かつて中野駅を南口に出ると、すぐ左側に「中野住宅」という団地があった。数年前に取り壊され、現在は大規模な再開発プロジェクトが進んでいるが、1番線ホームからも見えたその団地と、そこから線路沿いに続く「千光前通り」は、ある意味で昭和の時代の中野を象徴するエリアのひとつであったように思う。 事実、数分進むと右側に見えてくる「東京アスレティッククラブ(TAC)」は1970年代には最先端のスポーツ施設として知られていたし、さらに進むと見えてくる「なかのZERO」では、ロックから演歌までジャンルを問わないコンサートなど、さまざまなイヴェントが開催されてきた。 小学生時代にはTACの水泳教室に通い、中学生のときには当時まだ「中野公会堂」と呼ばれていたなかのZEROまで友だちの姉貴の彼氏のバンド(ああ、ややこしい)のライヴを観に行ったりもしたので、私にとっても馴染みの深い通りだ。