今週木曜にIPOを予定し、日本上陸もささやかれるLinkedIn。彼らの売り上げの構成についてのチャートをご紹介。LinkedInの売り上げに関する記事をいくつか見てみたけれど、このチャートとだいたい一致してた。求人のライセンス料が40%、登録ユーザの会費が25-30%、広告やパートナーからの売り上げが25%くらい。
以前に紹介したヤンデックス(ティッカー:YDEX)がIPOロードショウをキックオフしました。 同社は1997年にサービスを開始したロシアのサーチ・エンジンの会社です。 同社の創業者はアルカディ・ヴォロズとイリア・セガロビッチの2人です。 ロシアには昔から数学や科学に熱心だという伝統があり、この分野では豊富な人材を抱えています。 サーチ・エンジンを開発する際にはマシン・ラーニング(コンピュータの学習)が基礎的な技術となります。その根幹を成すサポート・ベクター・マシーン(SVM)はロシアで開発された技術です。(グーグルもこれに基づいています) もうひとつの重要な技術はブースティングと呼ばれる技法で、こちらもたいへん難しいです。 ヤンデックスはこれらの両方を持っており、「総合的な技術力ではグーグルに劣っていない」と自負しています。(グーグルの創業者もロシア系であり、その意味でライバル意識がムキダ
前の記事 『しんかい』を超え、「最深の海底」に挑むVirgin(動画) 中国の大手SNS『人人网』、米国でのIPOに成功 2011年5月 6日 経済・ビジネス コメント: トラックバック (0) フィード経済・ビジネス Sam Gustin [加入には実名、誕生日、学生/会社員などの登録が必要] 中国のインターネット・ソーシャル・ネットワーキング大手で、「中国のFacebook」とも呼ばれる『人人网』(RenRen、ティッカーシンボルはRENN)が5月4日朝(米国時間)、ニューヨーク証券取引所に上場。株価は午前の取り引きで40%も上昇した。米Morgan Stanley社、独Deutsche Bank社、それにスイスのCredit Suisse社等が、IPOの「グローバル・コーディネーター」となっていた。 [人人网(RenRen)は1.5億人の会員を持つ中国最大規模のSNS。日本のミクシイ
上場ソフトウェア企業100社を分析した2009年のデータ。IPO Dashboardによると、資金に困る企業がIPOすることで資金調達をするという方法は2000年には死んだと。とはいえ、多くの企業がそのIPO当時利益を生んでいない。儲けがない企業がIPOするとどうなるのか。 米国時間14日にはZipcarが10億ドルの評価額でIPOをした。彼らはここ2年儲けなし。以下のCHART OF THE DAYのチャートを見てもわかるように、短期でみると利益のある/なしは関係ない。これは特にテクノロジー企業にいえること。ただし、当然ながら時間が経つにつれてその株価は下がり、利益をあがている企業の株価が強力になる。
ウォールストリート・ジャーナルによると「中国のFacebook」、レンレン・ドットコムが米国株式市場でのIPOに向けて準備に入ったのだそうです。 レンレン・ドットコムのIPOを引き受ける幹事団はモルガン・スタンレー、クレディスイス、ドイチェバンクです。 なおレンレン・ドットコムを運営しているのはオーク・パシフィック・インタラクティブ・コープで、そのオーク・パシフィックの主要株主はソフトバンクです。 シャオネイ・ネットワークはもともと精華大学やデラウエア大学の卒業生によってはじめられたソーシャル・ネットワークでしたが、後にインターネット専門の投資会社、オーク・パシフィックに買収されました。そのオーク・パシフィックは2008年にソフトバンクから4.3億ドル(持ち株比率35%)の出資を受けています。
ミクシィは8月14日、東京証券取引所マザーズ市場に新規上場を申請し承認された。上場予定日は9月14日で、証券コードは2121。 これまで、「株式の公開・上場の準備を進めている」と公言してきた同社だが、いよいよその上場が現実となった。 上場にともない、4500株を公募し、2100株を売り出す(オーバーアロットメントは500株)。公募・売り出し価格の仮条件は8月25日に決定され、ブックビルディング期間は8月29日から9月4日までとなっている。公募・売り出し価格の決定日は9月5日。主幹事証券会社は大和証券エスエムビーシー。 ミクシィは1999年に有限会社イー・マーキュリーとして設立された。代表取締役の笠原健治氏が大学在学中に提供開始した求人情報サイト「Find Job!」を運営する。2000年10月には株式会社化し、2001年にプレスリリース配信代行サイト「@Press」の運営を開始(2005年
わずか十年前まで、日本では「失敗しても返さなくていいお金」(リスクマネー)で若者たちがベンチャーを起こして冒険することなどできなかった。何かの理由で資金を潤沢に持っていない限り、個人保証を付けて借金しなければ起業することなどできなかったのである。 私は二十代の頃から起業志向が強かった。しかし、個人保証付きの借金をしてまで起業などしたくなかった。ビジネスと家庭生活はきっちりと分けたかった。ビジネスの失敗が原因で、倒産直前に配偶者に債務が及ばないよう離婚を余儀なくされるとか、その後の長い人生、大きな借金を返しながら生きるなんて絶対に嫌だった。九〇年代前半、「失敗しても返さなくていいお金」で起業冒険できる仕組みがあったのは、世界中でシリコンバレーだけだった。私はそれに感動して、この地に移り住んだ。 しかしこの十年、世界がシリコンバレーを学び尽くし、各国が独自にアレンジを加え、起業家主導型経済
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