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考古学に関するhiro777hiro56のブックマーク (41)

  • 死海文書の修復・解読に成功、イスラエル

    エルサレムのイスラエル考古学庁の研究所で、死海文書の修復作業を行う人(2016年2月24日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / GALI TIBBON 【1月23日 AFP】イスラエルのハイファ大学(University of Haifa)は21日、50年以上前に発見された「死海文書(Dead Sea Scrolls)」のうち、1巻の修復・解読に成功したと明らかにした。もう1巻の解読も進めているという。 ハイファ大学によると、60以上の細かい羊皮紙片にはヘブライ語で暗号化された文章が書かれていた。これまで紙片はそれぞれ別々の巻物に属するものと考えられていたという。 だがハイファ大のイラン・ヤベルバーグ(Ilan Yavelberg)氏の説明によると、同大のイシュバル・ラトソン(Eshbal Ratson)氏とジョナサン・ベンードブ(Jonathan Ben-Dov)氏が1年ほど前

    死海文書の修復・解読に成功、イスラエル
  • メキシコの水中洞窟、世界最大と判明 古代文明の痕跡も

    (CNN) メキシコのユカタン半島にある迷路のように入り組んだ巨大な水中洞窟が、同種のものとしては世界最大級の長さを持つことがこのほど明らかになった。長年にわたり探索してきた考古学者らのプロジェクトチームが確認した。 現地に存在した古代マヤ文明は洞窟を宗教的な儀式の場としていたことから、さらなる調査が古代文明の実像の解明につながる可能性もある。 プロジェクトチームが探索した結果、別個の2つの洞窟が内部でつながっていることが判明。長い方の名を取って「サク・アクトゥン」と呼ばれる洞窟の全長は347キロと、世界最大級の水中洞窟とみられるという。 プロジェクトを率いるギレルモ・デアンダ氏は声明で水没した巨大洞窟について「100を超える考古学上の痕跡が見られる。考古学研究の観点から、水中にあるものとしては世界で最も重要な場所だ」と述べた。 古代マヤ人たちは、洞窟を神と交信する場所と考えていた。サク・

    メキシコの水中洞窟、世界最大と判明 古代文明の痕跡も
  • エジプトで発見された謎めいた隕石「ヒュパティアストーン」は太陽系に存在しない構造をしていた : カラパイア

    エジプトの南西、リビアの砂漠で1996年に発見されたこの隕石は、極めて謎めいたものであることがわかった。これは太陽系の歴史についてのわたしたちの理解を大きく揺さぶることになるかもしれない。 この石は、「ヒュパティアストーン」として知られている。 4世紀ギリシャの世界初の女性哲学者で数学者、ヒュパティアの名にちなんでつけられた。大きさは数センチ、濃いグレイ色の、表面的にはなんの変哲もない石だが、地球上、いや宇宙においても未知の物質でできている。ヒュパティアストーンはいったいどこからきたのだろう?

    エジプトで発見された謎めいた隕石「ヒュパティアストーン」は太陽系に存在しない構造をしていた : カラパイア
  • 都心に消えた“幻の遺跡”を追え|NHK NEWS WEB

    東京のど真ん中で「幻の遺跡」が見つかった。そんな情報を知らせるメールが届きました。その遺跡は、明治時代に発見の記録が残されているものの、その後、所在がわからなくなっていたと言います。密林や砂漠でもないのに、遺跡の場所がわからなくなるなんてことがあるの?調べていくと、東京の都心部では、所在不明になったり、全く知られていなかった遺跡が見つかる事例がほかにもいくつかあることがわかってきました。“都心に消えた遺跡”の秘密を探ります。(ネットワーク報道部記者 高橋大地) 「池袋で、『幻の貝塚』として知られる遺跡が見つかったらしい」 知り合いの考古学者から記者のもとに1通のメールが届きました。 「あの池袋に遺跡?」「幻の貝塚?」 これは大ニュースではないかと、早速、現地に向かいました。 池袋駅から1.6キロほどの教えられた住所を目指して住宅街を歩いて行くと、そこだけぽっかりと浮いたような空き地で発掘作

    都心に消えた“幻の遺跡”を追え|NHK NEWS WEB
  • 日本の伝説を調べたら、驚きの「縄文世界」が浮かび上がってきた(瀬川 拓郎) | 現代新書 | 講談社(1/2)

