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ブックマーク / watashinim.exblog.jp (19)

  • メモ20 | 私にも話させて

    岩波書店の公式ツイッターを見て驚いた。 http://twitter.com/#!/Iwanamishoten/status/115258775400755200 「1931年9月18日,柳条湖の鉄道爆破をきっかけに勃発した満州事変.国際連盟脱退,2.26事件などへ連なり,日中国との長期持久戦体制へと突入していきます.満蒙開拓団など中国に渡った人々が味わった数々の辛苦も忘れてはなりません.」 侵略の片棒を担いだ満蒙開拓団(その他の大多数の「中国に渡った人々」もそうである)の「辛苦」を「忘れてはなりません」とする一方、侵略を受けた中国の民衆の被った惨害には一片の言及もない。驚愕である。また、「勃発」や「長期持久戦体制へと突入」など、まるで他人事のような言葉遣いをしている。侵略戦争・加害責任といった認識がもう根的になくなっているのだろう。もちろんあれが侵略戦争かと聞かれれば「侵略戦争」と

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    hokusyu
    hokusyu 2011/09/19
  • 「国民」の否定形としての「市民」 | 私にも話させて

    1. 昔から思っていることであるが、アカデミズムやマスコミ、(ネット)論壇周辺の在日朝鮮人(亜)インテリ、特に日社会に対して批判的(「反日」的)な在日朝鮮人は、個別の日人に対しては驚くほど無防備である。彼ら・彼女らの話を聞いたり言動を見たりしていると、日人は、「差別的な一般の悪い日人」と、「差別意識を持っているはずのない良心的日人」の二つに截然と分かれているようである。彼ら・彼女らには、そのような場とは無関係な、取り立てて「反日」的でない普通の在日朝鮮人が往々にして持っている「所詮日人だから・・・」という感覚・認識がない。 90年代以降に在日朝鮮人(亜)インテリがアカデミズムや(ネット)論壇周辺で消費されてきたのはなぜかというと、上のような認識を持っている在日朝鮮人(亜)インテリと付き合うことによって、「良心的日人」は日国民としての政治的責任、という問題系を回避できるからだ

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    hokusyu 2011/08/08
  • 訴訟論理を通じた転向 | 私にも話させて

    少し前に書いたブログ記事「日の丸論議について(1)」に対して、読者から、「あなたは裁判上の「戦略」と反対論の論拠を取り違えている。日の丸・君が代強制に対して「思想・良心の自由」を論拠にして対抗するのは、あくまでも裁判上の「戦略」である。だから、あなたの批判は意味をなさない」という趣旨の批判をいただいた。 だが、事態はむしろ逆だと思う。私も対週刊新潮・佐藤優裁判で「思想・良心の自由」論を用いているように、訴訟上では「思想・良心の自由」論で闘うのは当然である。問題は、日の丸・君が代強制に対抗する上での、あくまでも訴訟上の論理として出されていたはずの「思想・良心の自由」論が、いつの間にか、訴訟とは基的には無関係のはずの言論領域でも反対論の主要な論理になってしまった点にある。時期的には1990年代か2000年代あたりであろう。だから、今や、新聞・出版メディアはもちろん、ネット上でも「思想・良心の

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    hokusyu 2011/08/04
  • 「日の丸」論議について(1) | 私にも話させて

    このところ、日の丸・君が代訴訟で教員側の敗訴が相次いでいるが、いくつかの論評を見てつくづく思ったのは、強制反対の論理が「思想・良心の自由」論の論理にほぼ席巻されてしまった、ということである。これは、リベラル・左派系のマスコミだけではなくて、ウェブ上でよく見られるような、「思想・良心の自由」論とは一線を画しているつもりであるように見える反対論もそうである。後者は、例えば、「沖縄や在日の人々の歴史を考慮しない日の丸強制はおかしい」とか、「日には在日をはじめとした多くの外国人が住んでいる」とかそういったものであり、これらは確かに「思想・良心の自由」論に比べればマシではあるが、論理的には同型である。 私は5年以上前の「「思想・良心の自由」による反対論の陥穽」というブログ記事で、「東京都による押し付け以前にも、日の丸・君が代問題は戦後ずっと存在したが(田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』(岩波新書、

