1月24日から、京急1000形17次車1613編成(6輌編成)の営業運転が開始された。 車体はステンレス製であるが、今回の17次車よりアルミ製の車輌同様に塗装が施されている。京急において塗装された新造車輌は約11年ぶりの登場である。
まずは11年半にわたるご愛読ありがとうございました。月初にご報告いたしましたように、定年退職に伴い、この「編集長敬白」も本日がラストランとなります。 思えばHTMLのタグの打ち方さえおぼつかないままスタートした「編集長敬白」ですが、回を重ねるにしたがって、ほんとうに多くの方にアクセスいただくようになり、Yahoo!やGoogleの検索でも、「編集長」と打ち込むだけで、トップに「編集長敬白」が表示されるまでになりました。なんのSEO対策も行っていないブログが、2千万以上の検索結果の頂点を維持し続けたのは奇跡的で、ひとえに日々ご愛読いただいた皆さんのお力以外の何物でもありません。 「平日帰ってきてからパソコンを立ち上げて真っ先に見るのが楽しみでした。」「毎晩の寝る前のひと時に何か穴が開いたような気分になるのかな、などと想像しております。」...等々、ありがたいメールも数えきれないほど頂戴してお
▲2005(平成17)年5月27日、「編集長敬白」はこの私のデスクの写真から始まった。 クリックするとポップアップします。 早いものでカレンダーは12月。私ごとで恐縮ですが、年明け早々についに還暦を迎え、本年年末をもって定年退職いたします。当然ながらこれにともない、小ブログ「編集長敬白」も年内で終着駅とさせていただきます。思えば足掛け12年、HTMLタグも知らずにスタートしながらも、多くの皆さんに支えられてロングランを達成することができました。あらためてお礼申し上げます。 ▲そして現在のデスク。この期におよんでここでも"定点観測"。 クリックするとポップアップします。 2005(平成17)年当時はブログが世間的にも新たなコミュニケーション・ツールとして脚光を浴びている、いわばブログの全盛期でした。アフィリエイト広告でブログを生業とする"ブロガー"さえ生まれ、個人ブログもPV(ページビュー)
▲後楽園駅を出発して本郷三丁目駅に向かう300形(310号車)を先頭にした淡路町行き。まだ高層ビルはなく、東京には大きな空が広がっていた。'56.4.29 P:宮松金次郎 (『東京地下鉄 車両のあゆみ』より) クリックするとポップアップします。 創業期から今日まで、東京地下鉄株式会社(東京メトロ)の歴代車輌の公式パンフレットをベースに、各形式、各次車の写真と解説を加えた『東京地下鉄 車両のあゆみ』がいよいよ30日(金曜日)に発売となります。 東京地下鉄株式会社 編著 公式パンフレットで見る 東京地下鉄 車両のあゆみ -1000形から1000系まで- A4判 276頁/オールカラー(カバー付) 定価:本体2,963円(+税) ▲戦前の渋谷駅で並ぶ東京地下鉄道1200形1232号(左)と、東京高速鉄道100形128号(右)。この写真の2年後に帝都高速度交通営団が誕生、両者は統合して銀座線となる
▲神戸市瀧道(現在の三宮駅前)に1933(昭和8)年に建設された三宮阪神ビル。瀧道から神戸税関まで直線でまっすぐ伸びる道路を走るのは神戸市電気局の400形単車。市電乗り場には先進的に地下への入り口が設置されている。この三宮阪神ビルは外観こそ姿を変えているものの、現在も駅機能を有したままそごう神戸店として盛業中。絵葉書所蔵:宮武浩二 クリックするとポップアップします。 三ノ宮駅東口駅前に建つ「そごう神戸店」。正面に掲げられた阪神電車三宮駅の巨大な案内表示から知れるように、地下一階は三宮駅として機能していますが、この建物、実は今から83年も前、1933(昭和8)年に建てられたもので、随所に昭和初期の駅の面影が残されています。今回も宮武浩二さんのレポートをお届けしましょう。 ▲現在の三宮阪神ビル。滝道の地名は三宮という駅名が有名となり、今では地元でも聞かれなくなった。P:宮武浩二 クリック
▲京浜運河に面した鶴見線海芝浦支線の最終端部。この付近は現在は「海芝公園」と称するミニ公園となっている。'79.4.21 海芝浦 クリックするとポップアップします。 改札口を出ることのできない奇妙な駅、海に面したいわゆる"秘境駅"としてメディアでもたびたび取り上げられている鶴見線の海芝浦駅。先日探し物をしていた際にふとこの海芝浦駅のネガに手が止まりました。 ▲海芝浦のホームで折り返しを待つ鶴見行き72系。国鉄末期にはクモハ12も鶴見〜海芝浦間の運用を持っていた。ちなみに一般人が立ち入れるのはこの構内踏切までで、画面左手はすぐに東芝の構内となっている。'79.4.21 海芝浦 クリックするとポップアップします。 時は1970年代末。17m車が激減したとはいえ、鶴見線はまだまだ旧型国電の天下でした。鶴見臨港鉄道を祖とする鶴見線は臨海部の工業地帯に深く入り込み、その最たるものが、一般乗客が駅構内
▲今日から始まった江戸東京博物館の特別展「東京オリンピックと新幹線」会場。'14.9.29 クリックするとポップアップします。 明日10月1日は東海道新幹線開業50年。その記念すべき日を前に今日から東京・両国の「江戸東京博物館」で特別展「東京オリンピックと新幹線」が始まりました。昨日、オープンを前に内覧会にお呼ばれいたしましたので、その展示内容の一部をお目にかけましょう。 「ニッポン中が沸いた、夢がある」と本展のキャッチコピーにもあるように、今から50年前の1964(昭和39)年は東京オリンピック・パラリンピックの開催、そして東海道新幹線の開業と、焦土の中から立ち上がった日本が大きなターニングポイントを迎えた年です。開会レセプションの中で行吉正一学芸員も語っておられましたが、この年は終戦からわずか19年しか経っておらず、同じ時間軸を現代に当てはめてみると、1995(平成7)年、つまりは阪神
▲601輌の最後に残されたのは南海の孤島・南大東島に保存されている大東糖業2号機。この小さなBタンクへの旅が足掛け8年にわたる"巡礼"の締めくくりとなった。 (『屋鋪 要の保存蒸機完全制覇』より) 屋鋪 要さんの連載「保存蒸機撮りつぶし」を一冊にまとめたムック『屋鋪 要の保存蒸機完全制覇』がついに完成、今週火曜日から全国書店で発売中です。 ▲巻頭にはかねてより親交の深い前原誠司もと国土交通大臣との対談を収録。白熱した蒸機談議はファン必読。 (『屋鋪 要の保存蒸機完全制覇』より) プロ野球選手として球場を沸かせた屋鋪さんが蒸気機関車の魅力に憑りつかれたのは11歳の頃。少年野球の合間にお父様に連れていってもらった関西本線や函館本線での撮影体験が、多忙な選手生活の中でも忘れられない趣味の原体験として脳裏に焼き付いていたと聞きます。 ▲錆にまみれて粗大ゴミ状態だったC56 149号機は連載中に見違
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