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芸術に関するhharunagaのブックマーク (209)

  • メルロ=ポンティのセザンヌ論 - 泥沼通信

    セザンヌは結構わかりにくい絵描きらしくて、同時代のゴッホやゴーギャンらのドラマチックな生涯には共感しても、セザンヌを前に首を傾げる人が意外に多い。求道的でクセのある画面構成の意味がよくわからない。アドルノが言う意味で「秘教的な」絵なのだ。通俗的なセザンヌ解釈はモダニズムによる解釈で、ヨーロッパ絵画の伝統的な遠近法を否定して、絵画の平面性や物質性を露わにし、印象派からキュビズムやアブストラクトへの橋渡しをする地点にいる画家である、、、というものだ。こう言われて初めてセザンヌって偉い画家だったんだ、と納得した気になった人も多いのではないかと思う。なるほどその通りではあるのだろうが、それは結果的にそうだっただけで、セザンヌの意図したこととは思えないし、セザンヌのりんごの感動を平面性や物質性への還元なんていうコンセプトで説明などできないだろう。 メルロ=ポンティの現象学的なセザンヌ解釈はその点セザ

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    hharunaga 2015/09/26
    「生活世界を根源的なものとし、数学(数量)化した空間を相対化する現象学は明らかに近代批判の哲学であるが、メルロ=ポンティはセザンヌの仕事に現象学と同質の努力を感じた」
  • ロマネスク美術革命 - 選書・編集者のことば

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    hharunaga 2015/08/31
    「帯の写真をご覧ください。絵本かアニメから抜け出たようなイヌとウサギ。これが今からおよそ900年も前の彫刻とは。…他にもお茶目な動物や怪物がたくさん登場します」。金沢百枝・著、新潮選書。
  • bigakukenkyujo.jp

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    hharunaga 2015/08/24
    古代ギリシャの娼婦フリュネは冒涜罪で訴えられたが、法廷で衣服を剥ぎ取られると、「こんな神々しい肉体を持つものが、神を冒涜するはずがない」として、無罪になったという。
  • 東京新聞:線で読み解く 日本の名画 安村 敏信 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)

    トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事 【書評】 線で読み解く 日の名画 安村 敏信 著 Tweet mixiチェック 2015年8月9日 ◆かたどられる美意識 [評者]藤田一人=美術評論家 モノとモノ、モノと空間を分かつ輪郭線をはじめ、絵画に描かれる“線”は、現実には存在しない、人間の豊かな想像力の産物。私たちはそんな線を駆使して、自身と自身を取り巻く世界を把握しようと、試行錯誤を繰り返してきた。故に、古今東西を問わず、描線は絵画表現の基中の基。それでも西洋画に比べて東洋画、なかでも日絵画における線の役割は大きいとされる。 書は中国、朝鮮から墨の描線が伝播(でんぱ)した奈良時代から近代に至るまで、日美術史上の名作や巨匠の個性溢(あふ)れる作品から、日絵画における多彩な魅力とその展開を具体的に読み解く。総合的に言えば、日

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    hharunaga 2015/08/09
    「日本絵画の描線の魅力とは、単にモノの存在を把握し、空間を作り出すことに留(とど)まらず、モノの動き、さらには目に見えぬ気配や心理までも捉えようとする、表現の幅にある」
  • 天使になった音楽記号とは?~パウル・クレーの謎解きの旅へ:日経ビジネスオンライン

    小川 敦生 多摩美術大学美術学部芸術学科教授 日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社後、日経アート編集長や同社編集委員を経て、日経済新聞社文化部へ。美術担当記者として多くの記事を執筆。2012年4月から現職。専門は美術ジャーナリズム論。 この著者の記事を見る

