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ブックマーク / blog.tatsuru.com (21)

  • 暴言と知性について - 内田樹の研究室

    復興相が知事たちに対する「暴言」で、就任後わずかで大臣を辞任することになった。 この発言をめぐる報道やネット上の発言を徴して、すこし思うことがあるので、それについて書きたいと思う。 松大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。 Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。 仮に日語を解さない人々がテロップに訳文だけ出た画面を見たら、「どうして、この発言で、大臣が辞任しなければならないのか、よくわからない」という印象を抱いたであろう。 傲慢さが尋常でなかったから、その点には気づいたかもしれないが、「態度が大きい」ということは別に政治家が公務を辞職しなければならないような

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    kokogiko 2011/07/06
  • 脱原発の理路 - 内田樹の研究室

    平田オリザ内閣官房参与は17日、ソウル市での講演で、福島第一原発で汚染水を海洋に放出したことについて、「米国からの強い要請があった」と発言したのち、翌日になって「不用意な発言で、たいへん申し訳なく思っている」と発言を撤回して、陳謝した。 発言について平田参与は「この問題には全くかかわっておらず、事実関係を確認できる立場でもない」として、事実誤認であることを強調した。 内閣官房参与、特別顧問の「失言」が続いている。 平田参与の前に、3月16日には笹森清内閣特別顧問が、菅首相との会談後に「最悪の事態になった時には東日がつぶれることも想定しなければならない」という首相の発言を記者団に紹介した。 4月13日には松健一内閣官房参与が「原発周辺には10~20年住めない」という首相発言を紹介したのち、撤回した。 震災直後に内閣官房参与に任命された小佐古敏荘東大大学院教授は、政府の原発事故対応を「場当

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    kokogiko 2011/05/20
    前半はそんな感じかなと思う。後半は推論が激しすぎてどうかなとは思うけど、話としては面白い。
  • 浜岡原発停止について - 内田樹の研究室

    MBSの「辺境ラジオ」も今回で4回目。 不定期収録、収録時間毎回違う、放送時間毎回違うという、いかにもラジオ的にカジュアルな番組である。 精神科医名越康文先生、MBSの西靖アナウンサーと僕の三人のthree-man talk をガラス窓の向こうから伊佐治プロデューサーが顔を赤くしたり青くしたりしながら見ているという四人組ベース。 今回は「震災」テーマでのトークである。 菅首相が浜岡原発の停止を要請したが、それについての評価から話が始まった。 名越先生も私も、これは官僚や電力会社への根回しが十分にされた上での結論ではなく、総理のトップダウンでの「私案」に近いのではないかという意見だった。 浜岡原発の運転の可否についての議論はもちろん専門的な機関で行っているのだろうが、結論はわかっている。 「安全性に問題はない」である。 でも、東海大地震が起きて、放射性物質が漏出するような事態になったら、政府

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    kokogiko 2011/05/09
  • 弁慶のデインジャー対応について - 内田樹の研究室

    5月3日に灘高の文化祭で生徒会主催の講演をした。 そのときの話を少し書いておきたい。 生徒会主催の講演に呼ばれたのは、これがはじめてのことである(そういえば、大学の文化祭というのにもあまり呼ばれた覚えがない)。 お題は「次世代に望むこと」 原発事故以来、また繰り返し集中的にしている「リスクとデインジャー」の話をここでもした。 その話はもういいよ、という人もいるかも知れないけれど、はじめての人はちょとお付き合いください。 危機には「リスク」と「デインジャー」の二種類がある。 「リスク」というのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のことである。「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない危険のことである。 喩えて言えば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、2点のビハインドというのは「リスク」である。 このリスクは監督の采配や、ファンタジックなパス

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    kokogiko 2011/05/07
  • 兵站と局所合理性について - 内田樹の研究室

