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ブックマーク / reibola.com (11)

  • Vol.7 J1リーグ再開。そして、僕の右足首…。 | 昌子源 | REIBOLA

    7月4日にJ1リーグが再開しました。個人的には、右足首の状態が芳しくなく、ピッチに立つことはできませんでしたが、Jリーグやガンバ大阪のスタッフの皆さん、ガンバサポーター、サッカーに関わるすべての方の力を借りて再開できたことに感謝の気持ちを持ってこの日を迎えました。来なら、その思いをプレーで伝えたかったし、チームとしても皆さんの気持ちに勝利で応えるつもりだっただけに、ホームでの『大阪ダービー』に敗れたことは素直に悔しいです。と言っても、まだまだ戦いは始まったばかりなので、みんなでまた気持ちを揃えて次に向かいたいと思います。 さて、その右足首ですが…全体練習が再開した時には、もちろん僕も合流していたし、初めての『大阪ダービー』でガンバデビューをしたい! という思いで準備もしていました。なのに、右足首の痛みが消えず…。練習をしていてもそれが気になって、例えば、相手選手のドリブルに対して自分の間

    Vol.7 J1リーグ再開。そして、僕の右足首…。 | 昌子源 | REIBOLA
    jose_1126
    jose_1126 2020/07/08
    昌子源のコラム。焦らず治そう!
  • Vol.4 Jリーグ復帰の決断③ | REIBOLA

    戻るならここしかない、と思っていた赤いユニフォームのクラブ、鹿島アントラーズは、自分をプロサッカー選手にしてくれただけではなく、この厳しい世界を戦い抜く上で必要なことを心身両面で教えてくれたチームでした。在籍した8年間では素晴らしい仲間とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)やJ1リーグを始めとする数々のタイトルを獲得できたのはかけがえのない経験、記憶として残っていますし、言うまでもなく愛着は深く、今の自分があるのも鹿島のおかげだと思っています。 仲介人もそのことは理解してくれていて、真っ先に鹿島に僕の意思を伝え、復帰の可能性を探ってくれました。お世話になったクラブのユニフォームを着て恩返ししたいと思うのはある意味、プロとして当たり前の感情だし、だからこそ僕自身もどこよりも先に鹿島と話をするのが筋だと思っていました。そして何より、18年の夏にトゥールーズFCからオファーを受けた際にクラブ史上

    Vol.4 Jリーグ復帰の決断③ | REIBOLA
    jose_1126
    jose_1126 2020/05/25
    昌子源の発源力
  • Vol.3 Jリーグ復帰の決断② | REIBOLA

    診断が、3週間から6〜8週になった中で芽生え始めたメディカルへの不信感…。その中で唯一の砦となったのが「何件回っても同じ検査、診断しか出ないし、意味がないな」と思っていた病院回りの中で、最後の最後に「若い時に日で医学を学んだ」というドクターに出会えたことでした。そのドクターがチームドクターに「日の医療はすごい。僕は実際に日で勉強をしたからそれが分かる。彼を今すぐ日に帰して治療させるべきだ」と進言してくれたことで、ようやく帰国の許可が降り、僕は12月の末からに2週間、日に戻ることができました。と同時にその足で訪れたJISS(国立スポーツ科学センター)で検査を受けた結果、痛みの原因が明らかになったことも少し気持ちを軽くしてくれました。 その際に言われたのは「もともと源は足首が人よりかなり柔らかい。それによって他の選手なら靭帯が断裂するくらい足首をひねっていたのに、靭帯が大きく伸びただ

    Vol.3 Jリーグ復帰の決断② | REIBOLA
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    jose_1126 2020/05/25
    昌子源の発源力
  • Vol.2 Jリーグ復帰の決断① | REIBOLA

    暑くなってきました。みなさん、体調は大丈夫ですか? さて、前回お伝えしたように、今回はJリーグ復帰の決断について話をしたいと思います。 ガンバに加入する際の記者会見でも少し話しましたが、Jリーグの復帰を決意した理由の1つは、トゥールーズFCのメディカル体制にありました。その際は端的に「僕には合わなかった」と表現したけど、具体的な説明はしませんでした。ガンバへの加入会見の場で、トゥールーズの話に時間を割くのは違うと思ったからです。ただ、自分なりの決意と覚悟を持って臨んだ『海外』から日に戻るという大きな決断の理由をこのまま封印したくないと思い、ここで話すことにしました。 結論から言うと、トゥールーズのメディカル体制と僕が経験してきた日でのメディカル体制は大きく違いました。日で当たり前としてきたことが当たり前ではないというか…。もちろんそういった違いは海外に渡る前から覚悟していたし、トゥー

