせ、同じように大切

    反対意見を持つ相手を味方にする方法/D・カーネギー - SYNODOS
  • 知性主義と反知性主義をどう橋渡しするかーオリンピックのエンブレム問題(4) - LIFEHACK STREET 小山龍介ブログ

    そもそもの「目的」に立ち戻る 今回の騒動には既視感を覚える。広告代理店に努めていたときに、よくよく起こりそうなことでもあるのだ。僕は営業部門で数年働いたが、そのときにもエンブレム問題のミニチュア版のようなできごとも、なくはなかった。振り返ってみると、広告代理店の営業というのは、ここで何度か触れている反知性主義の立場をとっていたと思う。いや、知性主義と反知性主義の橋渡しの役割を果たしていたんじゃないかと思った。 ということで、エントリーを書いてみる。 さて、広告代理店の営業として、クリエイティブ部門からあがってくるアウトプットに対して最初に考えるのが、 ・クライアントがどう考えるか である。 これは、もうしょうがない。クライアントと揉めたくないということではなく、クライアントの意向と違っていてもこちらのほうが良ければ、それでいく。けれど、クライアントのOKが出ない限りには世の中にでないのだか

    知性主義と反知性主義をどう橋渡しするかーオリンピックのエンブレム問題(4) - LIFEHACK STREET 小山龍介ブログ
  • 1945年と2015年が地続きだと実感できますか? 高校生らとつくる「デジタルアーカイブ」できっかけ提供(佐藤 慶一) @gendai_biz

    終戦70年――ということもあり、この数週間、なにかとそれに関する記事や番組などが増えています。しかし、来週、再来週、来月・・・時間の経過とともに、「戦争の記憶」を伝えよう、という大切な熱はどうしても次第に冷めていくのかもしれません。 それでも、ふと1945年夏のことが気になったとき、「デジタルアーカイブ」にアクセスすれば、戦争の記憶にいつでも触れることができます。デジタルアーカイブは地図上にフラットに資料が並び、戦争というセンシティブな事柄において、異なるイデオロギーが同居できる重要なプラットフォーム。戦争に"なんとなく"関心はある人にとって、最初の入口として機能するのではないかと思います。 今回、情報アーキテクトとして活動する、首都大学東京システムデザイン学部の渡邉英徳准教授にインタビューを実施。平和学習にも活用されるデジタルアーカイブ、年々深くなる高校生のコミット、ワークショップを通じ

    1945年と2015年が地続きだと実感できますか? 高校生らとつくる「デジタルアーカイブ」できっかけ提供(佐藤 慶一) @gendai_biz
  • クラシックの作曲家モーツァルトはどこが天才で特別なんですか?一部の人が天才天才と大げさに持上げていますが、その明確で具体... - Yahoo!知恵袋

    クラシックの作曲家モーツァルトはどこが天才で特別なんですか?一部の人が天才天才と大げさに持上げていますが、その明確で具体的な理由がよく分かりません。理由について詳述した文献も見当たりません。 クラシックの作曲家モーツァルトはどこが天才で特別なんですか?一部の人が天才天才と大げさに持上げていますが、その明確で具体的な理由がよく分かりません。理由について詳述した文献も見当たりません。 幼少時から作曲を始めた点は、それが事実なら、確かに天才の1つの理由にはなるかもしれません。でもそれは作品の質とは直接関係無い事ですよね。一番肝心な作品の質という点で、モーツァルトは天才で特別なんでしょうか?一方でモーツァルトの曲とよく似たような音楽が18世紀後半のヨーロッパに溢れていたことも事実ですし、「まさにモーツァルトそのもの」と思えるような音楽が数年前に他人によって作曲されたりしています。またモーツァルトが

    クラシックの作曲家モーツァルトはどこが天才で特別なんですか?一部の人が天才天才と大げさに持上げていますが、その明確で具体... - Yahoo!知恵袋