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9月16日(水)にデビュー10周年メモリアル・アルバム『つじギフト〜10th Anniversary BEST〜』が発売になった、つじあやの。デビュー前、それこそ学生時代から友達を集めて行っていた地元・鴨川でのフリー・ライヴ、通称〈鴨川ライブ〉をデビュー10周年を記念して、9月26日(土)に1日限りの限定復活を遂げることが決定! つじあやのが生まれ育った、京都・鴨川でみんなで一緒にのんびりしましょう! さらに、アルバム発売日の9月16日(水)、地元・京都のラジオ局α-stationではスペシャル・ワンデイ『つじあやの THANKS 10th Anniversary SPECIAL ONEDAY!!』を実施中。リスナーの皆さんへの生演奏、あの豪華アーティストからのコメントなど、朝から晩までつじあやの一色でお届け! こちらも要チェック。
その記念すべき今日、やはり、日経新聞はやってくれました。朝刊17面の「一目均衡」、高名な末村篤氏の「金融規制の要は銀証問題」です。きょうはこのコラムに反論したいと思います。 以下、抜粋とコメント。 「銀行の自己資本や報酬の規制が金融サミットの焦点というのは隔靴掻痒の感がある。」 → いや、きわめて妥当な方向感だと思うのですが。 「有価証券として発行・流通する金融商品は規格化、標準化が欠かせない(中略)。私募形式の証券化商品は不完全・欠陥商品といえる」 → いえ、世の中で流通する財・サービスのほとんどは規格化、標準化されていないものです。ある財・サービスを安全に流通させる上で、規格化するとか、金商法の厳格な規制をかぶせるとかは、1つの方法ではありますが、唯一の方法ではありません(また、その方法が万能だというわけでもありません)。 「グラス・スティーガル法〔注:同一の金融機関が銀行業務と証券業
9月5日に行った再洗礼派勉強会は、また例の如く非常に面白かったのですが、打ち上げの席で近世にはメルキオール・ホフマンやベルンハルト・ロートマンの終末論の影響を引き継いだ思想家が数多くおり、しかも「新しきエルサレム」が国家となって地上に実現するという、ナショナリズムと千年王国論が一体化した論があるという話を聞いて、非常に面白いと感じました。エストライヒの「社会的規律化論」でおなじみのリプシウスも、Family of Love というメルキオール・ホフマンやミュンスター再洗礼派の系譜を引くセクトの一員でした。バーナード・マッギンは、『アンチキリスト』の中で、近世以降の終末論を形骸化したものとして扱っていますが、案外そうでもなかったのかとも思います。 そのため、少し近世の終末論に関する文献を調べてみました。 John Christian Laursen, Richard Henry Popkin
きのうから、日経ビジネスオンラインで「若きキャリア官僚の秋2009」という連載インタビュー記事がスタートしています。初回に登場するのは財務省主計局の高田英樹氏。聞き手はコンサルタントの佐藤ゆみ氏です。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090907/204180/ 自身のブログを運営したり(http://plaza.rakuten.co.jp/takadahmt/)、財務省の採用情報サイトに魅力ある先輩として登場する(http://www.mof.go.jp/saiyou/honsyo/senpai18.htm)などしているお方です。このインタビューも、全体を通じて、志の高さが感じられて好感が持てます。 少しだけ紹介しますと、 佐藤 ゆみ(以下、佐藤) 最近、官僚と言うと、天下りで大金を手にしているとか、埋蔵金を隠しているとか、
事実関係が隔靴掻痒な感じではっきりしないが、包括宗教法人の管長が末寺A(宗教法人X)の住職で宗教法人代表役員Yの擯斥処分を行い、その理由が宗門の教義に異を唱えたことであり、住職=代表役員の地位を失ったYにXが立ち退きを求めたところ、その処分は不当だとして争われたものと思われる。 原審は処分が正当か不当かを判断するには、擯斥処分の事由である教義の解釈が問題となるので、これは法律上の争訟とはいえないと判例理論に則って判断したところ、Xは擯斥処分の事由としてもう一つ、管長しか許されていない法階授与をXが行って秩序を乱したことも挙げられるとして、上告した。 この理由なら宗教上の教義の解釈に立ち入らないで判断できるというわけである。 ところが最高裁は、確かにその理由なら宗教上の教義の解釈に立ち入らないで判断できることを認めながら、Xは教義に異を唱えたことを擯斥処分の理由にしているのであるからダメだと
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