    天使になった音楽記号とは?~パウル・クレーの謎解きの旅へ:日経ビジネスオンライン
    hharunaga
    hharunaga 2015/08/08
    「フェルマータは音を長く伸ばすだけではなく、曲の終わりに用いられることが多い。一日の終わりを意味していることもあるのではないか。あるいは、人間の目のようにも見える」
  • 50:追悼・三上晴子 ― 彼女はメディア・アーティストだったか(4) - ART iT(アートイット)

    連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 連載目次 (承前)では、このころ三上晴子が好んで使うようになった「被膜世界」とは、いったいなんであったのか。彼女がこの言葉をいつ、どの時点で思いつき、実際に使うようになったのか。正確なところはわからない。だが、私が最初にこの言葉を三上からじかに聞かされたのは、少なくとも、前回論じたギャラリーNWハウスでの個展「被膜世界:廃棄物処理容器」や、レントゲン藝術研究所での二人展「ICONOCLASM(イコノクラスム)」展(いずれも1993年)への参加に先立っていた。具体的に言えば、それは『季刊インターコミュニケーション』(NTT出版)誌面計画上でのことだった(*1)。 同誌は、のちの三上にとって、キヤノン・アートラボや山口情報芸術センター(YCAM)と並んで活動の拠点となるNTTインターコミュニケーション・センター(IC

    50:追悼・三上晴子 ― 彼女はメディア・アーティストだったか(4) - ART iT(アートイット)
    hharunaga
    hharunaga 2015/07/10
    「あまりにも脆弱な人間の身体の壊れやすさ…へのあいまいな体感を増幅させるために、これらのハイテク=被膜世界を自身の創作に取り入れるようになったのではないだろうか」
  • ララビアータ:『戦争思想2015』(河出書房新社)の出版 - livedoor Blog(ブログ)

    私を含む14人が論文やエセーを寄せている。 すべてを克明に読んだわけではないが、私の見るところ、加藤直樹氏の「昭和19年を生きる」と椹木野衣氏の「絵画における「近代の超克」と「戦後レジームからの脱却」」に特に感銘を受けた。 両名とも、私がこれまで耳にしたことのない書き手である。 加藤氏は、近年我が国に蔓延している病的な「現実否認」を解明してくれる。 氏はそれを、明治期から戦後に至るまで受け継がれた「進歩」と「立身出世」の観念に求める。 これによって、我々の祖先たちは、アジアの民族主義の意味を理解できず、自己の前に挑戦し立ちふさがる他者を、恐怖の対象にしてしまったと言う。慧眼と言うべし。 椹木(さわらぎ)氏の方は、藤田嗣治や宮三郎らによる戦争中の戦争絵画について書いている。しかもそれを、彼らより一世代若く、戦時中それに強烈なインパクトを受けた少年、成田亨の眼を通して論じている。 成田は、の

    hharunaga
    hharunaga 2015/06/26
    椹木野衣氏『絵画における「近代の超克」と「戦後レジームからの脱却」』は、藤田嗣治らの戦争絵画が成田亨を通して戦後のアニメーションなどに受け継がれてきた意味を論じてるという。
  • 戦後70年 浮世絵は戦争をどのように描いていたか―「浮世絵の戦争画」渋谷で開催 | Art Annual online

    渋谷区神宮前の太田記念美術館で、7月1日より「浮世絵の戦争画 ―国芳・芳年・清親」が開催される。同展は、戦後70年という節目に際して、これまで全く注目を浴びることのなかった「戦争」を題材とした浮世絵を紹介するもの。 浮世絵と言えば、泰平の世を描いた享楽的な絵という印象を持っている人も多いだろう。しかし、浮世絵の「戦争画」は、江戸から明治にかけて連綿と描かれ続けた一つのジャンルであり、歌川国芳、月岡芳年、小林清親ら有名な浮世絵師戦争画を手掛けている。今展では、源平時代や戦国時代といった歴史上の合戦から、幕末の戊辰戦争、明治時代の西南、日清、日露戦争など同時代の戦争を題材としたものまで多種多様な作品を展示。それらがどのような目的で描かれ、また、どのような形で表現されているかについて検証する。 7月3日(金)、9日(木)、18日(土)各日14時より、担当学芸員が見どころを解説するスライドトーク

