語ることで自己がつくられるというナラティヴセラピーの発想は、観念的である。他者との語りの中で自己とその物語がつくられたとしても、それは観念的構成物にしかすぎない。物語は実演されなければ、創発されず、実在しない。実演されるためには、舞台(場)や共演者や観衆が必要である。物語を語ることと演じることには、大きな差異があるのである。 地に足のついたリアリティのある自己や社会は、語ることでつくられるのではなく、演じることでつくられるのである。この場合、演じるとは、普通に社会的役割を遂行することと考えても良い。例えば、教職免許をもつ者が、自分が教師だと他者に語るだけでは、本当に教師にはなれないし、自己が教師だと自信ももてないだろう。学校という舞台において、共演者としての生徒や観衆としての周囲が認めないと、教師という自己物語は成就しない。語るだけでは決してリアリティは生じないのである。実演することではじ
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