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ブックマーク / islecape.hatenadiary.com (14)

  • CDシュレッダーは…まあ…やっぱり…必要ない…かな?(処分対象が百枚単位でなければ…) - そこにいるか

    前回の記事で、赤子の手をひねるがごとくCD-Rをおしゃかにしてご覧にいれましたところ、id:sisyaさんがはてなブックマークで言及していわく「この手法はDVD以降のディスクには使えない」 http://b.hatena.ne.jp/sisya/20130404#bookmark-139271630 えっ、と思いました。 なぜならば、僕ははとりあえず百枚単位で溜まっていたCD-Rのほうを順繰りに処分していたので(←CDシュレッダー買えばいいのに)、まだDVD-Rに手を付けていなかったのでした! しまった。DVDもBDも同じようなものだろうと考えて、いっしょくたに言及していました。 というわけで、とりあえず手近のDVD-RWを手に取り、前回記事よろしく切り込みいれてクラフトテープを貼りつけてみたのですが、なるほどたしかにCD-Rのときのようには剥がれないではありませんか。 しかたがないのでち

    CDシュレッダーは…まあ…やっぱり…必要ない…かな?(処分対象が百枚単位でなければ…) - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2013/04/04
    『とくに大慌てで書くほどのことでもなかった』前回記事の訂正部分だけで終わってたら、何が何を何で『DVD以降のディスクには使えない』のか解らず眠れなくなるとこでした。寝ます^^;
  • (CD-Rの処分に)CDシュレッダーは必要ない(処分対象が百枚単位でなければ) - The cape of an island

    記録型のCD、DVD、Blu-rayなどといった円盤メディアに記録した内容情報を秘匿したまま十枚かそこら処分する場合、わざわざ専用のシュレッダーを買わなくてもいいんじゃないの? という話をします。 (何十枚、何百枚あるという場合はおとなしく買った方が身のためです) ※追記:なんと、以下に書く方法が有効だったのはCD-Rだけでした! のんびりCD-Rだけ処分していたので気づきませんでしたが、id:sisyaさんののブックマーク http://b.hatena.ne.jp/sisya/20130404#bookmark-139271630 を拝見してDVD-Rで試していないことを思い出し、以下の方法をこころみたところ、DVDは構造上もうちょっと面倒くさいことになってました(処分可能ではあったものの、へたすると破片が飛び散るなど危険)。ブルーレイはまだ未検証です。ということで、CD-Rの処分にC

    (CD-Rの処分に)CDシュレッダーは必要ない(処分対象が百枚単位でなければ) - The cape of an island
    kananaka
    kananaka 2013/04/04
    イルカかわえ~!ふぅふぅ萌え~!とか思いながらスクロール→べりっ、えっ、の辺りで鮫さんだったかと我に返った。一つ新たな世界を垣間見た。
  • 「人生とはこういうものでしょう」 - そこにいるか

    冬は好きだが、寒さを覚えて古傷が疼く季節でもある。 その疼痛を増幅させるような話を聞いた。「歩道を走る自転車と歩行者の事故」が目立つといって、警察が「自転車は原則として車道を走る」よう指導を徹底する方針らしい。あらかじめ断っておくと、僕は「自転車が歩道を走ってなにが悪い」と主張するものではない*1。むしろ小学生の時分から車道を走る自転車乗りであった。 それで事故にあってしまう。 小学生のころ。眼科で初めてコンタクトレンズを処方された帰り道、自転車で帰宅する途中だった。進行方向に合わせて左車線を走行し、車道と歩道が明確に分離していない(ガードレールのない)狭い道路に駐車されていた軽トラックを避けて通りすぎようとしたとき、軽トラックのドアが突然開き、非常に悪い偶然で左足膝上に裂傷を負った。さらに、右側に吹き飛ばされたにも関わらず(左利きのため)とっさに頭をかばって出たのが左手だったので、折れた

    「人生とはこういうものでしょう」 - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2011/12/11
    私も駐車中のタクシー運転席が突然開き同じ事態になったことが。傷口から骨が見えた時の境地は、今思えば『これは迷路ですかそれとも脳味噌ですか』だったに違いありません。ご無事で何よりでした。
  • 「中国嫁の差別性」によせて - そこにいるか