    兵站についてツイッターに昨日少し思うことを書いた。 まず、それを再録しておく。 昨日言い忘れたことのひとつを思い出しました。logistics のこと。兵站学。義は「輸送、宿営、糧、武器、人馬の補給管理、傷病者の処置などに関する軍事科学の一分野」。日陸軍は伝統的に兵站を軽視したことで知られています。 司馬遼太郎が書いていましたが、日露戦争のとき、兵士は数日分の糧しか持たされず前線へ送られたそうです。「あとは現地で調達(強奪)せよ」ということです。伝統的に日陸軍はそうだった。 今回の震災の危機管理を見て、「これは日陸軍だ」と思いました。 「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち」という戯れ歌のうちに大日帝国戦争指導部の兵站軽視は反映していますが、同じことが今も続いている。前線の「兵士」の活躍は大きく報じるけれど、それを支える兵站の仕事を高く評価する習慣はない。だから、みんな

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    kokogiko 2011/03/24
  • 方便について - 内田樹の研究室

    鳩山前総理の「方便」発言へのメディアのバッシングが続いている。 普天間基地の県外移転構想が破綻したときに、前総理が口にした「海兵隊の抑止力」という言葉がその場しのぎの方便だったと、琉球新報へのロングインタビューで答えたことへの批判である。 海兵隊の沖縄駐留には抑止力などという軍事的な理由付けはなかった、ということを外交交渉の当事者がカミングアウトしたのである。 このことがどうして批判の対象になるのか、私にはその理由がよくわからない。 現に、琉球新報の解説記事は、この発言が基地問題の質を露呈させたとして、一定の評価を与え、単なる失言問題に矮小化しようとしている中央のメディアに対してあらわな不信感を示している。 鳩山前総理がインタビューで暴露したのは (1)海兵隊の沖縄駐留には軍略上の必要性はない (2)前総理の県外(できれば国外)移転構想に複数の閣僚と官僚たちが激しく反対した という二点で

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    kokogiko 2011/02/23
  • 外交について - 内田樹の研究室

    尖閣列島近海での巡視船と中国漁船の衝突事件をめぐって、日中の外交関係が緊張している。 外交関係の要諦は「自国の国益を守る」という目標をできるかぎり遠く、広い射程でとらえることである。 日の場合の「国益」と中国の場合の「国益」理解は深度も射程もずいぶん違う。 そのことを勘案せずに、「同じようなことを考えている」二国が綱の引き合いをしていると考えると、外交交渉は行き詰まる。 日中国はこの問題についていくつか「違うこと」を考えている。 それは、言い換えると中国の「国益」と日の「国益」がゼロサム的な関係ではないレベルが存在するということである。 そこに指をかけて、こじあけるしか外交上のデッドロックを解決する方途はない。 日中国の国情の最大の違いは、中国の統治形態が日に比べるときわめて不安定だということである。 『街場の中国論』にも書いたことだが、中国の為政者は外交上の失敗によって、「

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    kokogiko 2010/10/25
    『日本政府は、そのようなリスクを勘定に入れる必要がない…外交上の失点を重ねようと…九州や北海道が独立するとか…事態を想像する必要はない。』これ傲慢な気が。そう感じさせる事自体が無言の同化圧力。
  • 普天間 「それ」の抑止力 (内田樹の研究室)

    共同通信の取材。参院選についての見通しを訊かれる。 月曜にAERAのみなさんともその話をしたばかりである。 民主党は議席を減らすが、「大敗」というほどではないだろう。自民党はさらに議席を減らし、谷垣総裁の責任問題に発展し、党の分裂が進む。公明党も政権与党という条件がなくなったので議席減。「みんなの党」に多少議席をふやす可能性があるが、投票率が低いだろうから、「風が吹く」というような現象には達しないだろう。 というあまりぱっとしない見通しを語る。 見通しがぱっとしない理由は民主党政権が「期待したほどではなかった」という思いはあるが、「じゃあ、何を『期待』していたんだ?」と訊き返されると、有権者も政治家もだれもが明確な中長期的構想を語れないからである。 民主党だって「やろう」としたのだが、うまくできなかったのである。 それを民主党の政治家たちがとりわけ無能であったと見るか、「やれる」と思って取