    「日の丸」論議について(1) | 私にも話させて
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    hokusyu 2011/07/18
  • 「思想・良心の自由」による反対論の陥穽 | 私にも話させて

    改悪教育法成立がここまで延びたことは、予想外だった。というのも、土俵設定の段階で負けたと思っていたからである。 教育法改悪をめぐる論議では、上からの愛国心の押し付けが「思想・良心の自由」を侵害する、という論理で批判した声がリベラルでは多かった。私は、こうした批判を聞いて、東京都による日の丸・君が代の都立高校教職員・生徒への押し付け時の議論を思い出していた。 当時、メディアでの反対の声は、日の丸・君が代の押し付けが「思想・良心の自由」に反するから問題だ、という論理が支配的だった。一般紙ではないが、当時購読していた「しんぶん赤旗」もこれ一色だった。 何が言いたいかというと、日の丸・君が代の押し付けへのメディア上での批判において、なぜ日の丸・君が代自体への批判がほとんどなかったのか、ということである。東京都による押し付け以前にも、日の丸・君が代問題は戦後ずっと存在したが(田中伸尚『日の丸

    「思想・良心の自由」による反対論の陥穽 | 私にも話させて
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    hokusyu 2011/07/09
    "「反・教育基本法改正」でなければならなかったと思う。"ここにつきる。日の丸君が代は悪い。日本ナショナリズムも悪い。素朴に日本を愛することも許されないのか⇒許されないってちゃんというべきだった。
  • 歴史問題を回避する「ナショナリズム」復興論――レイシズム的保護主義グループの成立(2) | 私にも話させて

    前回(第1回)からかなり間隔が空いてしまったが、「レイシズム的保護主義グループの成立」の第2回である。 1. このところ、日リベラル・左派の間で、「ナショナリズム」の復興論(「リベラル・ナショナリズム」)があちこちで唱えられている。そして、私見によれば、ここで唱えられている「ナショナリズム」は、非常に奇妙な特徴を持っている。この奇妙な「ナショナリズム」は、レイシスト的保護主義グループの存立基盤の根を支えるものであると思われる。 この「ナショナリズム」を検討するに際しては、「ナショナリズム」肯定論者の一人である萱野稔人と、高橋哲哉の対談(高橋哲哉・萱野稔人対談「ナショナリズムが答えなのか」『POSSE』vol.2、2008年12月)が大変興味深い。 萱野はここで、 ①グローバリゼーションそれ自体は、先進国と第三世界の経済格差を縮小させているのであるから、日国内の経済格差を問題にするな

    歴史問題を回避する「ナショナリズム」復興論――レイシズム的保護主義グループの成立(2) | 私にも話させて
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    hokusyu 2011/06/29
  • 「これは前からわかっていたことなんだから、少しも心配することはない」 | 私にも話させて

    厚生労働省が3月17日付で、放射能汚染された品のウランやプルトニウム許容量を設定したことが一部で話題になっている。 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1301113622/ http://tokumei10.blogspot.com/2011/03/blog-post_499.html 広く知られているように(ただしテレビで言及されているのは見たことがないのだが)、福島第一原発の3号機はプルトニウムとウランの混合燃料(MOX燃料)を使用している。多分既にプルトニウムは漏れているのだろう。 ところで、偶然、友人に勧められてルース・ベネディクトの『菊と刀』を10数年ぶりに再読していたところだったのだが、以下の一節に目が釘付けになってしまった(強調は引用者)。 「日人が戦争中にあらゆる種類の事柄に関して述べた言葉が、比較文化研究者には

    「これは前からわかっていたことなんだから、少しも心配することはない」 | 私にも話させて
  • 「楽しくない」思想から「楽しい」思想へ | 私にも話させて

    ブックオフで105円で売っていたので、遅ればせながら『思想地図』創刊号(2008年4月刊)を買ってきたのだが、突っ込んでくれと言わんばかりの発言のオンパレードで笑ってしまった。刊行時に少し立ち読みして馬鹿馬鹿しさに放置していたが、こんなに面白かったとは。気が向いたときに、「一日一言」方式で取り上げることにしよう。 まずは第1回目である。「共同討議「国家・暴力・ナショナリズム」」(参加者は東浩紀・萱野稔人・北田暁大・白井聡・中島岳志。討議の日付は2008年1月22日)の白井聡の発言より(強調は引用者)。 「僕が思想について勉強を始めたのは、90年代後半です。で、いろいろと知識の摂取を始めると、入ってくるものの多くが左旋回したポストモダニズム思想だということになる。そんななかで、僕は漠たる不満を感じるようになってくるんですね。僕は当時、遅れてきたニューアカ少年的なところがあって、いわゆるニュー