    ※追記:フォロー記事書きました 「中国嫁」の落穂ひろい(一年ぶり二度目) http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110810/yome こちらのほうがいくぶんすっきりしています。文章量、はんぶん。 ※冒頭補記(2011.8.3 16:23) こんにちは。この記事を書いて2日後のislecapeです。 そもそもこの記事では、回りくどくも「中国嫁」が「差別とは思わない」と言っているので、「中国嫁が差別とかなに考えてんだ」というような感想は送っていただかなくても結構です。ああ……タイトルが悪いんですね。"「中国嫁の差別」(という非難)によせて"とすればよかったんですね……(なんかこのパターンは前もあったような) ※冒頭補記その2(2011.8.6 19:40) こんにちは。この記事を書いて5日後のislecapeです。 この記事がいつのまにか「中国嫁」の検索でかなり上

    「中国嫁の差別性」によせて - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2011/08/03
    『我々が生きているのは、「50Pのカラー漫画を読んで(脳が)疲れる読者には配慮するけれども、"嫁"という言葉に引っかかって(精神が)疲れる読者のことは顧慮しない社会』引用したい箇所多すぎて悪戦苦闘し諦めた^^;
  • サメとともにありぬ - そこにいるか

    「トラックバック」の意味もわからずにとりあえず始めてみたYahoo!ブログの、その表現しようのないあまりのあまりさにびっくりして*1、(exciiteブログも試しつつ)はてなダイアリーに来たのが3年前、2008年5月30日のこと。 エスツェット 悪のシンジケート「腐乱鐘呪」(ふらんべるじゅ)によって生み出されたスーパーサイボーグザメ。 宇宙警察の手入れによって組織が壊滅したあと社会復帰プログラムを受け、シェイクスピア研究を専攻し大学院に進学するが、指導教授のイヌとオセロー解釈の違いで対立し中退。汎ユーラシア共同体の植民惑星・海洋惑星オケアニスで海賊となり、その地で代理戦争をする国連やアメリカ大陸連合の以下略(うろ覚えによる再現)……というような自作のサメキャラクターイラストをアカウント画像として使るため、たまに呼びかけられるときに「サメ」扱いされる。最初「サメ」呼ばわりされたときは「なんの

    サメとともにありぬ - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2011/06/01
    「この鮫がいいね」と君が言ったから五月三十日ははてな記念日……と支離滅裂な贋作なんぞブコメに残す。祝三周年のエントリも、小気味イイ言い回しと演出でした。またぺんぺん広告草が生えるまでに^^
  • 「メディア」であるということ - そこにいるか

    この一か月、複数の用事で忙しくしていたけれども、ひとまずかたがついた。結果はどれも残念としかいいようがない感じに終わったが、まあ、いろいろあったのでしょうがない。最低限の義理は果たした(=単に「投げ出してない」という程度の意味)ということで自己満足はしている。4月1日には『もし高校野球の女子マネ以下略』をおちょくったエイプリルフールネタでもやろうかと思っていたのだけれども、それはいずれまた。 地震の直後、「これがソーシャルメディアの試金石になるだろう」云々というようなことをTwitterで書いておきながら、自分では(おおかた情報過多になるだろう)と無責任にもそれきり離れていた。風の噂によると評価を上げた人もいれば、評判を落とした人もいるようで、いろいろだなあと思う。僕についていえば、わりといつもどおりに過ごしている。いくつかの周辺機器が壊れたくらいだ。終わらなかったものは、いろいろどうにか

    「メディア」であるということ - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2011/03/21
    同意。夫々の立場で、夫々のアプローチの仕方があって、その多様性を広げてくれたのが『メディアとなった個々人』の強みであり、各々がメディアとなりうる自身の責を問わねばならない厳しさでもあると思います。
  • 残雪夜録 - そこにいるか

    雪は積もらなかった 降ったのがそもそもまちがいだったのかもしれないといえるような気候だった 日陰に隠れているうちに、わずかばかりの塊もみるみる消え去り 日が落ちても、気温は下がらず―― (ひとり/ただくずれさるのを/まつだけ) …… 目のくらむようなまぶしさ に とうとう朝が来たのかと覚悟したが そうではなかった これが夜か まだ太陽は眠っている 最初で最後の機会だった いろいろなものを見てまわろう 一歩、踏み出すことにした 初めて見る、よくわからないものを楽しみ…… 滅びゆくものにシンパシーを抱き…… 未来の不確実さを思―― なんかデジャヴを感じた …… ちょっとひといき 上出来だ 太陽に睨まれていたら、こうはいかない 吸血鬼の気分というか しかしその一方で 月が霞んでいるのは気になった 眠る時間も惜しいというかのように―― 一人ひとりが、夜に月を必要としているということで―― その、一