    Vol.2 Jリーグ復帰の決断① | REIBOLA
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    jose_1126 2020/05/25
    昌子源の発源力
  • Vol.1 連載、始めます。 | REIBOLA

    こんにちは。昌子源です。「Stay home」の毎日。みなさんいかがお過ごしですか? 僕はといえば、家にあるランニングマシンで走ったり、子供や犬とベランダで遊んだり。たまに人気の少ない近所を散歩したり、とできることを、できる範囲でやりながら過ごしています。チームメイトとも会えない日々が続いているけど連絡は…特にとっていません(笑)。基的に他の選手がどんな調整をしているのか、気になるタイプでもないし、試合に絡み始めたプロ3年目くらいから自分の体としっかり向き合ってコンディションを作ることを続けてきたので、今もそのマインドで調整を続けています。 思えば、プロになりたての頃はオフシーズンの過ごし方がわからず、毎日走り、ボールを蹴って、シーズンインのキャンプには誰よりもコンディションがいい状態で臨んでましたが、そこがピークでは意味がないと気づいたというか…。そのことを周りの選手から学び、体を休め

    Vol.1 連載、始めます。 | REIBOLA
    jose_1126
    jose_1126 2020/05/25
    昌子源の発源力
  • Vol.10 ガンバ大阪/MF小野瀬康介 | REIBOLA

    ■ 東京8ブロック選抜では「全く目立たなかった」。幼少の頃は、引っ込み思案で恥ずかしがりやだった。幼稚園の時にボールを蹴る楽しさに惹かれて東京チャンプフットボールクラブに入った時も、最初はその性格から1年近く、仲間の輪に入っていけなかったそうだ。 「幼稚園が終わった後に、ボールを蹴るという程度のことしかしていなかったけど、最初は一緒にサッカーをやりたいのに、お母さんの後ろに隠れてただ練習をみているだけでした(笑)。でも1年くらい経って、年長組になった頃にはようやく環境にも慣れ、友達の輪に入っていけるようになった。その頃は何に対しても一歩目を踏み出すのに時間がかかるというか…だから、サッカーに出会えなければ、ずっと一人で遊んでいたかも」 小学生になるタイミングでミッキーSCに加入したのは、近所に住んでいた、仲のいい従兄弟が先に加入していたから。その時も最初は引っ込み思案が顔を出したが、ひとた

    Vol.10 ガンバ大阪/MF小野瀬康介 | REIBOLA
    jose_1126
    jose_1126 2020/02/21
    大田区出身
  • Vol.7 東洋グリーン株式会社 エンジニアリング部西日本管理課/濱田真也 | REIBOLA

    2016年よりガンバ大阪のホームスタジアムとして格的に稼働したパナソニックスタジアム吹田。同スタジアムや練習場の芝管理を担当する濱田真也さんに、芝を健全に生育させるにあたっての苦労や難しさなどをお伺いしました。 ーお仕事内容を教えてください。 濱田 弊社はスポーツフィールドや学校、公園などの『芝生地』の造成や管理などを主な業務としていて、サッカー絡みの事業としては、ガンバ大阪さんのホームスタジアムであるパナソニックスタジアム吹田(以下、パナスタ)を始め、Jリーグで使用している各スタジアムや練習場の芝を管理しています。 ー濱田さんのご担当は? 濱田 今はガンバさんの担当なので、パナスタや練習場の芝管理を行っています。僕を含めたスタッフ7名で常時、3面の芝の状態を共有しながら、選手の皆さんに1年間を通してより良いコンディションでプレーしていただけるように、可能な限りの手を尽くしています。おか

    Vol.7 東洋グリーン株式会社 エンジニアリング部西日本管理課/濱田真也 | REIBOLA
    jose_1126
    jose_1126 2019/08/29
    パナソニックスタジアムの芝管理担当
  • Vol.4 ガンバ大阪/MF遠藤保仁 | REIBOLA

