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ブックマーク / itunalily.hatenablog.com (10)

  • アジアの貢献は自らへの挑戦 - ブログ版『ユーリの部屋』

    今日の朝日新聞夕刊に、すかっとするような興味深いコラムが掲載されていました。 「アジアの人権観」と題する「窓−論説委員室から」です。 今月初めに東京で開かれた第2回アジア国際法学会公開フォーラムで、「アジアの挑戦−多極化世界の法と価値」というテーマが議論されたのだそうです。記事によると、中国代表は「欧米の人権観の押しつけへの批判」を発言されました。東南アジアの代表者(どこの国なんでしょう?)も、「アジア流の紛争解決や考え方を、もっと国際法に反映すべきだ」と主張したようです。 ここまでは、予想された内容ですが、ここから先がおもしろかったんです。 ICU教授の最上俊樹教授は、「欧米への挑戦ではなく、アジア自らへの挑戦が必要だ」として、域内の人権保護を求め、沖縄の暴力否定の文化を発信すべきだと訴えたとの由。また、オランダの国際司法裁判所の小和田恒所長も、「アジアと欧州の価値に対立や矛盾があるとの

    アジアの貢献は自らへの挑戦 - ブログ版『ユーリの部屋』
  • アラブでのイスラーム棄教の議論 - ブログ版『ユーリの部屋』

    先週の「イスラーム棄教の背景分析」(1)〜(4)は、「ユーリの部屋」へのアクセス数が、突然、普段の3倍ほどに上がったので、予想以上に関心の高い方達が多いのだと思いました。 念のため繰り返しますが、これは私自身の研究ではなく、あくまで概略をご紹介したまでです。また、研究テーマにおいても主たる関心事ではないことを、誤解のないよう、もう一度はっきりさせておきます。 ただ、昨日の冒頭にも書いたように、大正時代に相当する時代に、文書上のムスリム・クリスチャン競合がうねりを見せた時代があったので、その行き着く先の一つの帰結である「改宗」の問題については、ある程度、ムスリムがどのように考えているのかを明らかにしておく必要があると考えたわけです。 マレーシアでは、人々が比較的穏やかなのと、一神教以外の諸宗教が存在しているために明言化されにくいところがあります。そこで、参考資料として、再び「メムリ」(MEM

    アラブでのイスラーム棄教の議論 - ブログ版『ユーリの部屋』
    microtesto
    microtesto 2008/05/10
    >>「お前には背教者になる権利がある。だが、わたしはお前を殺す」「そのとおりだ。彼に(殺さないとは)言わない」「殺されること以上に悪いことがあるのか」「だから、人は背教者にならない」<<きついなぁ
  • イスラーム棄教の背景分析 (4) - ブログ版『ユーリの部屋』

    以下は、おとといの「ユーリの部屋」の続きです。 4.Ibn Warraq著『イスラームを離れて』(ユーリ注:以下『離れて』)とウェブサイト『イスラームに答えて』(ユーリ注:以下『答えて』)『イスラームの棄教者達』(ユーリ注:以下『棄教者達』)の証言を資料にした総合分析 (文末注:『イスラームに答えて』「真実、愛、命の新生:なぜムスリムはクリスチャンになるのか」(http://www.answering-islam.org/Testimonies/index.html)2004年8月時点のアクセス。『棄教者達』の「棄教者達に会う」では、有名な元ムスリムとして、Ibn Warraq, Taslima Nasrin, Nonie Darwish, イラン出身のAli SinaとParvin Darabi(共に無神論者), パキスタン出身のTahir Aslam Gora(非ムスリムのスーフィーと

    イスラーム棄教の背景分析 (4) - ブログ版『ユーリの部屋』
    microtesto
    microtesto 2008/05/10
    イスラームへの/からの改宗証言は、ウェブ上で匿名化と公表化の両方で行われている。同時に宗教に属する人々の慣習的な把握が低下している。特に女性の地位がイスラームへの/からの改宗動機に挙げられるのは興味深い
  • イスラーム棄教の背景分析 (3) - ブログ版『ユーリの部屋』