    残雪夜録 - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2011/02/18
    このシリーズ、大好き。今年も小さな雪だるま(氷だるま?)くんと、かつてワタシの庭でもあった風景を共に旅できた幸せに感謝。小さな雪だるまくんとワタシ、あの街のどこかですれ違っていた、と信じてる。
  • 手のうちを明かすということ - そこにいるか

    当たり前のことだが、この世界に自分と同じ人間はいない。 たとえ「遺伝子がまったく同じ」という一卵性双生児であっても、100%同じ経験はしない。遺伝子は同じでも、その生育歴が双子をまったく別の人格に育て上げる。 生活上の好みや些細な癖から、政治信条・信仰する宗教まで、どんな少数派であろうと「考え方が近い」人というものは、もちろんそれなりにいる。特にインターネットがその傾向を加速させたというが、同じものを愛好する人は、どんなマイナーな分野であろうと存在し、そのものの愛好者として居場所を見つけることは、難しくなくなってきている*1。 だが「自分と(まったく)同じ人間」は、やはりいない。 Webでの沈黙は「非存在」と同義で――単に新聞やテレビの代替など情報入手手段として利用するならともかく――ソーシャルメディアにおけるROMに「存在感」というものは決してない。必然的に、なにかしらを表現することで、

    手のうちを明かすということ - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2011/01/28
    考えさせられた。『場の手札』を温存したがる自分のチキンぶり&アンフェアさに打ちのめされて、ペンディングエントリが溜まってゆく。これもまた、別方向の『宿業』なのだろう。
  • 言語は思考を規定する。言語が思考を阻害する。 - そこにいるか

    前回のエントリで、自分の素人創作について語ったのと相前後して、妙に「処女作」という言葉をあちこちで聞いたので、もともと気になっていたこともあり、ひとこと書いておこうと思う。 何が気になったのかというと、 しかし、作る前が処女だったわけで、発表してしまっているんだ。正しくないんじゃないのか。たとえば出版物であったなら、屋に並ぶまでにも多くの人の目に触れ手を渡る。その過程そのものはすでに処女喪失のイニシエーションだ。 出版によって、処女だったその作家は大人になるのだ。つまり、その作品は処女作ではなく、処女でなくなる一歩だったのだ。 これからは処女作と呼ぶのはやめて、破瓜作と呼ぶのはどうだろう。初めて作ることの痛みや喜びも表現できる言葉だと思うのだ。人によっては失望を味わうこともあるし。 処女作 - 中野の鼻 http://www.argas.net/~nakano/item/1633 いや、

    言語は思考を規定する。言語が思考を阻害する。 - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2010/10/19
    『言葉には制約があり、森羅万象をすべて言い表すことはできないし…我々自身の限定された観念を超えて表現することもできない。だからこそ、ひとこと発するだけでも気を使いたい』制約の中で試行錯誤するのも又楽し
  • アンジーのゲーム - そこにいるか

    「私の友だちなんて、もう二週間も行方不明だよ」 ええっ。私はかなり驚いた。老人界では、そういうことはよくあることなのか? 「いやあ、徘徊老人のために警察は動いてくれないしねえ。いつものことだから、家族ももう諦めてるみたいだよ」 「でもさすがに二週間はまずいんじゃ……。例のアナウンス*1はかけたんですか?」 「うんにゃ」 なんでもないことのように、おばあさんは首を振った。自発的楢山節考というかなんというか、老人たちの潔さにたじろいでしまう。もしかしたらこうやって、人知れずどこかへ消えてしまった老人はたくさん存在するのだろうか。死亡届も出されないままで、市役所の戸籍係が、「あれ、この人、今年で百四十五歳だぞ?」と首をひねるケースが多くあるのかもしれない。 三浦しをん『人生激場 (新潮文庫)』*2 百四十五歳どころではなかった。 今や国内最高齢記録は200歳に達した。人類は、まったく意識しないう

