楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。 初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。 周防國の玖河郡の麻里布の浦を行きし時に作れる歌八首 可能性として天平四年七月上旬 大使は従五位下角朝臣家主 この麻里布の浦の歌八首と次の大嶋の鳴門の歌二首は、一組の歌群として考えるのが良いのかもしれません。「大嶋の鳴門」は、現在は周防大島と云われる屋代島筆崎と本土の大畠との間の水道で、当時の瀬戸内海地廻り航路の最大の難所でした。現在の倉橋島である長門の津に停泊すると、必然に通過しなくてはいけません。遣新羅使船は大型の帆船ですから潮の流れと風向を見定めて、この「大嶋の鳴門」を通過します。この潮待ちや風待ちをしたのが「麻里布の浦」です。 当然、当時の風習で、交通の難所を通過する場合は、その土地を寿ぐ必要があります。麻里布の浦の歌八首は上陸をしての歌ではありませんから、沖合での潮待ちや風待ち