    「楽しくない」思想から「楽しい」思想へ | 私にも話させて
    hokusyu
    hokusyu 2009/10/13
    「高学歴」で「良心的」だと自認する人々(主として男性)が、自分たちの「良心」を満足させるレベルを超える批判は「楽しくない」し「ダウナー系」にさせるので、それはやめてこれからは「楽し」く行こうと
  • 『週刊文春』見出し「本当に怖い中国人」 | 私にも話させて

    当に怖い中国人 (1)ウイグル暴動「女子大生の首を切り木に吊るした」 (2)あなたの隣の中国人「一気に刃物」の恐怖 ――ハローワーク職員襲撃だけじゃない」 記事を読むと、(2)は、日国内の中国人による犯罪事例を取り上げている。 約1年前に、このブログで、『週刊朝日』による韓国人へのレイシズムそのものの見出しを3回にわたって取り上げた際に、2回目で、以下のように述べた。 「右派メディアは、キャッチコピーにおいては、「韓国」は罵倒しても、「韓国人」一般に罵倒表現を使う事例はあまり見かけない。民族差別だと言われないよう警戒しているのだろう。「リベラル」であるはずの朝日の方が、警戒心がないからこそ、こうした差別感情が垂れ流されたキャッチコピーを使うわけである。 朝日が使ったのだから、右派メディアにも、こうした「韓国人」への罵倒表現は「解禁」されてしまったということだ。今後、「朝日ですらあそこ

    『週刊文春』見出し「本当に怖い中国人」 | 私にも話させて
    hokusyu
    hokusyu 2009/07/22
    "結局、在特会や<嫌韓流>のようなあからさまなものだけを「憂慮」し、自分たちのレイシズムには無自覚な人々は、上の<嫌韓流>の主人公たちと本質的に何の違いもない。"
  • 「反日上等」論議について(1) | 私にも話させて

    1. このところ、ネット上で、在特会への抗議デモにおける一部参加者の、「反日上等」というプラカードが論議を呼んでいる。こうした行動は、生命すら脅かされている外国人やその支持者にとっては、迷惑極まりないものだ、というのだ。 ネット(特に「はてな」)界隈の議論にはあまり関わらないことにしているのだが、この議論は大規模かつさすがに酷いと思っていたので、近々まとまったものを書こうと思っていた。だが、この件について論じようとすると、ものすごく基的なところから説明しなければならないので、面倒でかまけてしまっていた。 ところが、そのあたりも説明してくれている、大変よい文章が現れたので、私が長々と書く必要もなくなったようである。深海魚さんというブロガーの方のものだ。 http://sillyfish.blog2.fc2.com/blog-entry-723.html的なことは、上の文章でほぼ言い尽

    「反日上等」論議について(1) | 私にも話させて
    hokusyu
    hokusyu 2009/07/13
    「外国人に対する「日本人のイメージ」の排外性が問われることなく…そうすると、日本社会から「反日」だと表象される外国人の人権が抑圧された場合…守りようがないのである」
  • レイシスト的保護主義グループの成立(1) | 私にも話させて

    『週刊金曜日』が、右翼雑誌の『月刊日』と4月8日に共同集会を開いた。 http://www.kinyobi.co.jp/event/upload/0408_A4.pdf http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090411/trd0904111054007-n1.htm この集会の開催については、かなり前からウェブ上でも話題になっていたから、このブログを見に来るような読者には知っている人も多いだろう。 私は、この件をここで取り上げると、以前の『金曜日』創刊15周年記念集会における「日の丸」ポスターのときのように、『金曜日』が及び腰になってしまう可能性がある(笑)ので、言及するのは『金曜日』誌で集会の報告が載るまで待つことにした。もう『金曜日』編集部はこういった、社会排外主義とでも言うべき方向に進む以外の可能性はないのだから、行き着くところまで早めに行って