    アンジーのゲーム - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2010/08/29
    子どもならぬ超高齢者対象のハーメルンの笛吹きの謎を見るような想いでいたところ、『アンジーのゲーム』とは…笑 彼らが幸せに暮らす共同社会が何処かにあればいい。
  • なにを見てもなにかを思い出す

    via http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090514/p1 case1 もう15年も前のことだが、「ナタ・デ・ココ」なる材が流行ったことがあった。僕自身は子供だったので、どれほどの流行だったか肌で感じることはなかったが、それでも「ナタ・デ・ココ入りヨーグルト」はかなりべたような気がする。 御多分にもれず流行は瞬く間に去った。ブームが去ったことを意識することすらなかったが、しばらくして朝日新聞(毎日だったかな?)にナタ・デ・ココ騒動を追ったレポートが掲載された。借金をしてまで揃えたナタデココ生産に必要なカゴだか箱だかを積み上げたフィリピンの生産者が恨めしそうにしている写真とともに、「流行の担い手が移り気なOLたちなどということは思いもしなかった」というようなことが書いてあった*1。 今でもときおりカップヨーグルトの中に入っているのを見かけるが、その都度あ

    なにを見てもなにかを思い出す
  • 「私」と「公」のあいだ(Twitterにおける情報選択の困難さについて) - そこにいるか

    Tweak Twitter上で発言をフォロー(購読)している人が増えてきたからか、あるいは、フォローしている人たちがTwitterというメディアに「慣れた」せいなのか、僕の個人的な観測範囲内でもかなり直截的な性の話題が目につくようになってきた。 旧来型の受動系メディアでは、どんな情報の送り手がどういう情報を作るかを100%コントロールすることはできない。そのかわり、飛び込んでくる情報はある程度スケジューリングされており、そのことを考慮しつつ受け手が選ぶことはできる。なら読む前に選べばよいし、テレビならチャンネルを変えればよい。 しかし、Twitterの場合、基的に「この人の発言を追いかけよう」とフォローした人(アカウント)の投稿が一律にずらっと並ぶ「タイムライン」がコンテンツのすべてである。「常に性的な発言をする人を快く思わずフォローしない」ことはできるが、「自分がフォローする人が性的

    「私」と「公」のあいだ(Twitterにおける情報選択の困難さについて) - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2010/03/10
    自分がTwitterを始めるのを躊躇する理由が、まさにここに^^; 自分の「私」と他人の「私」、どれも「私」であり「公」である
  • 残雪録 - The cape of an island

    「ここなら、二日は持つだろう」 そんなふうに言われて もちろんわかっていた それでも、ひとつところに留まってはいられなかった 林立するいくつもの塔 このうえまだ建てるつもりらしい 横を駆け抜けた子供たちは、雪を初めて見たようなはしゃぎぶり 次に雪を見るとき、彼らはもう分別をつけて、関心のないそぶりをするだろうか あるいは、当に関心を持たなくなっているだろうか そして それはいつのことだろうか …… 未来はわからない 当にわからない でも…… 確実なことは、もちろんある いいんだ、覚悟のうえだったんだから さよなら またいつか

    残雪録 - The cape of an island
    kananaka
    kananaka 2010/02/06
    ←ただし小さな雪だるまくんの。 可愛らしくてちょっと切ない、大人の絵本のようなストーリー^^
  • 東京鮫紀行〜初詣篇(仮) - そこにいるか

    あんまり天気のよくない隅田川…… どうも。鮫です。後ろにボケて写っているのは永代橋です。 正月のうちに、と、一月三日、初もうでに行きました。 七草のいまだに頭が正月気分なので、もっとあとで行ってもよかったんですが、そうなるとこのエントリの投稿が来年のお正月になるおそれもあったため、重い腰をあげました。 もっとも、当は一月一日に行くはずだったんですけど。 ま、とにかく、 初もうで…… 早く景気がよくなりますように…… じゃなくて 東京証券取引所のはす向かいにある兜神社というところです。 ふむ。 兜。 なんで兜なのかはよくわからないのですが(平将門の兜を埋めた塚を祀ったとかなんとか)、とにかく「日橋兜町」という名前の由来になった神社ではあるらしい。 兜岩というのもあります。 ↑これが兜岩なのかな、と思わせておいて、 ↑その右手にあるこっちが物。これまた由来がよくわからないのですが……。

    東京鮫紀行〜初詣篇(仮) - そこにいるか
    kananaka
    kananaka 2010/01/08
    初詣に行く余裕もなかった身に、大変ありがたいエントリ。これで今年一年、後方の憂いなく疾走(鮫さんの場合は疾泳?)できます^^ お互い良い年にいたしませぅ♪
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