    ■ 日人初の公式戦1000試合出場を達成。その偉業を支えたのは『頭』。その人は、1000試合目もいつも通りの雰囲気を漂わせて、ピッチに登場した。 ガンバ大阪の遠藤保仁だ。J1リーグ21節『ヴィッセル神戸VSガンバ大阪』戦。中盤のアンカーにポジションを取ると、ゲームの流れ、相手の立ち位置を見極めて細かくポジション修正を図りながら、前線へパスを配る。相手にプレッシャーをかけられても焦らない、慌てない。かと思えば、瞬時にスピードを上げてボールを奪う。残念ながらそのプレーを勝利には繋げることができず、2−2の引き分けで終えたが、試合後はいつものように表情を変えることもなく、ゆっくりとした口調で戦いを振り返る。『偉業』の達成にも冷静で、静かに感謝の思いを口にした。 「素直に、嬉しく思います。長くやってこれたから実現できた。家族や仲間、スタッフなど、いろんな方にサポートしてもらってこその数字なので、

    Vol.4 ガンバ大阪/MF遠藤保仁 | REIBOLA
  • 中澤聡太×MF家長昭博(川崎フロンターレ)<前編> | REIBOLA

    現役サッカー選手と元サッカー選手によるREIBOLAスペシャル対談。 第3回目は、昨年、川崎フロンターレのJリーグ連覇に大きく貢献し、自身もMVPを獲得した家長昭博と、現在は仲介人としてセカンドキャリアを邁進する中澤聡太が過去、現在、未来を語り合いました。 同じチームへの在籍は、ガンバ大阪時代の1年半という短さながら、今でも親交の深い二人がその胸の内を赤裸々に明かします。 (取材日/2019.05.29) 中澤聡太(以下、中澤) 今日は…このコーナーの第一回目に登場した加地亮と二川孝広(FC TIAMO枚方)を超える写真を撮ろうって企画だよね? 家長昭博(以下、家長) え? あのバイクに乗った写真? …なら、余裕で超えられるでしょ! 中澤 あれ? ハードルを上げちゃった? さすがやるときはやる男。やらないときは全くやらない男。いま、どっちのアキなの? 家長 前者のつもりです(笑)。 中澤 

    中澤聡太×MF家長昭博(川崎フロンターレ)<前編> | REIBOLA
  • 加地亮×MF二川孝広(FC TIAMO枚方)<後編> | REIBOLA

    (取材日/2019.04.15) 加地 で、実際のところ、どうなん?カテゴリーが落ちればいろんな違いが出てくるだろうけど、その中で自分はどういう感覚でプレーしているの? 二川 正直、今はまだあまり深く考えていないです。これまでもそうでしたけど日々、やるべきことをやっているだけで、自分の中に大きな変化はない。選手によっては…例えばさっき名前が挙がった英雄なんかは、めちゃめちゃ情熱的に周りの選手にも指導しながらプレーしていて、そういう姿を見ると自分も元Jの選手として、そういう役割も必要かなって思うこともゼロではないけど、いざ練習に行くとこれまで通り淡々とプレーして1日が終わる(笑)。そう考えると、Jリーガーだった時代と何ら変わらない毎日です。 加地 フタがめちゃめちゃリーダーシップ持ってやっていたら逆に気持ち悪いしな。ガンバにいた時だって『10』こそ背負っていたけど、俺らが必死に走りまくって前

    加地亮×MF二川孝広(FC TIAMO枚方)<後編> | REIBOLA
  • 加地亮×MF二川孝広(FC TIAMO枚方)<前編> | REIBOLA

    現役サッカー選手と元サッカー選手によるREIBOLAスペシャル対談。 今回は、06年から約9年半にわたって同じガンバ大阪に在籍した元チームメイトの二人が、サッカー人生について語り合いました。 (取材日/2019.04.15) 二川 久しぶりです。 加地 何年ぶりだっけ? 二川 最後に会ったのは16年だと思います。味スタで対戦したJ2リーグの『東京ヴェルディ対ファジアーノ岡山』戦。奇跡的に僕も加地さんも先発でした。 加地 あったね! 17年は…岡山ホームの試合はフタがメンバー外で、ヴェルディがホームの試合は俺がメンバー外やから、会えてないしな。 二川 そうですね。ご無沙汰しています。 加地 何?その他人行儀な感じは? 二川 いや、他人なので(笑)。 加地 とか言いながら、引退を決めた時にはわざわざ電話をくれてありがとう。 二川 フフフ(笑)。 加地 フフフ、ちゃうわ。電話なんか来てへんし、

    加地亮×MF二川孝広(FC TIAMO枚方)<前編> | REIBOLA
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