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歴史と東アジアに関するkochizufanのブックマーク (2)

  • 契丹文字:ロシアとモンゴルで冊子と石碑発見 解読に期待 - 毎日jp(毎日新聞)

    中国北方に10世紀にできた遼王朝で使われた「契丹(きったん)文字」の冊子と石碑がロシアとモンゴルで相次いで見つかったと中国や大谷大(京都市)の研究者が30日、東京都内で発表した。契丹文字は多くが未解明。「冊子が見つかったのは初めて」としており、解読への期待が高まっている。 発表した松川節大谷大教授らによると、契丹文字は漢字を参考にしたとされる「大字」と、これとは別の「小字」があり、今回の史料はいずれも大字で書かれていた。 冊子は、ロシア科学アカデミーの研究所の図書館に保管されていたが、中国社会科学院の孫伯君研究員が契丹文字だと指摘した。麻紙に記され、全部で80ページほど。1ページに6行、1行20字程度あった。 松川教授らのグループは、モンゴルのゴビ砂漠に立つ石碑(高さ約180センチ)が契丹文字で記されているのを昨年、発見した。文字は縦書きで7行、150字ほどあった。墓誌以外の碑文に記されて

  • 朝鮮通信使と徳川期の儒学など - heuristic ways

    姜在彦『朝鮮通信使がみた日』を読んで、私が個人的に感動したエピソードの一つは、伊藤仁斎(1627−1705)の『童子問』などの著作が早くも一八世紀の朝鮮に伝わり、読まれていたということだった。 伊藤仁斎の第二子で、伊藤東涯の異母弟に当たる伊藤梅宇(1683−1745)が、享保度(1719年)の通信使のとき、福山藩の儒官をしていて、瀬戸内航路の港町鞆ノ浦(とものうら)で書記・成汝弼と筆談した記録が残っているらしい。そのとき梅宇は、父(仁斎)が「平素言論したところを集めて一書となし、名を『童子問』とした。明日芳洲公(雨森芳洲)に託してお贈りしたい。幸いにして貴国に伝わることは、先人も願うところであろう」と成汝弼に伝えたという。 梅宇も「朝鮮の文人たちの著作をよく知っており、成俔〔ソン・ヒョン〕の『慵斎叢話』、徐居正〔ソ・コジョン〕の『東人詩話』、柳成龍〔ユ・ソンリョン〕『懲■録』*1などにつ

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