    ある衝撃的な発見 船を住まいとした漂海民、山中に庵を結んだ箕づくり、放浪する芸人や修験者――日列島の周縁には、つい数十年前までさまざまな漂泊民が生きてきた。かれらに心惹かれるのは私だけではないだろう。「私たちの知らぬところに、私たちとは別の世界が存在」してきたという民俗学者の宮常一の言葉に、どれほど胸をときめかせたか。 かれらの漂泊性、呪能、芸能は、しばしば縄文と結びつけて語られてきた。はたしてそうなのか。縄文文化の終焉から二千年以上経つ。それは根拠の薄弱な、縄文に仮託されたロマンにすぎない。考古学の研究者である私はそう考えてきた。その私が今回、海辺、北海道、南島という列島の周縁や漂泊民のなかに縄文の思想が生き残ってきたという、『縄文の思想』(講談社現代新書)を上梓することになった。 書の核をなすのは、周縁の人びとが共有してきた縄文神話の議論だ。数年前の私なら、縄文神話という言葉を聞

    日本の伝説を調べたら、驚きの「縄文世界」が浮かび上がってきた(瀬川 拓郎) | 現代新書 | 講談社(1/2)
  • 古代エジプト王の巨大像を発掘、カイロの住宅地で

    【動画】現代のカイロ東部の住宅地で、ラメセス2世をかたどったとみられる像を掘り出す作業中の考古学者。(解説は英語です) エジプトとドイツの考古学チームが、古代エジプトの石像を発見した。史上最も有名な君主の一人をかたどったものである可能性が高いという。 エジプトの首都カイロの労働階級の住宅地で、古代エジプトのファラオ(王)、ラメセス2世とみられる像が地下水の中から発見された。(参考記事:「古代エジプトの「税を決める井戸」が見つかる」) 「像の胸から頭の下部までの部分を発見しました。現在、頭部を取り出したところで、王冠と右耳、右目の一部が見つかっています」と、エジプトのハーレド・アル・アナニ考古大臣はロイターに語った。 この約8メートルの像は珪岩(けいがん)で作られており、およそ3000年前のものだとみられる。エジプト考古省は、これは重要な発見であると歓迎した。ファラオの名を示す銘はないが、ラ

    古代エジプト王の巨大像を発掘、カイロの住宅地で
  • 黒焦げになった2000年前の巻物、新技術で中身を解読

    ローマ(CNN) 古代ローマの時代に書かれ、ベスビオス火山の噴火で黒焦げになった巻物が、現代の新たな技術で解読されたことが29日までに分かった。 約2000年前の巻物で、古代ローマの都市ヘルクラネウムの書庫に保管されていた。紀元79年のベスビオス火山噴火で灰に埋もれ、260年前に黒焦げ状態で発掘された。非常にもろく、従来の方法で広げれば崩れてしまう恐れがあった。 しかしイタリア学術会議(CNR)の研究者らがこのほどX線による断層撮影技術を使って、巻物を広げた画像を作ることに成功した。 研究チームのメンバーは、この技術を全ての美術史研究者や博物館、図書館に使ってもらうことが目標だと話している。 巻物のうち2巻は、古代ローマの哲学者フィロデモスが修辞学について書いた内容で、現在、古代ギリシャ語から英語への翻訳作業が進んでいる。その成果は近く科学専門誌に発表される見通しだ。

    黒焦げになった2000年前の巻物、新技術で中身を解読
  • 奈良の春日大社で発見の刀 北条氏が奉納の太刀か | NHKニュース

    奈良市の春日大社で見つかった古い刀が、平安時代から鎌倉時代にかけて作られた「黒漆太刀」と呼ばれる名刀であることがわかり、神社は鎌倉時代に権勢を振るった北条氏が納めたと伝えられる太刀の可能性が高いとしています。 その結果、さやなどが黒い漆で装飾された「黒漆太刀」と呼ばれる刀で、刃の部分の模様やそりの特徴から、平安時代の末期から鎌倉時代の後期にかけて作られた名刀とわかったということです。 春日大社によりますと、鎌倉時代に権勢を振るった北条氏が「黒漆太刀」を奉納したという記述が文献にあることから、これらのいずれかである可能性が高いということです。 東京国立博物館の酒井元樹主任研究員は「当時の大刀がこれほどいい状態で残っていることは珍しく、国宝に指定されている太刀と比べても遜色ない。日の刀剣史を考えるうえで非常に興味深い発見だ」と話しています。 これらの太刀は、春日大社の国宝殿で来年3月まで展示

