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Webとcultureに関するhatayasanのブックマーク (16)

  • インターネットは都市部と地方の格差を縮めたか - グダちゃん日報

    2013-06-28 インターネットは都市部と地方の格差を縮めたか まずはじめに『ギャルと不思議ちゃん論』などの著作で知られるライターの松谷 創一郎さんの興味深いツイートを引用する。 インターネット以降の地方には住んでないのだけど、最近感じているのは、東京人と地方人との情報格差。ネットというインフラがあるので昔より情報格差は縮小すると想定されるが、逆に相対的には広がっているように感じる。あるいは、情報が分断して流通しているように感じる。— Soichiro MATSUTANI (@TRiCKPuSH) 2013, 6月 28 「インターネットがあれば都市部も地方も関係ない」と言う話はよく言われている。amazon.jpをはじめECは全国どこでも同じ在庫をそろえている。テレビ番組のように「都会では放送されても田舎では放送されない(またはものすごく送れて放送される)」こともない。「東京と同じ」

    hatayasan
    hatayasan 2013/06/28
    都会=PC起点のネット文化、田舎=ガラケー起点のネット文化という見方。都会より地方が環境の変化に乏しいのは同意するとして、地理的なものだけが格差を生むかどうかについては、どうなんだろう。
  • 『白いクスリ』について - 野尻抱介blog

    http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090919-02.html この記事を見て思い出したので、『白いクスリ』について整理しつつ考えてみたい。 私の考えは、削除に反対である。「『白いクスリ』は容認して、利用規約を改訂し、関係者すべてが意識を改めるべし」が結論になる。 私は法律の専門知識がないので、述べるのは理想論だけだ。その実現性や現行法との兼ね合いは考慮していない。 (1) 初音ミクの歌唱を個人の誹謗中傷に使って良いか。 良くない。だがクリプトンやヤマハはその使途について口出しできない。責任はすべて作者に帰すべきである。 (2) 『白いクスリ』は個人の誹謗中傷か。 字義どおりにとれば誹謗中傷にあたる。だが件はそれ自体で独立した事件ではない。背景に麻薬事件があり、裏切られたファンの憂さ晴らしともとれる。「のりピーにはがっかりだよな。み

    『白いクスリ』について - 野尻抱介blog
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

    hatayasan
    hatayasan 2009/06/08
    「勉強ができてつらい思いをしたって話(http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1)と同じ構図なのかな。」フラットであったはずのウェブがコミュニティの二極分化を促す?
  • 日本のネットが「残念」なのは、ハイブロウな人たちの頑張りが足りないからかも知れない(追記あり)

    梅田望夫さんのITmediaの取材の件について、感じたことを書くのがネットで流行っているようなので、誰にも期待されていないし普段の小鳥ピヨピヨらしくないと知りつつ、僕も簡単にしたためることにします。 とはいっても基的に梅田さんのことをよく知らないし、既に梅田さんもフルボッコになっているようですので(1、2、3、4、5、6、7、8、9、10)、純粋な感想じゃなくて、僕の経験やその他感じていることを。 梅田さんが言う「日のネットはサブカルチャーは強いけど、『最先端・最高峰な一流の人』がいない」というのは、基的に僕も賛成です。日全体として、ネットはサブカルという捉えられ方をされてるような。一方、米国を中心とする英語圏(以下「米国」というくくりにしときます)はハイブロウでハイカルチャーな側面も強いです。 でも、米国だって、やはりすごくアクセスを集めて、すごく人気があるのは、サブカル的なやつ

    日本のネットが「残念」なのは、ハイブロウな人たちの頑張りが足りないからかも知れない(追記あり)
    hatayasan
    hatayasan 2009/06/06
    「日本では、最先端・最高峰な一流の人なればなるほど「忙しいからネットをやらない」というスタイルがクールに見えるような部分がある気がします」
  • バーチャルネットアイドル(VNI)界はあれからどうなったのか - Timesteps