    戦後70年 浮世絵は戦争をどのように描いていたか―「浮世絵の戦争画」渋谷で開催 | Art Annual online
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    hharunaga 2015/06/20
    “これまで全く注目を浴びることのなかった「戦争」を題材とした浮世絵を紹介”。7月1日より太田記念美術館。
  •  <アポロン的なもの>と<ディオニュソス的なもの> - 泥沼通信

    <アポロン的なもの>とその対立物である<ディオニュソス的なもの>を、「芸術家という人間」を媒介とせずに、自然そのものから直接ほとばしり出る芸術的な力として考察してきた。 人間はもはや芸術家ではなく、芸術作品そのものとなっている。祭りにみられるディオニュソス的なものの魔力によって、人間と人間との絆が復活するだけではない。人間に疎外され、人間と敵対していた自然、息子に踏みつけられていた母なる自然が、人間という放蕩息子と和解の宴をひらくのだ。 そこには、もう奴隷はいない。その時々の気まぐれな事情や「おしつけがましい慣行」で人間同士を引きはなしてきた、あの厳しく憎悪にみちた境界線はいまや完全に消滅する。ついに世界調和の福音がおとずれ、だれもが隣人とむすばれ、和解し、溶けあったと感じるだけでなく、文字通り<ひとつ>になったと感じるのだ。 ニーチェ『悲劇の誕生』 <アポロン的なもの>と<ディオニュソス

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    hharunaga 2015/05/30
    「芸術を含め、すべての文化の根源にあるのはディオニュソス的な陶酔だったはずなのだが、ほとんどの知識人はディオニュソスの海に浮かんだ孤島のようなアポロン=芸術だけが文化であるような錯覚を抱いて…いる」
  • 49:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(3) - ART iT(アートイット)

    連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 連載目次 『三上晴子展 皮膜世界:廃棄物処理容器』展示風景 1993年、ギャラリーNWハウス、東京 撮影:黒川未来夫 画像提供(以降すべて):株式会社レントゲンヴェルケ 協力:木村重樹 (承前)廃材を使った「ジャンク・アート」の旗手としての三上晴子と、新時代の「メディア・アート」の先駆者としての彼女とのあいだの著しいギャップは、当然、埋められなければならない。ひん曲がった鉄と赤錆と蜷局(とぐろ)を巻く有線の嵐のなかでこちらを睨む三上と、清潔に管理された情報環境のなかでプログラムをコンピューティングする冷徹な三上——は、今のままでは、両者に対する評価の基軸も、需要される層も、まるで別人のように切り離されたままだからだ。しかし、たとえどんなにイメージが重ならなくても、この「二人」が、他でもない「ひとり」のアーティスト

    49:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(3) - ART iT(アートイット)
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    hharunaga 2015/05/23
    “(「被膜世界:廃棄物処理容器」で、)汚染された物質と外部環境を厳密に隔てるための容器が、それを持ち運ぶ彼女自身の身体と重ね合わされたのだ”。文・椹木野衣。
  • SUNDAY LIBRARY:南 伸坊・評『春画と印象派』木々康子・著 | 毎日新聞

    ジャポニスムとは何だったのか? ◆『春画と印象派 “春画を売った国賊”林忠正をめぐって』木々康子・著(筑摩書房/税抜き2400円) タイトルの『春画と印象派』というのがおもしろい。浮世絵が印象派に絶大な影響を与えた、というのは美術史の一般常識だ。が、従来「浮世絵と印象派」というようにつなげられていたものを、あえて『春画と印象派』とズバリといいかえたことで見えてくるものがある。 なぜ、日の浮世絵が、西洋の美術を変えるほどのキッカケになったのか? なぜ西洋では芸術作品として高く評価されている「春画」が日では、目かくしされてきたか?

