千葉×FC東京の後半はどうした、という話もありますが 気が向いたら書きます。FC東京の魅力は、 あの後半のめちゃくちゃなひらきなおりだと思うのですが そういう特徴って大切なことだと思います。 それはまあ、おいておいて。 Jリーグ規約第42項、いわゆる「最強チーム規定」について。 再考っていうからには一度考えたことがあるわけでした。 ナビスコで柏がプランBで望んだときの話ですね。 「最強チーム条項」よりも大切なこと。 リンク先でも書いていますが、 実は私は、この条項自体は無意味なものと考えていません。 補足基準は折に触れて変更を要するかもですし、 補足基準があるから、規定に触れていないからいいじゃんとか でているメンバーがベストだ、という、 冷静に考えればやっぱり詭弁だよな的な話が 出てきてしまうということもあるんですけれども。 でも、補足規定があることは、運
もう一波乱、やっときます。(あいさつ) 天皇杯ではJ2の上位4チームが揃って 下部リーグのチームに負けるという、 宇都宮さんいわく「波乱」というか「予定調和」があって また物議を醸しそうです。 昇格のためにリーグ戦を優先した4チームは メンバーをほぼ総取っ替え。 話題になってる最強チーム規定には天皇杯が入っていない関係で メンバーを落としても規定には反しません。 ていうか、天皇杯はJリーグの規定が 関与するところとは言えないはずですから 当たり前っていえば当たり前なんですけれども。 メンバー落としてもさすがプロ、ということを見せることはできず さりとてしかたがないと思う部分もあって、 即興で組んだチームで簡単に勝てるのならば、 連携とか戦術とか、ほとんど意味ないはずです。 むろん、僕は昇格をねらう札幌サポなので 現場が取った行動に文句はありません。もっとや
ウェブサイトはHTMLをブラウザが描画して見るもの、と思っていた時代がそろそろ終わりに近づいている。 ウェブ標準が提唱され、HTMLはXHTML+CSSとなり、今までソースを汚していたTABLEタグ、イメージ情報等は排除され、HTML自体が純粋にデータと意味のみ記載されたマーキングアップテキストになってきている。 利点でもあり欠点でもあるのだが、wwwに公開されているもの、というのは基本的には全て「もっていく事が可能なデータ」である。いままでも、正規表現等を駆使して、目的のサイトをスクリーニングする事ができたのだが、各サイトによりバラツキがあり、統一のフォーマットというものがなかった。 しかしホームページの多くがブログ化されたことにより、今多くのウェブサイトは一定のフォーマットにより決められた書き方をされている。 上記したようにHTMLがデザインを切り離し、フォーマット化されたことにより、
ブロガーが絶大な信頼を寄せる「社会実情データ図録」 今やインターネットには星の数ほどのウェブサイトがあふれ、検索サイトを使えば誰でも知りたい情報を容易に探せる時代だ。しかし、その一方でインターネットには必ずしも正しいことが書かれているとは限らず、都市伝説や常識の誤認識などもあとを絶たない。 あるウェブサイトで「真実」と言われる情報でも、その分野に詳しくない人に取っては真偽を見分けるのは難しい。ましてや個人サイトからの情報発信となると、情報の信憑性を低く感じてしまう人もいるかもしれない。 そのような状況にあって、多数のブロガーや読者から絶大な信頼を得ているのが「社会実情データ図録」だ。官庁や国際機関、新聞社などが作成したさまざまな統計データをまとめたウェブサイトで、大手ポータルサイトもたびたび引用している。顔の見えるインターネット第8回は、その管理人・本川氏に、情報を取捨選択する極意について
人のことを本気で好きになったことがない。 多分、自分が未成熟で、自分のことで手一杯だからなんだろう。恋愛にアンテナを立てる余裕がない。趣味はある。これは多分、逃避と紙一重。 たとえば一生誰のことも好きなれなくてもかまわないけど、せめて家族のことは愛したいと思う。でも未だに父親のことを愛せない。そんな風に思っている自分のことも好きじゃない。悪循環だと思う。でも素直になれないし、お前なんか死ねと言われたことは未だに自分の中に大きく残っている。父はよくそういうことを言う人だし、きっと言ったことも忘れているだろうが、私は忘れられないし、許そうと思っても、なかなか気持ちがついていかない。 自分のこと好きじゃない人間を、愛してもらおうなんて虫が良すぎる。そもそも恋愛のアンテナを立てる余裕のない人間だから、誰かに愛されたいという希望は端から持っていない。せめて相手に不快感を与えないように、優しく人当たり