    全てのはじまりは「ちゆ12歳」 「バーチャルネットアイドル」というものをご存じでしょうか。もしかしたら「バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳」という単語のほうが有名かもしれません。 2001年、ネット上に誕生した「バーチャルネットアイドルちゆ12歳」は、そのタイプ、文章の面白さから一躍テキストサイト界で脚光を浴び、テキストサイト界屈指の存在となり、そのうちReadMe!において1位をとるほどになります。当時、その影響は絶大で、ちゆ12歳に紹介されたために、サーバが落ちるほど(当時は回線細かったので)アクセスが集中する「ちゆショック」まで発生しました。そして有名税としてこんな噂(?)まで出てきましたし。 ■MMR緊急報告 忍び寄る悪魔の右傾化扇動工作 人類はネット右翼になる!? - ちゆ12歳 さらにちゆ12歳自身が「当サイト製の文章・画像の無断転載・改変その他大歓迎」としたため、同じよう

    hatayasan
    hatayasan 2008/12/07
    「「ちゆ12歳」の活発的に活動していた時期というのは、1年半くらいなのですよね。」そんなに短かったの?
  • 「知っている」それ自体にはもはや何の価値もない - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

    先日、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」の皮肉がわからない映画ライターを批判したが もっとヒドイ存在があるよー。 コピペ盗作王、唐沢俊一だ! 唐沢俊一検証BLOGより 唐沢俊一著『薬局通』P.224の引用 スッキリは便秘薬、ハッキリは頭痛薬である。なぜか知らないが、このふたつのクスリにはこのテのネーミングが多い。頭痛の方だと古くからあるのがケロリン。それからノーシンというのは脳を鎮める、から脳鎮である。 エ、知りませんでした? 知るわけないっての! だって、「鎮」という漢字の読み仮名は「しん」じゃなくて、「ちん」じゃん! (追記:メールで、「鎮」の中国伝来の読み方は「しん」であるという指摘をいただきました。でも、唐沢がそれを意図していたと思いますか? 特にこの場合、唐沢が言いたいのは「鎮痛(ちんつう)」の意味だし) 正しいノーシンの語源は「脳新」だそうです。 へー、勉強になりました。 唐

    「知っている」それ自体にはもはや何の価値もない - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
    hatayasan
    hatayasan 2008/09/24
    知ったかぶりは誰でもできるようになった。「経験を繰り返すことによって体が覚えた技術の価値はとりあえず落ちないだろう。」
  • 携帯とPCのネット利用は融合できるだろうか? - 北の大地から送る物欲日記

    「自己表現のプラットフォームは移り変わる:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan」を読んで。 ブログなんて、しょせんはひとつの表現コンテナー(メディア)に過ぎない。Web2.0の時代において最も大切なのはコンテナーではなく、コンテンツそのものだ。オピニオンや感情を外部に表出したいと思い、それを実行に移すというその行為こそに意味がある。 今ではブログをメインの情報発信場所として利用しているが、自分のネットでの情報発信について元々を思い起こしてみれば、パソコン通信から始まり、IRCチャット、ホームページ、掲示板、ブログ、そして最近ではTwitterのようなミニブログだったりUstreamのような動画配信だったりと、新しい表現コンテナーが出るたびにそれを試しつつ、自分の情報発信場所として利用してきている。 それぞれの場所ごとに特性が違うので、それぞれの場所にあった発信内容にな

    携帯とPCのネット利用は融合できるだろうか? - 北の大地から送る物欲日記
    hatayasan
    hatayasan 2007/12/02
    「携帯でのネット利用もPCでのネット利用も、携帯側が進化すれば、いずれは同化してしまった方がいいのではないか、と思うが…」"インターネット"にも"国境"のようなものがはっきり見え始めるのだろうか。
  • ヤンキーとテンキーとケータイ小説 - 倫敦橋の番外地

    最近パソコン通信時代の回顧モードに入ってるなぁ。 「ケータイ小説がブレイク中」などという記事を見ると、かなり感慨深い… 1990年代初めから「電子ブック」の研究があちこちでなされていた。 まず小説などを書く側が、ネットで活動を始めていた。 これは、まぁ昔からの同人活動がネットに移ったものなのかもしれない。 読む側からの動きも有った。 これは、後にプロジェクト・グーテンベルクや青空文庫などを創る活動に繋がっていくことになる。 電子書籍専用端末を創ろうとする試みも、いろいろ有った。 CRTモニタや液晶では新聞や小説は読めない、という声が多かったのだろうな。 青空文庫に収録されているような「古典」を、縦書きルビ付きで読まなきゃいけない、と思われていた時代だ。 産経新聞は、紙の新聞レイアウトそのままのPDFを有料配信していた。 紙の新聞レイアウを電子ペーパーで読む、という未来像だったはず。 しかし

    ヤンキーとテンキーとケータイ小説 - 倫敦橋の番外地
    hatayasan
    hatayasan 2007/09/13
    「活字時代の尻尾を引きずった電子ブックに、未来はないのではないか?」ケータイ小説やデコメールは活字文化とは別の方向に進化しているのではという話。
  • Account Suspended

