タグ

2008年12月18日のブックマーク (5件)

  • 2008-12-13 - 冨樫とエミネムを応援する日記

    歴史って大変だなぁと思った。ある出来事を10人が体験したとして、それが1人にとって劇的な体験だったことから、面白おかしく後世に語り継いだとしたら、それが「史実」になってしまったりする。他の9人にはまた全然違う思いがあるんだけど、わざわざ言うほどのことではないな、と思ってスルーしてたら、そうなる。声のでかいものが残る。そういう小さなエピソードはいっぱいあるんだろう。とりあえず、東工大の件に関して言えば、現場にいた50人くらい(?)の一人一人に話を聞いたとしたら、全然別のものに見えてくると思うよ。ネットの野次馬さんでスゲー暇な人がいたらやってみれば。てか、常識の範囲内でフツーに行動して、フツーに来れば、フツーに議論もできただろうに。よくわからないパフォーマンスをしなければ良かったという話。まぁその過剰なパフォーマンスをネットの人は求めていて、建設的(?)な話し合いなんて、つまらないからどうでも

  • 南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去 - MSN産経ニュース

    中国・南京市にある南京大虐殺記念館が、信憑(しんぴょう)性が乏しいと指摘されていた写真3枚の展示を取りやめたことが17日、政府関係者の話で明らかになった。「連行される慰安婦たち」「日兵に惨殺された幼児たち」「置き去りにされ泣く赤ん坊」の3枚で、日の研究者らは南京事件と無関係だと指摘していた。中国が同館の展示について“是正”に応じたのは初めて。ただ、30万人という犠牲者数の掲示や“百人斬(ぎ)り”など事実関係の疑わしい展示多数はそのままになっている。 撤去された3枚の1枚は、南京攻略戦の前に撮られ、「アサヒグラフ」(1937年11月10日号)に掲載された写真で、農作業を終えたあと、兵士に守られて帰宅する女性や子供が写っている。これを中国側は旧日軍が女性らを連行する場面と紹介し、「農村婦女は連れ去られ陵辱、輪姦、銃殺された」と説明していた。この写真は戦後、朝日新聞記者、多勝一氏の著した

    hokusyu
    hokusyu 2008/12/18
    ↓研究の進展による「修正」は「歴史修正主義」とは呼ばないの。/ていうか、南京事件に無関係だから撤去したわけであって、信憑性関係ないじゃん!何だこのタイトル。http://www.nextftp.com/tarari/nanshi/nanshibakugeki1.htm
  • http://angel.ap.teacup.com/unspiritualized/226.html

  • これまた捨て身のパフォーマンス? - Apeman’s diary

    え〜、id:kingworld氏は、私が“toledさんの「講義行こうぜ」エントリは「祭」と評すべき事態を引き起こしてなかったし、また大勢が押しかけるような事態にならないことはエントリがアップされた時点で予見可能だった”と主張したところ、それを「現実には「祭」になっていなかったのだから、東さんが常野さんを排除したことは不当だ!ということでしょうか?」と要約してしまうような奇怪至極な読解力の持ち主なので、このエントリもどの程度彼に届くのかよくわかりません。まあしかし、わたしはあずまんとか違って、宛先も書かず切手も貼らずに引き出しに放置してある手紙がなぜか誰かに届く、なんてことを期待したりしませんので、とりあえず書くことにします(idコールつきで)。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081217/p1 kin

    これまた捨て身のパフォーマンス? - Apeman’s diary
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病

    さて なぜこんなことになってしまったのか僕もさっぱりわからない 来週とかにひきずらなければいいけど まあやりましょうか 結局この授業で何を言い続けているのか 公的なものと私的なものの境界 政治的なものと非政治的なものの境界 そういう境界がポストモダンにおいてはどういうふうになるのか 『リアルのゆくえ』が出発点 僕と大塚さんは話が合わない 公共性をどう捉えるかというところ 大塚さんはある信念を持って人々を啓蒙する 自分は正しいと思っていることを人に伝わると信じて言う それが公共的 僕はそうではない さまざまな意見がぶつかり合う 公共的というのは、ある特定の意見を言うことではない ある特定の意見がヘゲモニーを握らない 絶対的な真実が無いまま議論が続く それが公共性 大塚さんはそれはシニシズムだという 自分が正しいと信じることを人に言えないのであれば、 それは公共的でもないし、そんな奴は批評家で

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病
    hokusyu
    hokusyu 2008/12/18
    うーん・・・、やっぱり本質的な部分でシュミットの誤読してるなあ。ムフはもうちょっと考えなきゃ分からんが。あとで書くよ。//というわけで『政治的なものの再興』貸せ>汁