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    kokogiko 2010/05/28
    id:zyesuta 核はトンデモとしても、それと似た政治的経緯はあったんじゃない?まさか抑止力とは国家承認もしてない国を守る事とは口が裂けても公言できない。でもそれを公言しないのが沖縄の反発を招いているわけで。
  • 「内向き」で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    先日、苅谷剛彦さんと対談したときに、日のように「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が1億以上」というような市場をもつ国は世界にほとんど存在しない、ということを指摘していただいて、「ほんとにそうだよな」と思ったことがある。 「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯がえる」ということである。 日人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯がえる」からである。 「外向き」じゃないと飯がえないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。 どうしてそんなことを考えたかというと、テレビ政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。 フィンランドはノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有して

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    kokogiko 2010/04/30
  • 出口なし - 内田樹の研究室

    『日辺境論』の書評がだいぶ前の「赤旗」に出ていた(昨日、アダチさんがファックスしてくれた)。 いろいろな媒体に取り上げられたけれど、「赤旗」とはね・・・ 代々木の(けっこう)えらい党員知識人であるところのワルモノ先生と共著で『若者よ、マルクスを読もう!』(仮題)を執筆中であることは党部のすでに知るところであろうから、「ウチダは代々木的には OK」というご判断がくだったのかも知れない。 私は右も左もなく、頼まれればほいほい寄稿する。 国民協会でも(ボツになっちゃったけど)、『第三文明』でも、『月刊・社民』でも、『赤旗』でも、身体が空いていれば、取材も寄稿も「いいすよ」と引き受ける。 私は政治イデオロギーによって人を差別しない。 人々が固有の政治イデオロギーを奉ずるに至るには、余人には窺い知れぬ個人的ご事情というものがあって、それはやはりできる限り配慮せねばならないと思うからである。 そ

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    kokogiko 2010/02/22
  • Twitter と自殺について - 内田樹の研究室

    一般入試 CD 日程。 AB 日程というのが1月29日30日にあって、その合否発表のあとに、2週間ほどおいて次の入試がある。 2月あたまが私学の一般入試の集中時期である。 そのときの合否の発表がもうほぼ終わっている。 2月中旬に行われるこの CD 日程は、さきに第一志望校の受験に失敗した受験生たちの「敗者復活戦」である。 すでに第一次志望校に合格したものは、出願はしたが、実際に受験には来ない。 だから、試験場の座席はけっこう「歯抜け」状態になるのがふつうである。 今年はその「歯抜け度」が小さい。 入学センターの諸君とこの「歯抜け度」の意味について考える。 あれこれ考えたが、やっぱりよくわからない。 この事態を説明する可能性として、いちばん妥当なのは、上位校が合格者を絞り込んできたせいで、現段階でまだ合格通知を手にしていない受験生がかなり多数残っていて、かつ学が「抑え」としてそれなりに高い

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    kokogiko 2010/02/14
  • 基地をめぐる思考停止 - 内田樹の研究室

    名護市長選挙で、普天間基地の県内移転に反対する候補者が当選し、これにより06年に自公政権が米政府と合意した米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(名護市辺野古)への移設が困難となった。 鳩山政権は移設先の見直し作業を加速させる方針だが、米側は当初の合意の履行を求めており、解決のめどは立っていない。 普天間基地問題は無数の「問題」のかたまりである。 基地そのものが地域住民の生活被害をもたらしており、その除去を求める生活者の「民意」がある。 基地経済に依存してきた沖縄の政官業複合体にとっては、基地は中央からの予算と公共投資を引き出すための「人質」である。 日政府にとって、基地の県外国外撤去を求めるということは、沖縄米軍基地の核抑止力が戦後65年間の「平和」を担保してきたという「政治的常識」に疑問をなげかけることを意味する。 アメリカ国民にとって、西太平洋に展開する米軍基地は19世紀末の米西戦争でフィリ

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    kokogiko 2010/01/28
  • 廃県置藩について - 内田樹の研究室