    SUNDAY LIBRARY:南 伸坊・評『春画と印象派』木々康子・著 | 毎日新聞
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    hharunaga 2015/05/15
    “アンドレ・マルローは次のように言った。「印象派の人たちが浮世絵のよさを発見したのではない。浮世絵に心酔した青年たちの間から、印象派が生れたのだ」”
  • テルマエ・ロマエ作者「日本の漫画界とルネサンスは似ている」ボッティチェリに見る現代との類似点

    美術展「ボッティチェリとルネサンス」の開催期間中に行われた『テルマエ・ロマエ』作者・ヤマザキマリ氏のトークイベント。学生時代にフィレンツェで西洋絵画を模写をしていたというヤマザキ氏が、ボッティチェリの絵画技法や人物像について語りました。 ルネサンス期の画家と日漫画家の類似点 ヤマザキマリ氏:まず、ここに来て一番最初に感じた印象が「よくこれだけのボッティチェリを集めたな」ということ。 なにせ私がこのボッティチェリの絵を見ていた時期というのが、非常に貧しかった、フィレンツェで貧乏学生をしていた時期で、家にいる時以外は美術館に来て模写をしているとか、絵を見ている時間が長かったわけですよね。 だから、後ろの受胎告知であったりとか、ウフィッツィ美術館にあるような絵を見ていると「ああ、今から電気もガスも水道も通っていない家に帰るの嫌だなぁ」みたいな気持ちがふと蘇ってきて、不思議な効果だなと思いまし

    テルマエ・ロマエ作者「日本の漫画界とルネサンスは似ている」ボッティチェリに見る現代との類似点
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    hharunaga 2015/05/05
    「ボッティチェリは輪郭線を描くことによってよりリアルに、具体的にその対象物が浮かんでくるっていう画法を生み出した人」(ヤマザキマリ)
  • 東京新聞:アウトサイダー・アート入門 椹木 野衣 著  :Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)

    トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事 【書評】 アウトサイダー・アート入門 椹木 野衣 著   Tweet mixiチェック 2015年5月3日 ◆個の体験に発する創造力 【評者】高島直之=武蔵野美大教授 子どもの絵のもつ生き生きとした観察力に感心させられた経験をもつ人は多い。その「美」は普遍的であるはずだが、絵画鑑賞の常道から解読不能ゆえにジャーナリズムは大きく取り挙げない。また美術教育を受けずに、ひたすら作ることに取り憑(つ)かれた創作者たちの我流の作品も同じ運命にある。「アウトサイダー・アート」と呼ばれるこれら既存秩序の外部にある表現を、次の十例からその特長を論じてゆく。 個人的な理想宮を建設したF・シュヴァル、用途不明な塔を延々と築いたS・ロディア、人知れず膨大な手作り画集を描いたH・ダーガー、奇怪な自邸を設計・建造した渡辺金

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    hharunaga 2015/05/03
    「著者はいう。…後戻りのできない個の体験に発し、個の内にしか帰りようがないところから始まるのが、芸術の本来的な姿である、と」。評:高島直之=武蔵野美大教授。
  • ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美

    The exhibition was born from an original concept by Fondazione Palazzo Strozzi, is curated by Dr. Ludovica Sebregondi, and is made possible with the special collaboration of Fondazione Palazzo Strozzi and MondoMostre. ツイート 2015年3月21日(土・祝)〜6月28日(日) Bunkamuraザ・ミュージアム(東京・渋谷) Copyright © Bunkamura, NHK, NHK Promotions, THE MAINICHI NEWSPAPERS. All rights reserved.

