1945年4月、瀬戸際に追い込まれた連合艦隊は「天一号作戦」を計画、日本海軍の象徴である戦艦大和は沖縄への海上特攻を敢行することになります。同月7日14時23分、坊ノ岬沖で数百機に及ぶ米軍機の攻撃を受けた大和は僅かな生存者を残して海中に没しました。ここに日本海軍の水上戦闘艦艇は壊滅的な打撃を受け、名実共にその終焉を迎えます。生き残りの一人、大和に副電測士として乗り組んでいた吉田満少尉(当時)は、復員後吉川英治に勧められるままに「戦艦大和ノ最期」と題した手記をまとめました。そこからはじまる吉田とGHQによる検閲との闘い・・・「歴史探偵の調査報告」とも言える論文を読みました。 山崎鹿名子, 「「戦艦大和の最期」とGHQの検閲」, 二十世紀研究 (11), 2010年, pp.91-113 検閲を行った日本人たち 筆者によれば、GHQの民間検閲部隊は総勢1万人近い規模(ピーク時で8763人)であ