    歯の治療がそろそろ佳境に入りかかっている。 このあと上の三の歯の基盤つくりのために、副鼻腔の「掃除」というのをして(何をするのかわからないだけにちょっと怖い)、下の歯の左奧にインプラント手術。これは最初のインプラントがうまく定着しなかったので、やり直しらしい。 先日、歯の先端が欠けて、しばらく舌が痛かった(尖った先端で、舌の横を「ヤスリ掛け」していたせいである)。 べると痛いし、しゃべっても痛い。 だったら早く歯医者に行けばいいじゃないかとおっしゃる向きもあるだろうが、歯が割れたのが15日のことである。センター入試を「お休み」してよろしいなら私も早速に歯医者に行きたかったところである。 だから 18 日に平松大阪市長を囲んで、鷲田先生、釈先生、江さんらと会したときも、歯が欠けたままだったので、実はしゃべるのがけっこう大変だったのである。 そろそろと舌で歯の尖ったところを探って、「クリ

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    kokogiko 2010/01/22
  • ナショナリストとパトリオット - 内田樹の研究室

    河合塾での講演のあと、廊下でナショナリズムについてひとりの予備校生から質問された。 たぶん、彼の周囲でもナショナリスティックな言動をする若い人たちが増えてきており、それに対してどういうスタンスを取るべきか決めかねているのだろう。 若者がナショナリズムに惹きつけられる理由はわかりやすい。 それは帰属する集団がないからである。 人間は帰属する集団があり、そこで他者と共生し、協働し、必要とされ、ゆたかな敬意と愛情を享受していれば、パトリオットにはなっても、ナショナリストにはならない。 パトリオットは自分がその集団に帰属していることを喜び、その集団を律している規範、その集団を形成した人々を愛し、敬しており、その一員であることを誇り、感謝している。 ナショナリストはそうではない。 彼はどのような集団にもそのような仕方では帰属していない。 彼は自分がさしあたり所属している集団について(それが家族であっ

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    kokogiko 2010/01/04
  • ナマケモノでいいじゃないですか - 内田樹の研究室

    ようやく授業が終わる。 今日から冬休みである。 なんとか生きて冬休みを迎えることができたことをとりあえず言祝ぎたい。 しかし、この二ヶ月実によく働いたものである。 『日辺境論』を出したせいで、販促活動がばたばたと重なり、たいへんな日程になってしまった。 それも一段落。 辺境ネタでは養老先生と二回対談した(『新潮45』と『AERA』) どちらもたいへん面白かった。 昨日は『サンデー毎日』の取材。 雑誌の4頁を使っての宣伝をしてくれるというありがたい企画である。 いろいろなメディアからの取材を受けたり、書評を読んで感じるのは「日人よ、がんばれ」という叱咤激励型の言説に日人自身がもううんざりしているということである。 叱咤激励的であるという点では右翼も左翼も変わらない。 「今の日はダメだ」という点では進歩的反動的、老いも若いも、みな口調が揃っている。 「いいじゃん、もう、これで」という

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    kokogiko 2009/12/24
  • どうして日本軍は真珠湾を攻撃したのか - 内田樹の研究室

    朝日新聞のイシカワ記者が取材に来る。 真珠湾攻撃について歴史的検証を行うという趣向である。 朝日新聞と日経済新聞には、前に原稿にアヤをつけられて「二度と書きません」と啖呵を切ったはずなのだが、違う部署の知らない記者から寄稿を頼まれると、因縁があったことをころりと忘れて「はいはい」と即答してしまう。 原稿を書いたあとになって「あ、いけね。朝日と日経には書かないことにしてたんだ」と思い出す、ということを何度か繰り返している。 困ったものである。 朝日と日経に書かないことにしたのは、この二紙のデスクが私の原稿に「書き直し」を要求したからである。 朝日は原稿を送る前に「社の方針に合わない内容なら書き直しを要求します」と言われた。日経は原稿を送ったあとに「・・・である」という断定を「・・・であると思う」(だか「・・・だと言われている」)に直せと言われた。 私はべつに両紙の社説を書いているわけではな