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    hharunaga 2015/04/21
    展示が金貨から始まるなど、金融・経済史を絡めてるのは面白かった。結婚か出産のお祝いの鏡に「高級品のため一度も使われなかったらしい」とか説明書きがあって、今と同じだな~ともw
  • 「ろくでなし子アートは『すっごいバカバカしい力』がある」現代美術家・柴田英里さん - 弁護士ドットコムニュース

    わいせつ電磁的記録送信などの罪に問われている漫画家・芸術家「ろくでなし子」さんの初公判が開かれたことを受け、「わいせつとは何か」を議論するシンポジウムが4月16日、東京都内で開かれた(主催:週刊金曜日)。シンポジウムには現代美術家・文筆家の柴田英里さんが登壇し、「ろくでなし子作品」について、次のように評した。 ●芸術の質は「新たな創造」 「ろくでなし子さんの作品を初めてみたとき、『すっごいバカバカしいな』という印象を受けました。『バカバカしい』というのは、褒め言葉です。 いままで日で『まんこ』は、神秘的かわいせつか、母かエロかみたいな扱いをされてきました。ろくでなし子さんは、コロコロコミック的なギャハハハハと笑う表現、バカバカしさによって、そうやって女性を二分化することを脱却してしまった。 そこがすごく面白いなと思ったんです」 ろくでなし子作品は「アート」なのか――。そうした点について

    「ろくでなし子アートは『すっごいバカバカしい力』がある」現代美術家・柴田英里さん - 弁護士ドットコムニュース
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    hharunaga 2015/04/18
    「いままで日本で『まんこ』は、神秘的かわいせつか、母かエロかみたいな扱いをされてきました。ろくでなし子さんは…バカバカしさによって、そうやって女性を二分化することを脱却してしまった」←まさに3Dですねw
  • 「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である」か?! -REALKYOTO

    浅田彰 台湾のヤゲオ財団のコレクションを展示する「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」が京都国立近代美術館で始まった。現代美術に興味があるなら、興味深い作品がいくつか見られるので、見に行く価値はあるだろう。しかし、これは国公立美術館で麗々しく展覧会を開くに値するコレクションではなく、そもそも展覧会の企画は愚劣の一語に尽きる。それが今回の結論だ。 私はこの展覧会を2014年6月に東京国立近代美術館で見たのだが(その後、名古屋と広島を経て京都に巡回してきた)、そもそもこの珍妙なタイトルの意味がまったくわからなかった(後に述べる理由で図録のエッセーなどは読んでいない)。ただ、入館者に渡される「展覧会を別の角度から楽しんでいたたくためのガイド」を見ると、「今からあなたに50億円をお渡しします」と書かれている。キャプションに「collector challenge」マークのついた作品から気

    hharunaga
    hharunaga 2015/04/17
    “ベーコンは「友だち以外のだれをバラバラに引き裂いたりできるだろうか」と答えている(もちろん私のこのレヴューもベーコンの精神で書かれている)”(浅田彰) ←なるほど。
  • 「民衆的な表現」の真の意味を考える――ふじのくに⇄せかい演劇祭の試み/SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督・宮城聰氏インタビュー - SYNODOS

    「民衆的な表現」の真の意味を考える――ふじのくに⇄せかい演劇祭の試み SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督・宮城聰氏インタビュー 文化 #SYNODOS演劇事始#SPAC#メフィストと呼ばれた男 静岡県舞台芸術センター(SPAC)が主催する「ふじのくに⇄せかい演劇祭」が、今年もゴールデンウィーク期間に開かれる。日、フランス、台湾、レバノン、韓国、ベルギーから舞台人が集まり、全9演目が上演される。新作あり、日初演ありと意欲的なプログラムの中、やはり注目は、宮城聰が手がける『メフィストと呼ばれた男』(作:トム・ラノワ)だ。原作はクラウス・マンが1936年に発表した小説ドイツ最高の俳優と謳われ、ナチ党支配下でプロイセン国立劇場の芸術監督にまでのぼりつめた実在の人物グリュントゲンスをモデルとしている。 宮城聰と劇団SPACといえば、昨年、アヴィニョン演劇祭に招聘されブルボン石切場で上演