    奈良の春日大社で発見の刀 北条氏が奉納の太刀か | NHKニュース
  • 三笠宮崇仁さま逝去 100歳、天皇陛下の叔父:朝日新聞デジタル

    昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)さまが27日午前8時34分、東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられた。死因は心不全。100歳だった。急性肺炎のため5月から入院していた。戦時中は旧日軍の大営参謀などを務め、軍紀の乱れや残虐行為への反省を促す発言をしていたことが戦後に明らかになった。オリエント史の研究者としても知られた。 三笠宮さまの皇位継承順位は5位だった。2002年11月に三男の高円宮憲仁(たかまどのみやのりひと)さまが47歳で、12年6月に長男寛仁(ともひと)さまが66歳で、14年6月に次男・桂宮宜仁(よしひと)さまが66歳で亡くなり、男性のお子さまは全員鬼籍に入っている。皇位継承権のある男子皇族は、皇太子さま、秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまの4人となった。 会見した宮内庁の名川弘一皇室医務主管によると、三笠宮さまは最近は状態が安定していた

    三笠宮崇仁さま逝去 100歳、天皇陛下の叔父:朝日新聞デジタル
  • 滋賀 彦根の遺跡に巨大建物跡 巨大勢力の拠点か | NHKニュース

    滋賀県彦根市にある弥生時代から古墳時代にかけての遺跡で、規模の大きな建物や、鉄製品を作っていた跡などが見つかりました。この場所に巨大な勢力の拠点があったと見られ、専門家は中国歴史書『魏志倭人伝』に記述のあるクニの1つの可能性があると指摘しています。 最も大きなものは、古墳時代前期の3世紀前半ごろに造られたと見られる縦16メートル、横11メートルほどの建物で、柱を据えた穴の直径は最大で1.5メートルに及んでいます。 これは、この時期の建物としては、奈良県桜井市にある邪馬台国の候補地の1つ、纏向遺跡の建物に次ぐ大きさだということです。 また、周辺の23棟の建物の跡から、焼けた土が混じった鉄の塊や破片など、合わせて6キログラム余りが見つかったほか、倉庫と見られる建物の跡も確認されました。 遺跡では、これまでの調査で、今の静岡県から鳥取県に至る各地の土器も確認されていて、市の教育委員会は、この場

  • 世界最古の釣り針、沖縄の洞窟で発見 - BBCニュース

    沖縄の洞窟で、世界最古とみられる釣り針2個が発見された。報告論文が16日、米科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された。巻貝から作られた釣り針は、約2万3000年前のものとみられる。ほかにも貝で作った珠や道具類に加えて、カニや貝をべた跡が見つかったという。 沖縄県立博物館・美術館などの専門家からなる調査グループは、沖縄県南城市のサキタリ洞窟で発掘作業を行っていた。この周辺では少なくとも3万年前から、人間が住んでいたとみられている。 釣り針の発見によって、これまで考えられていたより広範囲で、初期の海洋技術が使われていたと推測できるという。論文は、こうした技術が大西洋西岸沿いに北から中央緯度の地域にまで広がっていたことがうかがえると書いている。

    世界最古の釣り針、沖縄の洞窟で発見 - BBCニュース
  • 縄文人の核DNA初解読 東アジア人と大きく特徴異なる:朝日新聞デジタル

    縄文時代に日列島で狩猟採集生活をしていた縄文人の遺伝的特徴は、東アジアや東南アジアの人たちとは大きく離れていることがDNA解析でわかった。縄文人のルーツを考えるうえでの手がかりになりそうだ。総合研究大学院大学や国立科学博物館などのチームが、人類学の専門誌ジャーナル・オブ・ヒューマン・ジェネティクスに1日発表した。 福島県北部の三貫地貝塚で出土した約3千年前の縄文人2人の歯から、細胞核のゲノム(全遺伝情報)解読を試みた。約30億個ある塩基のうち、約1億1500万個の解読に成功した。縄文人の核DNAの解読は初めて。 世界各地の現代人のDNAと比較したところ、中国南部の先住民や中国・北京の中国人、ベトナム人などは互いに近い関係にあるのに対し、縄文人はこれらの集団から大きく離れていた。 現生人類ホモ・サピエンスは、…