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    kokogiko 2009/11/24
  • 教育=贈与論 - 内田樹の研究室

    めぐみ会奈良支部で講演会。 めぐみ会というのは会員30000人を擁する学の同窓会であり、つねづね申し上げているように、学の重要なステイクホルダーなのである。 私の「教育はビジネスの語法では語ってはならない」という教育論は学内的には「非現実的」「思弁的」というご批判をいただくことも多いのであるが、同窓会内部には支持者が多い。 同窓生たちの中には億単位の寄付を遺贈する方が少なくない。 それは別にスーパーリッチな卒業生が多いという意味ではなく、彼女たちが「教育というのは質的に『教える側の持ち出し』である」ということをご存じだからである。 少女時代の数年間を女学院で過ごした人々が、そこで経験した「教える側の持ち出し」という原事実の重さを、齢を重ねるについて思い知るということがあるからこそ、晩年に至って、「お返し」をしなければならないというふうに考えるのである。 昨日お話しした同窓生の方は大正

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    kokogiko 2009/10/22
  • 窮乏シフト - 内田樹の研究室

    ゼミの面接が始まる。 これまでに49人と面談。ひとり10分から長い人は20分くらいなので、すでに12時間くらい学生たちと話し続けている勘定になる。 ふう。 まだ20人くらい残っている。 たいへんな仕事ではあるけれど、総合文化学科の全2年生の3分の1くらいの学生たちと一対一で膝を突き合わせてその知的関心のありかを聞き取る得がたい機会である。 現代日の20歳の女性たちの喫緊の関心事は何か? 女性メディアの編集者であれば、垂涎のテーマであろう。 お教えしよう。 彼女たちが注目している問題は二点ある。 一つは「東アジア」であり、一つは「窮乏」である。 東アジアへの関心の主題として挙げられたものは「ストリートチルドレン」「麻薬」「売春」「人身売買」「児童虐待」「戦争被害」「テロリズム」「少数民族」などなど。 これらは、「法治、教育、医療、福祉、総じて人権擁護のインフラが整備されていない社会で人はど

  • 握らない一教 - 内田樹の研究室

    死のロードの最終日一日前。 楽しい合気道のお稽古。 なんだかやたらたくさん人が来ていて、40 人近くいる。 このところ、みんな上り調子なのである。 合気道がおもしろくてしょうがないという顔をしている。 たぶん、きっかけの一つは「握らない一教」からである。 正面打ち一教、とくに裏のとき、腕の力を使いがちになる。 これがどうもよくないのだけれど、なかなか修正が効かない。 がばっと相手の肘を握って、引き倒すようなかたちになると、「斬り」にならない。 原理的にいうと、ものを「斬る」ためには刃筋がつねに体の正中線上になければならない。 しかし、徒手の武術しか経験のない人たちに「刃筋」という概念を理解してもらうのはなかなかむずかしい。 ふと思いついて、取りは肘を握らない、手首も握らない、掌を当てるだけの稽古をすることにした。 発想の転換である。 「受けの身体運用」を中心に稽古するのである。 手首、肘に

  • 格差社会論(再録) (内田樹の研究室)

    今回の秋葉原の事件に「格差社会下層」に自分を「格付け」するという「物語」が深く関与していることにはどなたも異論がないだろう。 私は以前そのような「物語」が瀰漫することに、とりわけそれが「政治的に正しい」説明原理として称揚されることについてその危険を指摘したことがある。 『神奈川大学評論』という大学紀要に寄稿したものであるので、大学関係者以外には読まれた方はほとんどおられないであろうから、ここに再録する。 2007年の9月に書かれたものである。 この論考のせいで私は「保守系リベラル」「中道右派」とカテゴライズされることになった(ウィキペディアにはそう書いてある)。 ここに書かれたことのどこが「中道」なのか、どこが「保守」なのか、私にはよくわからないが。 善意の格差論のもたらす害について 内田樹 「格差」という語はそれ自体では価値中立的なものであるが、現在のメディアではこの語は中立的なものとし