    レイシスト的保護主義グループの成立(1) | 私にも話させて
    hokusyu
    hokusyu 2009/04/27
    「社会の支配的な価値観がすでにレイシスト的であるから、大多数の大衆は、人種主義団体に加入するほど不満や焦慮を抱いていない」
  • 佐藤優氏、公開質問状の受け取りを拒絶 | 私にも話させて

    『週刊新潮』編集部の佐貫氏との電話のやりとり(4月11日夕方)で、重要な事実が判明したので以下、記しておく。 佐貫氏によれば、3月14日の私と佐貫氏との電話の直後(14日当日か翌日)に、『週刊新潮』編集部の記者(佐藤優氏と大変親しいらしい)が、ウェブ上からプリントアウトした私の佐藤優氏への公開質問状を渡したい旨を、佐藤氏に(佐貫氏によれば、多分電話で)伝えたという。ところが佐藤氏は、この記者に対して、公開質問状を受け取らないと答え、受け取りを拒絶したというのだ。 公開質問状を受け取った上で黙殺する、ということですらないのである。受け取り自体を拒絶しているのである。これでは佐藤氏は、私の質問から逃げ回っていると言われても仕方がないのではないか。公開質問状は、ウェブ上で既に公開しているから、佐藤氏は、私の公開質問状の内容をウェブ上で見て、答えられないと考えたからこそ、受け取りを拒絶したのかもし

    佐藤優氏、公開質問状の受け取りを拒絶 | 私にも話させて
  • 朝鮮総連の資産凍結について | 私にも話させて

    1. 麻生政権は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイルまたは人工衛星を発射した場合、朝鮮総連の財産の凍結処分を行う方針を固めたという。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090306/plc0903060120000-n1.htm この件に関しては、吉田康彦が早くにコメントを出し、「在日朝鮮人の生活と人権のさらに圧迫する非人道的措置」として批判している。だが、どうせ大多数の日の左派は黙認するだけだろう。 http://www.yoshida-yasuhiko.com/ それにしても、ついにここまで来たか、というのが第一報を聞いた感想である。朝鮮総連が何か犯罪を犯したから、という理由ですらなく、外交関係上の「国益」の観点から、資産を凍結するというのだ。在日朝鮮人の「人権」は、はじめから考慮の対象にすらなっていない。さらに言えば、これは吉

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    hokusyu
    hokusyu 2009/03/09
    学費滞納を理由に卒業証書取り上げることがエスカレートするとこうなる。
  • 村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチについて | 私にも話させて

    村上春樹のエルサレム賞受賞については大して興味がなかったのだが、前回も書いたように、受賞スピーチへのメディアやウェブ上の賛美には当に唖然とさせられる。 スピーチの全文は、下のリンク先にある。 http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html 翻訳はウェブ上にいくつかあるが、便宜上、その下のものを使わせていただく。 http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090218/1234913290 村上は言う。 「しかしながら、熟考のすえ、最終的に僕はここに来ることを決心しました。僕がここに来ると決めた理由のひとつは、あまりにも多くの人々が僕に「行くべきでない」と言ったことです。おそらくほかの多くの小説家と同じように、僕は天の邪鬼です。多くの人々から「そこに行くな」、「それをしないでくれ」と警告を受けると、そこに行き、それをした

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    hokusyu
    hokusyu 2009/02/19
    それはあるな>パレスチナ人からどう映るか
  • 護憲派ポピュリストおよび「護憲派のポピュリズム化」について | 私にも話させて

    年末に何気なく「愛川欽也 パックインジャーナル」(朝日ニュースター)を見たら、「ソマリア沖海賊対策に自衛隊派遣」をテーマとした討論をやっていた。 http://asahi-newstar.com/program/packin/onair/081224-007597.html 司会の愛川(キンキン)は護憲派らしい(例えば、このインタビュー参照)。愛川はこの日、<派遣に反対したら、政府が憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認する新法が制定されかねないから、現行でも派遣可能とすべきだ>といった趣旨の主張をしていた。めちゃくちゃな法感覚に笑ってしまったが、別にこれは愛川だけがおかしいのではなく、現在の護憲派ジャーナリズムの大多数の関係者、発言者は、来はこういった主張になるはずである。「対テロ戦争」自体への批判的認識はほとんど持っていないのだから。現に、『金曜日』編集委員の落合恵子もその場に