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    hatayasan
    hatayasan 2006/11/29
    ケータイはパケ代が気になるからサイトを巡回するときは常時接続されたPCで、という考え方ってだんだん古くなっていくだろうか?
  • +LOVE2.0+ - 「コメント文化」と「トラックバック文化」

    mixi など SNS によく見られるコミュニケーションを「コメント文化」 ブログで行われるコミュニケーションを「トラックバック文化」とすると (トラックバック文化圏は割愛) Yahoo!ブログは SNS 寄りだから、トラックバックよりも「とにかくたくさんのコメントが欲しい」「お友達が欲しい」という人が多いんだと思う。 その上、Yahoo!ブログは記事を書かなくても繋がれる機能が満載! 足跡機能(Yahoo!ブログユーザーの訪問履歴) 転載機能(Yahoo!ブログユーザーのみ) ファン機能(mixiのマイミクみたいな機能) 投票機能 ゲストブック アバター Yahoo!ブログの独自機能に頼っているユーザーが多いので、記事の繋がりよりも毎日の挨拶コメントとか、訪問のお礼などYahoo!ブログユーザーはコメントの付き合い重視のコミュニケーションが好きなんでしょう。 だから、ブログの楽しさを求め

    +LOVE2.0+ - 「コメント文化」と「トラックバック文化」
    hatayasan
    hatayasan 2006/11/27
    「Yahoo!ブログユーザーはコメントの付き合い重視のコミュニケーションが好きなんでしょう。特に書きたいことはないけどお友達ほしいという人向きなんじゃないかな。」
  • ケータイ族の特性を生かしたケータイサイトの作り方 [絵文録ことのは]2006/10/26

    前回の記事「ケータイ文化圏とネット文化圏の深い溝」は、かなりの反応があった。ネットを使いこなしている人と、ケータイメインで使っている人では、行動パターンが大きく違っている――この事実を再認識して、何か面白いことができそうだとか、商機がありそうだと思ってもらえれば、書いた甲斐があったというものである。 さて、前回の記事は、その行動パターンの違い=メディア特性の違いが存在している、という事実を指摘することが中心だった。ネットを使いこなしている人の論理をそのまま移行しても、ケータイメインの人の行動パターンから言って便利なサイトになるとはいえない。では、ケータイサイトはどのような特性を持っているのか。それを探れば、使いやすいケータイサイトが作れるのではないかと思う。 今回は、そのケータイサイトの特性を探るために、いろいろ寄り道してみたい。 ■最初に、いくつかの反応について 404 Blog Not

    hatayasan
    hatayasan 2006/10/26
    「インターネットはそれなりに普及しているものの、ケータイのように「日常的なもの」にはなりそびれたメディアなのだ」
  • ケータイ文化圏とネット文化圏の深い溝 [絵文録ことのは]2006/10/25

    主にPCを使ってウェブサイトを閲覧している人と、主にケータイを使っていてPCは全く(またはほとんど)使わない人では、たとえ同じページを見ていても、まったく行動や思考形態が違う。「ケータイ族」という言葉もあるが、ネットでの常識はケータイの人たちに通じず、ケータイの常識をネットばかりの人は理解していない。 入院中、ケータイしか使えない状況で4か月を過ごし、強制的に「ケータイ族」にならざるを得なかったのだが、そこで「ケータイ文化圏」と「ネット文化圏」の違いがわかってきたように思う。 ■ネットユーザーは実は特殊な人種 このブログを見ているような人は、おそらく、PCからアクセスして、ブラウザでウェブサイトを閲覧し、Yahoo!Googleを使って検索して自分で調べ物をできる人たちだろうと思う。そして、それくらいのことは当たり前にできることだと思っているかもしれない。 しかし、そういった人たちは、実

  • [鏡] しっぽのさきっちょ 2006年10月 -- それは SBM ではなく「はてブ」の限界

    ようやくパルム星のドラゴン(ディ・ラガン)が倒せるようになった。 ただしレオ様と2人がかりだけどね。 でも避けることを知らないレオ様はディ・ラガンのブレスですぐ死んじゃうので役に立ってるんだかいないんだか。 まぁ囮にはなるけど。(← ひどい) やはりソロだと敵のレベル+10近くまで引っ張らないと苦しい。 でも敵のレベル+10まで引っ張ると相対的に経験値がしょぼくなるので悩ましいところ。 あとハンターはテクニックが使えないので回復がねぇ。 ディ・ラガン戦では一気にアイテムが消耗するので補充するためにワンランク低いエリアでうろうろ, ってなことを繰り返す。 装備をもうちっとマシなもの(ランクB)に買い換え中。 貧乏なのでちょっとずつね。 新しい服も買ってあげたいんだけどお金がない。 PSU では服と装備が別になっているのが精神上よろしい。 ECO とか装備を全部外すとパンツ一丁になっちゃうもん

