昨日、TwitterでTLにこんなものが流れてきた。 大嘘である。 こういう嘘がまかり通るのは大変良くないので、「君が代」に関する事実を書いておく。 まずは明治初期における制定の経緯について。 大山巌元帥が「君が代」の制定に深く関わっていたことはよく知られている。その大山元帥の証言[1]。 「頃ハ明治三年ノ末若クハ四年ノ初ナリシナラン、薩長其他ヨリ御親兵ヲ出シタ後、未ダ久シカラザル時デアッタ、自分ハ薩藩カラ出タ砲兵ノ隊長ヲ勤メテ居タ時ノ事デアル。外国ノ陸海軍ニハ各々軍楽隊卜云フモノガ有ルニ我国ニハ此頃マデ、マダ、其レガ無カッタカラ、新タニ、之ヲ置カネバナラヌト云フノデ、年齢十六七歳バカリノ青年二三十名ヲ選ンデ横浜二遣り、同地在留英国軍楽隊二就キ練習セシメタ。 其時、英国ノ楽長某(姓名ヲ記憶セズ)ガ、欧米各国ニハ皆其国々ニ国歌卜云フモノガ有ツテ、総テノ儀式ノ時二其楽ヲ奏スルガ、貴国ニモ有ルカ
あなたはすごい。そう言われることなどめったにない。日本人はすごい。たまに耳にするその言葉が心に刺さる(撮影/写真部・東川哲也) お笑い芸人のライブに、雰囲気は近いかもしれない。背筋を伸ばさないといけないような、その種の集会によくある厳かな空気は、まったく感じられない。だが、放たれるメッセージは、まぎれもない「尊皇」だ。 「天皇は神の子孫です。私たちはみんな、神の子孫なんです」 「日本の特徴は、君民一体という点にあるんです」 9月上旬の平日夜、慶応大学(東京)のホールで開かれた「竹田研究会」。重々しさも、堅苦しさも感じないのは、講師の竹田恒泰さん(37)によるところが大きい。 この夜のテーマは「君が代」。ステージ上の日の丸に深々と頭を下げて演壇に立つと、竹田さんは君が代が国歌となった経緯を解説し始めた。と思うと、もともとの和歌を、独特の節回しで歌い上げる。会場いっぱいの約250人から起こる大
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