Posted by nene2001 at 14:15 / Tag(Edit): kids education / 3 Comments: Post / View / 1 TrackBack / Google Maps もう数ヶ月前くらいのことになるけど。 幼稚園の保護者会に出ていると、同じクラスの保護者から動議が挙がった。 なんでも、クラスの部屋の真ん中に、人糞が落ちていた、ということが複数回あったと言う。 子供を預けている場でのそのような衛生上の問題に対し、再発防止の策はとったのか、犯人の子を突き詰めてそのような反社会的行動を取らないようにという徹底的な指導はしたのか、反社会的だということを理解させるには陰で叱らず他の子供の前ででもちゃんと叱らないとダメだろう、といったようなことを、先生をつるし上げるような形で問い詰めていた。 俺個人的な感覚では、部屋の真ん中に人糞が
ネットだと散々ネタ扱いされているけれども、新條まゆという作家は侮れない。読者のニーズや流行を一歩も二歩も早く察知する探究心と、サービス精神は赤松健クラスじゃないかと思う。そして思春期女子を問答無用で黙らせる力技は並じゃない。強引男によるエロという様式だけ真似た「まゆたんチルドレン」とは格が違う。彼女の作品を俺たちが理解できないのは当然だ。新條まゆは特定の読者層を極めて正確に狙い撃ちしているのだ。一般女子が「ToLOVEる」を読んでも全く面白くないようなもんだ。 「バカでも描けるまんが教室」という新條まゆの技術書というか自叙伝があるが、これを読むと彼女がいかに自分の長所と短所を正確に把握し、「それまでの少コミにないジャンル」を開拓したかが分かる。最初からエロだったわけではないのだ。新條まゆははじめから「それまでの少コミにないジャンル」を描かなくてはいけない、と言っている。新條まゆ作品は雑誌に
2007年09月25日00:00 カテゴリValue 2.0 属人論法でしか納得できない課題 人を選ぶ台詞がある。 「何を言ったか」が正しくとも、「誰が言ったか」が正しくなければ正しく聞こえない台詞だ。 この夏最後の出稼ぎツアー (内田樹の研究室) 私たちが労働するのは自己実現のためでも、適正な評価を得るためでも、クリエイティヴであるためでもない、生き延びるためである。成人の労働ができるだけ多くの他者に利益を分配することを喜びと感じるような「特異なメンタリティ」を私たちに要求するのは、それが「生き延びるチャンス」の代価だからである。この代価は決して高いものだと私には思われない。 これは、まさにそれにあたる。 なぜこの台詞が先生たちを感動させても、生徒たちをしらけさせるかといえば、失礼ながら内田樹はこの台詞を吐くのにふさわしい人ではない、と見なされているからだ。それが、以下の主張である。 雑
http://www.asahi.com/national/update/1009/TKY200710080324.html 教師を育てようとしない - 今日行く審議会@はてな http://d.hatena.ne.jp/idiotape/20071009/1191947176 http://d.hatena.ne.jp/idiotape/20071010/1192003209 これは間違いなく「労働問題」として扱われるべき事案であるように思う。公立/私立問わず「教師」もいち労働者であることを全ての人間が再認識するべきだろう。 この問題を「一部の非常識な子供/親(モンスターペアレント)の問題)」という形で短小化するべきではない。それは、この問題の一側面に過ぎない。 今回の問題を一般企業に例えるならば、『事前教育もまたサポート体制も不十分なままの新入社員に、いきなり(厄介な)クライアントを担
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