    hatayasan
    hatayasan 2006/10/10
    キーワードは、いい意味で偏りが分散した「誤配」。お気に入り機能をいかに上手く使うか、いかに有用な情報収集エージェントを探し出すかが、SBM大衆化のあとのテーマになりそうな気がする。
  • ITmedia D LifeStyle:情報の消費行動がもたらすネットの変化 (1/3)

    インターネットの発達により、われわれライターと呼ばれるたぐいの人間は、飛躍的に仕事が楽になった。インターネット以前は書籍を出すとなれば、膨大な書籍・資料を集め、関係者に取材し、また実際に実験・研究し、系統別にまとめておくという下調べが大変であったのである。 もちろん今でもそれをやらなくて済むようになったわけではないが、Googleの登場を境に、その手間が大きく削減できるようになったのは事実だ。関連するキーワード検索で半日あちこち調べれば、実際に実験・研究する前にある程度の経験値が得られるようなる。 大学の論文では、同じ研究を誰か他の人がやってないか情報交換するのが当たり前になっているが、それは膨大な時間と研究費の無駄を省く上で有効だからだ。だがそれはあくまでも研究論文の話であり、実際に資主義に牛耳られる実社会では、そうそううまい具合に情報が手に入ることはなかった。 だが多くの人が自分の経

    ITmedia D LifeStyle:情報の消費行動がもたらすネットの変化 (1/3)
    hatayasan
    hatayasan 2006/08/29
    「インターネットの元々の趣旨であった知識の共有が行なわれず、一部の人の中に沈殿するというサイクルに戻りつつあるのかも。だから、面白い話を持っている人に直接会って話を聞くことが重要になるように思える」
  • ウェブの二つの文化圏の衝突【後編】ネガティブリンクと批判する側・される側の論理[絵文録ことのは]2006/01/05

    前編「無断リンク禁止問題にみるリンクする側・される側の論理」では、このネット上には大きく分けて二つの文化圏があり、ネットの特性に根ざした原住民型「リンクフリー文化圏」と、一般社会のルールに基づいた移民型「リンク許可文化圏」が存在していることを指摘した。そして、「無断リンク禁止問題」はその二つの文化圏の衝突(カルチャーショック)であり、解決は困難だろうという希望のない結論であった。 後編では、もう一つ、似ているが別の現象である「ネガティブリンク問題」について扱う。これは単純な作法だけではなく、「悪意」を含む・感じ取るという厄介な問題も含まれているので、項目を分けることにした。 ■批判は隠すべきか、明らかにすべきかという対立軸 今回もまた図にしてみた。 もう一つ、批判を匿名でやるのか、固定名(実名または固定ハンドル)でやるのかという軸を重ねるといいんだろうが、3次元グラフにするとややこしいので

    hatayasan
    hatayasan 2006/01/05
    はてブに潜む暴力性の考察
  • ウェブの二つの文化圏の衝突【前編】無断リンク禁止問題にみるリンクする側・される側の論理[絵文録ことのは]2006/01/05

    いったい10年前から何回この話題はループしたら気が済むねん、という勢いで論争が繰り返されているのが、「無断リンク禁止」と「ネガティブリンクへの対応」の問題である。 ここ数日、はてなブックマークで急に話題になっているのが、「日一わかりやすいとまでは言えない「URL晒しがダメな理由」」というページで、このページ自体は2004年秋のものである。 ブログでは外部ページへの参照が活発で、さらにトラックバック機能までついているため、従来の「ホームページ」よりも自由にリンクが張られる傾向にある。そんななか、「儀礼的無関心」問題に始まり、最近の「はてなブックマーク暴言問題」に至るまで、特に「否定的リンク」「観察的リンク」の是非が問われてきた。 この辺の問題について、「リンクする側・される側」「批判する側・される側」の関係でとらえてみると整理できるんじゃないかと思って図を作ってみたのが今回のエントリーであ

    hatayasan
    hatayasan 2006/01/05
    なるほど、無断リンク禁止の考え方は日本の根回しの習慣にルーツがあるのか
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