『大乗起信論』を読むアプローチとして、井筒俊彦氏(1914~1993)の『意識の形而上学』が面白かったので、「Ⅲ「真如」という仮名」の一節をUP。仮名(けみょう)という概念は、『論註』などでも、実体のないものに仮につけた名、という意で使われるのだが、判りにくい概念である。概念とは言葉によって分別されているのだが、その言葉を超えた領域をあえて言葉による表現をするのが仮名という言葉であろう。なお、真宗では真如の顕現相である、なんまんだぶについて垂名示形(名を垂れ形を示す)ということがいわれるのだが、イスラム神秘学の哲学者イブヌ・ル・アラビーの存在(ウジユード)に関するイスラーム学者である東洋哲学者の井筒氏の考察は、参考になること多である。もちろん御開山は哲学者ではなく、市井の念仏者であったのだが、お残くださったご著作に形而上の補助線を入れることによって、時代を超えて迫ってくるものがある。『教行