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  • 佐藤優のイスラエル擁護に嫌悪感を抱かないリベラル・左派の気持ち悪さ | 私にも話させて

    1 イスラエルの蛮行はエスカレートする一方であるが、ここで改めて、佐藤優のイスラエルに関する発言に注意を喚起しておこう。 佐藤は、柏原竜一による自身への批判に対して、以下のように書いている。 「佐藤は「すずめの学校」のようなところでインテリジェンスを勉強したことがないじゃないか、という指摘ですが、私、勉強してますよ、ちゃんと。それとわかるようにあちこちで書いているんですけれどね。残念ながら、それはロシアではないのです。イスラエルなんです。私のやり方は、基的にはイスラエル流です。それが間違いだとは思っていません。私のや論文を読んでそんなことすら読み取れない柏原氏の読解力は、ある意味で驚嘆に値します。」(佐藤優「『AERA』、『諸君!』、左右両翼からの佐藤優批判について」『月刊日』2007年6月号。強調は引用者、以下同じ) また、佐藤は、「言論封殺魔」(佐藤のこと)との戦争に脅える「大林

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  • 東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて

    少し前に出た東浩紀と大塚英志との対談である『リアルのゆくえ』(講談社現代新書、2008年8月)を読み、東の発言内容の酷さに驚いた。私は東の文章を大して読んでいなかったのだが、昔からこんななのだろうか。 枚挙に暇がないのだが、私が最も呆れた箇所を挙げておこう。 「東 ぼくが言っているのは、むしろ了解可能性の拡大を大切にしたいということです。たとえば、日のサヨクが2000年代になぜ急速に影響力を失っていったかというと、リベラルな人たちはリベラルではないということが大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベ

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  • 共和主義的レイシズム――『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」補足② | 私にも話させて

    最近発表された、菊池恵介「植民地支配の歴史の再審――フランスの「過去の克服」の現在」(金富子・中野敏男編『歴史と責任――「慰安婦」問題と一九九〇年代』(青弓社、2008年6月)所収)は、フランスにおける植民地主義の問い直しに向けた動きとそれへのバックラッシュの相克を描いた、大変有益な論文であるが、『週刊朝日』の「いい加減にしろ!韓国人」の見出しについて考える上でも、重要な示唆を与えてくれる。 菊池は、現代フランスにおけるマイノリティー排除の論理を、「共和主義的レイシズム」として分析する、ピエール・テヴァニアンの見解を紹介している。菊池の文章を引用しよう(強調は引用者)。 「(注・テヴァニアンは)国民共同体の文化的マジョリティーの側が、「共和国」対「共同体主義」という虚構の二項対立を作り出し、フランス共和制の礎となる普遍的理念の名において、マイノリティーの排除を正当化しているというのである。

    共和主義的レイシズム――『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」補足② | 私にも話させて
    hokusyu
    hokusyu 2008/07/29
    さらに巧妙なのは、ヴィヴィオルカによれば、共和主義レイシズムは搾取を「遅れている人々が普遍理念を学ぶ代償」として正当化してしまうこと。
  • 韓国のインターネット新聞「プレシアン」での紹介(権赫泰氏) | 私にも話させて

    韓国のインターネット新聞「プレシアン」(ちなみに、岩波新書の『北朝鮮は、いま』は、ここでの連載をまとめたものである)に、私の論文と、その後の経緯等に関する記事が掲載された。著者は、権赫泰(コン ヒョクテ)氏である。権赫泰氏は、現在、聖公会大学日学科教授であり、日でも、しばしば『世界』『現代思想』などに、啓発的な論文・エッセイを執筆している。 その記事の全訳を下に掲載する。なお、掲載と訳文に関しては、権氏の確認を得ている。 「プレシアン」のような、(特に韓国リベラル・左派への)影響力のあるメディアに取り上げられたことの意義は大きい。記事内容も、非常に的確なものである。逆に言えば、こうしたことを言えない日のメディア・知識人とは一体何なのか、ということでもある。<佐藤優現象>に乗っかる護憲派メディアに遠慮しているのであろうが、それこそ、「在日朝鮮人に対する日社会の非理性的な攻撃について

    韓国のインターネット新聞「プレシアン」での紹介(権赫泰氏) | 私にも話させて
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