今回の総選挙の結果には暗然とするほかはないが、立ち止まっていても仕方がない。身近なところから、できるところから、命を大切にできる場を開いていくことを、それとともに命を蝕む力に抗うことを、少しずつ始めるしかないのだろう。暴力の歴史の傷が刻まれた東アジアに、生きる営みが響き合う空間を切り開くこと、それによって暴力の歴史が続くことを食い止めること、これがいっそう差し迫った課題となりつつあるように思われる。 さて、今回本当は多いとは言えないものの、それでも相当数の人々が、命ではなく、「カネ」としか書きようのないものを選んだと言えようが、そのような選択を世界の多くのメディアは、日本のマス・メディアがけっして触れないその帰結を含めて危惧している。そのなかでも、南ドイツ新聞の東京からの報告記事(http://www.sueddeutsche.de/politik/parlamentswahl-in-ja