    「民衆的な表現」の真の意味を考える――ふじのくに⇄せかい演劇祭の試み/SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督・宮城聰氏インタビュー - SYNODOS
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    hharunaga 2015/04/07
    「民衆的というのは、その時代の支配的な価値観に寄り添いましょうということではもちろんなく、あらゆる人に対して開かれているということです」
  • 48:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(2) - ART iT(アートイット)

    連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 連載目次 『Molecular Informatics ~ morphogenic substance via eye tracking (Version 2.0)』、1996年、DEAF96、ロッテルダム Photo:V2_Organisatie 画像提供:多摩美術大学 (承前)ここで即座に浮かんでくる問いは、おおよそ1990年を境に生じた<ジャンク・アートからメディア・アートへ>という三上による「転向」が、ではいったいなぜ起きたのかということだ。しかし、私たちは、この問いが実は<偽りの問い>であることを最初に確認しておかなければならない。なぜか。三上自身が、「転向」後にあってなお、「メディア・アーティスト」と名乗るのを拒んでいたからだ。ひとまず、彼女自身の言葉で語ってもらおう。 私は84年から現在まで21年間

    48:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(2) - ART iT(アートイット)
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    hharunaga 2015/03/08
    “ひとりのアーティストとしての彼女の生涯は、ひたすら「生体=廃墟」を現前させるためこそ、費やされていたのではあるまいか”(椹木野衣)
  • 47:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(1) - ART iT(アートイット)

    連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 連載目次 「Molecular Informatics ~ morphogenic substance via eye tracking (Version 1.0)」、1996年、Canon ARTLAB、ヒルサイドプラザ、東京 Photo: Mikio Kurokawa 画像提供:多摩美術大学(以降すべて) 三上晴子の訃報は、まったく唐突な知らせだった。同じ大学で教鞭を執る関係から、正月明け早々に、まだ非公開の段階で不意打ちのように同僚から聞いた。にわかには信じられなかった。 もっとも、三上とは所属する科が違うこともあり、大学で顔を合わせる機会はほとんどなかった。せいぜい教授会でたまに目にするくらいだった。いま思えば、もっといろいろ意見を交換しておくべきであった。自分でも意外なくらい悔いが残る。 私は、かつて三

    47:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(1) - ART iT(アートイット)
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    hharunaga 2015/02/15
    「私は、かつて三上晴子の作品への激しい批判者だった」(椹木野衣)
  • 春画研究第一人者 遺作で「性的欲望は灰になるまで」と語る

    昨年10月に亡くなった春画研究の第一人者、白倉敬彦(しらくら・よしひこ)氏の遺作となる『春画に見る江戸老人の色事』(平凡社新書)が刊行された。同書には、「老人の性」を汚らわしいと捉える現代人には想像もできないような、江戸時代の朗らかで自由な性の世界が描出されている。 白倉氏の長女・奈保さんは、遺作出版の経緯をこう語る。 「父は昨年春に小細胞肺がんが見つかり、10月4日に73歳で亡くなりました。父の死後、担当編集者の方とお会いした際に遺稿の存在を初めて知りました。父は病気が発覚する直前に原稿を書き上げ、担当の方に預けていたそうです」 父の遺志を形に──奈保さんが校正を手がけて同書は世に出た。 「父は週刊ポストの春画特集のお手伝いをさせていただいていたご縁もあって、『死ぬまでSEX』特集を興味深く読んでいました。そこで、『江戸時代の老人と性』という新たなテーマを着想したのだと思います」 白倉氏

    春画研究第一人者 遺作で「性的欲望は灰になるまで」と語る
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    hharunaga 2015/01/29
    「春画には、多くの老爺、老婆が登場する。これは、日本春画の一つの特徴であって、世界のエロティックアートにはほとんどあり得ない事実である」(白倉敬彦)