    縄文人の核DNA初解読 東アジア人と大きく特徴異なる:朝日新聞デジタル
  • こんなにあったかオーパーツ!意味の分からない謎の物体23選 - GIBEON - ギベオン - 地球、宇宙、生物の感動とミステリー

    オーパーツとは オーパーツとは、それが発見された場所や時代とが全くそぐわず、なぜ存在するのかが謎とされている物の総称です。英語の「out-of-place artifacts」の略で「OOPARTS」、つまりは「場違いな工芸品」という意味があります。この名前はアメリカの超常現象研究家アイヴァン・サンダーソンによって付けられました。 今回は有名なミステリーのひとつであるオーパーツをご紹介します。 合わせて読みたいおすすめ記事   www.gibe-on.info オーパーツの定義 オーパーツは考古学においてその成り立ちや製造方法などが不明とされており、当時の文明の技術、知見では到底製造が不可能な出土品です。また、現在では伝世品に対しても使われる言葉です。しかし、この呼び方は正式な考古学の呼び方ではありません。 オーパーツの謎 オーパーツは何故存在し、どのようにして製造したかわかっていません。

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  • ツタンカーメンの短剣は「隕石」製、当時わかって使った?

    (CNN) 隕石(いんせき)や惑星研究専門の科学誌は2日までに、古代エジプト王朝時代のツタンカーメン王のミイラのそばにあった鉄製の短剣は地球に落ちた隕石を材料にしていたことが判明したとの論文を掲載した。 論文はイタリアやエジプトの博物館の研究者チームがまとめ、同誌「Meteoritics & Planetary Science」に載せた。 蛍光エックス線分析装置を使って短剣の材料を詳しく分析。この結果、鉄、ニッケルやコバルトなどと判明し、データベースに残っている隕石の成分と一致したことを突き止めた。短剣は隕石を用いて作られたことを強く示唆していると結論付けた。 ツタンカーメンのミイラ化された遺体や謎が多い副葬品は1920年代に墓が初めて発見された後、考古学者や歴史学者の関心を強く集め続けてきた。研究者たちは過去に、墓内で黄金の刀身と共に発見された短剣の材料は隕石との見解を示したこともあった

    ツタンカーメンの短剣は「隕石」製、当時わかって使った?
  • ついに2400年前の「アリストテレスの墓」が発見される! 20年謎を追い求めた男の執念が結実 (2016年5月28日) - エキサイトニュース

    古代ギリシャにおける3大哲学者といえば、ソクラテスとプラトン、そしてアリストテレスだ。(それぞれが師弟関係にある)彼らの生み出した哲学とは、数学・芸術・科学・文学など、あらゆる学問分野を横断する究極の学びであり、西洋文明の礎となるばかりか、現代社会にも計り知れないほどの影響を与えている。 ■偉大な哲学者にまつわる最大の謎 アリストテレスは、紀元前384年にスタギラに生まれ、アテネに移るとソクラテスの弟子であるプラトンが設立した学園(アカデメイア)に入学した。その後、マケドニアに渡りアレクサンドロス大王の師となるが、アテネに戻ると自身の学園を設立。晩年はエヴィア島の都市ハルキダに身を寄せ、紀元前322年に62歳で死去した。 「万学の祖」と呼ばれるほどの“智の巨人”として、生前から古代ギリシャ人たちの尊敬を集めていたアリストテレス。しかし、それほどの超重要人物であるにもかかわらず、彼の墓がどこ

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  • 海底に眠るエジプトの古代都市、ヘラクレイオンとその失われた財宝 : カラパイア

    港湾都市ヘラクレイオンは1,000年間海の底にあった。今、そこにある数多くの神殿には魚が暮らし、ヒエログリフには藻が茂っている。神々やファラオたちの時間は停止し、砂に埋もれながら静かに世界から消えつつある。 これを2000年に発見したのはフランス人考古学者のフランク・ゴジョ、1933年にイギリス人パイロットによって発見されたカノープスとともに海底遺跡の調査に明け暮れた人物だ。 今月5月19日から大英博物館で始まる海底都市展では、かつて考古学最大とも言われた謎がお披露目される。ヘラクレイオンあるいはトロニスと呼ばれる都市はギリシャ神話の中で今日に伝えられてきた、かつては伝説の中の存在だった。