    おとといと昨日の「ユーリの部屋」でご紹介している論文要約の第三弾に入る前に、中間コメントとして、ここで少し私見をまとめておきます。 書きながら思うのは、宗教戦争や宗教対立を経験した人類史を振り返り、多様な価値観の交錯する現段階では、やはり信教の自由が尊重されるべきだろうということです。「信教の自由」とは、宗教を信じる自由、宗教を信じない自由、宗教を自分で選ぶ自由、宗教を変える自由、宗教を強制されない自由、信仰表明の自由、のいずれをも含みます。これは何びとにも適用される基的人権なのだという考えを、私は支持します。強制改宗は否定されるべきですが、ムスリムであっても非ムスリムであっても、来は、自由に信仰を実践したりしなかったりできる方が、遠い将来、イスラーム社会そのものの発展にとって望ましいのではないでしょうか。もちろん、現実には今のところ無理そうだということを踏まえて、非ムスリムに与えられ

    イスラーム棄教の背景分析 (3) - ブログ版『ユーリの部屋』
    microtesto
    microtesto 2008/05/10
    >>現在、「イスラミック・スペインの回復」を目論んでいるムスリムの存在を知るならば、どうしてこのような本がアメリカで出回るのかという背景は理解できます
  • イスラーム棄教の背景分析 (2) - ブログ版『ユーリの部屋』

    以下は、昨日の続きです。 3.メディアでの語り ・我々が面談した以外に、事例が広く一般化されている幾つかの改宗者の事例もある。ただし、Ayaan Hirsi AliとWafa Sultanの事例は除く。前者は、ソマリア出身の無神論フェミニスト政治家。オランダで評判になった。『籠の処女:女性とイスラームのための解放宣言』(2006年)と論争的な『服従』フィルムの著者。イスラームにおける女性の地位と預言者の性格が、彼女の宗教批判の焦点である。後者は、シリア出身カリフォルニア在住の無神論者で心理学者。2006年2月21日のアル・ジャジーラによるインタビューで、イスラームは質的に現代の諸価値に反すると議論して、有名になった。 (1) Nonie Darwishについて (ユーリ注:1948年にエジプトのカイロで生まれ、ガザ育ち。父親は、故ナセル大統領の指揮下で、エジプト軍総司令官として400名

    イスラーム棄教の背景分析 (2) - ブログ版『ユーリの部屋』
  • イスラーム棄教の背景分析 (1) - ブログ版『ユーリの部屋』

    『ムスリム世界』という英文学術誌があります。同志社大学大学院アメリカ研究科に宣教師として4年間滞在されていたジクモント(Barbara Brown Zikmund)教授の手引きもあり、2005年8月に、私はアメリカのコネティカット州にあるハートフォード神学校を訪問しました。ハートフォード神学校については、2007年10月23日・11月12日・12月4日付「ユーリの部屋」でも言及していますが、ここは、英領マラヤでマレー人向け宣教活動を行っていたウィリアム・シェラベア博士が、イスラーム研究をするクリスチャン学者として、1947年で亡くなるまで教授職を務めた場所です。アーカイブには、シェラベアの自筆資料や、参考資料として使用していたジャワでのマレー語聖書などが、かなりの分量で、きちんと整理保存されていました。(余談ですが、内村鑑三氏も、ここに留学していたことがあったそうです。) このハートフォー

    イスラーム棄教の背景分析 (1) - ブログ版『ユーリの部屋』
    microtesto
    microtesto 2008/05/10
    >>ムスリムにとっては、このような調査そのものが危険を伴うものでもあり、データとして棄教者に面接すること自体、大変に苦労をする
  • マレー語・ムスリムと聖書・アラブ - ブログ版『ユーリの部屋』

