やることがたくさんあって疲れることとか、嫌気が差す人は結構いると思うのだけれど、こういった「大変さ」というのは常に相対的なものだ。実のところ、絶対的に大変なことというのははそう多くはない。例えば、今の僕の生活は相応に予定が詰まっていて、ここ2ヶ月くらい一日も休日がないのだけれど(仕事と執筆とNPOを合わせたらコンスタントに週に100時間以上は働いている)、多分アメリカの大統領とかが僕の代わりをしたら退屈するくらい楽だろうと思う。 何が「大変さ」を感じさせるかというと、それは現在の経験が習慣から外れているかどうかによる。自分の習慣の外にあるものを人は辛いと思うし、その中にあるものは大してつらいとは思わない。他の見方をすると、こういった「慣れ」の範囲を拡げることが、人の成長と言えるのだろう。 慣れの幅は、意外と簡単に広がる。ドストエフスキーは、自身の収容所での体験を語った「死の家の記録」で人は