    海底に眠るエジプトの古代都市、ヘラクレイオンとその失われた財宝 : カラパイア
  • 沈没船から17世紀の王家のドレス見つかる

    花模様を刺しゅうした、ダマスク織の絹のドレス。身頃部分に、裾まであるプリーツスカートと高い襟が付いている。17世紀の衣服が見つかるのは非常に珍しい。中でもこのドレスは完全な形で残っており、300年以上海底にあったにもかかわらず保存状態は極めて良好だった。(PHOTOGRAPH BY KAAP SKIL MUSEUM) 2015年に見つかった17世紀の沈没船からイングランド王家にまつわる貴重な衣服や品々が引き上げられ、このほどオランダの博物館で公開された。 船が北海に沈んだのは、今から374年前のこと。沈没船からは、手の込んだ絹のドレスやストッキング、刺しゅう入りのポーチ、それにシラミ取り用のくしなどが見つかった。きわめて重要な発見と、専門家は言う。(参考記事:「世界最古のドレス、5000年前のものと判明」)

    沈没船から17世紀の王家のドレス見つかる
  • ツタンカーメンの墓の“隠し部屋”、発掘調査に暗雲 「100%の確証が必要」

    古代エジプト王・ツタンカーメンの墓に隠し部屋がある可能性をめぐり、エジプト考古省は5月8日、現時点では発掘調査を行わない方針を明らかにした。同国のハリド・アナニ考古相は「さらなる技術的・科学的な検証が必要」と話し、「100%の確証がなければ、壁に穴を開けるわけにはいかない」としている。 昨年11月、日技術者の渡辺広勝さんが墓をレーダースキャンしたところ、内部に2カ所の空洞を発見した。金属製の物体に加え、人間の遺体と思われる有機物が存在する可能性も浮上。マムドゥフ・アル・ダマティ前考古相が「世紀の大発見につながるかもしれない」と発言し、注目を集めた。

    ツタンカーメンの墓の“隠し部屋”、発掘調査に暗雲 「100%の確証が必要」
  • ハンニバルの侵攻ルート解明か、古代の馬糞がカギに

    第2次ポエニ戦争でアルプス山脈を越えるハンニバルを描いた絵画。Leemage提供。(c)Leemage 【4月7日 AFP】カルタゴ(Carthage)の将軍ハンニバル(Hannibal)は、現在のイタリアへと侵攻する際にアルプス(Alps)山脈を越えたが、その際に選んだルートをめぐっては、2000年にわたり議論が続いている。しかし、このたび見つかった古代の馬糞(ふん)により、科学者らはその答えをようやくつかんだかもしれない──。 紀元前218年、ウマ1万5000頭あまりとゾウ37頭を伴った総勢3万のカルタゴ軍が共和政ローマ(Roman Republic)に侵攻し、長年にわたる血みどろの戦いが勃発した。 これほど大勢の兵士と動物を引き連れてアルプス山脈を越えるのは並大抵のことではないため、歴史学者らや古典学者らは長年、ハンニバルが取った正確なルートをめぐり議論を繰り広げてきた。 そうした中

    ハンニバルの侵攻ルート解明か、古代の馬糞がカギに
  • 縄文時代は“平和”だった 暴力死亡率は1.8%――「戦争は人間の本能」は誤り?

    縄文時代には、暴力による死亡率は1.8%と極めて低かった――そんな研究成果を、山口大学と岡山大学の研究グループが3月30日に発表した。「戦争は人間の能である」という国際的な主張の再考を促し、考古学・人類学の視点から、戦争の原因を探る可能性を示唆している。 約1万年に及ぶ縄文時代の人骨を全国242カ所から2582点収集し、暴力による死亡率を数量的に算出した。傷を受けた痕跡があるものは23点で、暴力による死亡率は約1.8%となった。他国や他時代の暴力死亡率と比べると、5分の1以下と極めて低いことが判明した。 「いつから人間は戦争を行っていたのか」という問題は、これまでもさまざまな観点で研究、議論が進んできた。ヨーロッパを中心に狩猟採集民時代の大量虐殺を示唆する人骨が発掘されるなど、先史時代から「戦争は人間の能である」とする主張も根強い。同研究グループは、これらの主張はあくまで欧米やアフリカ

    縄文時代は“平和”だった 暴力死亡率は1.8%――「戦争は人間の本能」は誤り?