稲葉山城の戦い(いなばやまじょうのたたかい)は、永禄10年(1567年)に美濃国井之口(現:岐阜県岐阜市)の斎藤氏の居城・稲葉山城を、織田信長が攻め取った攻城戦である。なお、これ以前にも何度か織田氏は稲葉山城を攻めている。落城は永禄7年(1564年)とする説もあるが、今日の歴史学の研究方法から見れば支持し難いとされている。 この戦によって織田信長は稲葉山城を岐阜城に改名して居城とした上で、天下布武の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになる。また、講談などでは木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が出世した戦としても有名。 背景[編集] 稲葉山城は斎藤氏の拠点として美濃支配の要であり、要害であった。 天文13年(1544年)または16年(1547年)の加納口の戦いを経て、織田氏と斎藤氏は信長-帰蝶(濃姫)の婚姻によって和睦・同盟を結ぶこととなったが、弘治2年(1556年)に斎藤道三が長
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