    昨日付のはてな英語版ブログ“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)では、マレーシアの首都圏にあるカイロス研究センター所長のDr. Ng Kam Wengの最新版論説を引用させていただきました。もちろん、複写引用に当たって許可をいただくのですが、いつも快く了解していただき、感謝しております。 内容としては、マレーシア独立前後の非マレー人への市民権付与の問題や、マレー人と非マレー人の間の「社会契約」の変遷を扱ったもので、マレーシア研究者であれば、たいてい誰でも知っていなければならない事項です。日でも大先輩の先生方の研究論文で、かなり論じ尽くされた事柄です。博士が改めてこれに言及されたのは、地元人の認識の遅れを暴露するためではなく、「社会契約」の認識や解釈が、当初の理解と徐々にずれてきているため、再度警告を発するという意図があるのではないか

    マレー語・ムスリムと聖書・アラブ - ブログ版『ユーリの部屋』
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    microtesto 2008/05/10
    >>ムスリム系住民をめぐってヨーロッパ社会で生じている問題は、キリスト教・キリスト教徒対ムスリムの衝突ではなくて、ムスリム対世俗国家の衝突である、と大主教は言いたいのである
  • フランシス・フクヤマ氏の講演会 - ブログ版『ユーリの部屋』

    2007年10月22日午後2時半から4時半まで。フランシス・フクヤマ氏の講演会概要(於:同志社女子大学栄光館ファウラー・チャペル) 400名ほど出席。入り口で、パンフレットと感想用紙をいただきました。これはもちろん、メモ用紙に早変わり。ところで、随分前に朝日新聞のコラムで、フランシス・フクヤマ氏の写真付きインタビュー記事が掲載されていたのを切り抜いておいたのですが、それから考えると、この同志社の行事ってちょっと遅れをとっていません?今回の記念行事は、ご母堂が同志社と縁が深かったこともあり、この度、名誉博士号授与の運びとなったそうです。 蛇足ですけれども、伝統的な私学では、単なる実力のみならず、係累や同窓のつながりも優先されることが多いようです。私見では、それも善し悪しかもしれないと思っています。その環境に浸ってハッピーで、規定ルートで留学したり就職したりする人生に満足できるならば、問題ない

    フランシス・フクヤマ氏の講演会 - ブログ版『ユーリの部屋』
  • エジプト人の先生との会話から - ブログ版『ユーリの部屋』

    10月22日にばったり会ったエジプト人の大学教員との会話の続きです。 (A: 先生 B: ユーリ 使用言語は英語) A「あ、そう言えば、あんたのマレーシアの友達で、2年前、国際ワークショップで京都に来たキリスト教のリーダーがいただろう。あの、インド出身のマレーシア人のクリスチャン。会合で一緒に撮った写真、後で私に焼き増し一枚くれたじゃないか」 B「ええ、S師ですね」 A「そう。あの人と後で、メールで議論したんだ。マレーシアのイスラームのあり方について、クリスチャン指導者がどう理解すべきか。誤解もあるから、ムスリムとしては説明しないといけなくて…」 B「あ、知ってますよ。去年の11月にマレーシアを訪れたら、S師が私に言いました。‘あれから突然、長いメールが日人ムスリムのN教授から届いた。マレーシアはイスラーム国家だ、なんて書いてあったから、こっちは、マレーシアにはかくかくしかじかこういう問

    エジプト人の先生との会話から - ブログ版『ユーリの部屋』
  • ムスリム・クリスチャン関係 - ブログ版『ユーリの部屋』

    2007年10月23日付英語はてな日記‘Lily’s Room’では、マレーシアから10月22日に送られてきたカトリック週刊新聞『ヘラルド』の記事より、ローマ教皇宛に提出したムスリム指導者層の署名付き公開書簡を筆写入力しておきました。マレーシアの代表的な4名も署名しています。ご興味のある方は、どうぞご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20071023)。 ただし、私見を言い添えると、この内容は、失礼ながら、特に新奇性のあるものでもありません。実は、第二次世界大戦前後、ウィリアム・シェラベアの晩年近く(1940年代頃)から、シェラベアも含めた一部の進歩的な宣教師学者の間で提唱が始まり、具体的には、1980年代頃から、キリスト教神学における宣教議論の重点変化に伴って、まずクリスチャン側からムスリムへの呼びかけとして提出されていたものです。イスラーム

    ムスリム・クリスチャン関係 - ブログ版『ユーリの部屋』
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