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ブックマーク / zephyrus.hateblo.jp (4)

  • 社会調査士資格の社会的意味 - memory cell

    先日某大学社会学部講義初日。講義要項を見て驚いた。理論科目、講読科目が大幅に削減され、その分調査科目が大幅増である。そして、これがそろいもそろって一番単純な質問票作ってばらまいて回収して処理して…という一番単純な調査ばっかり。社会調査士資格などというものが出来た結果がこれである。今や、通年で(と言っても、半期+半期だが)同一教員が一貫した講義をする理論系授業は2つしかない。「社会学部」ではなく「社会調査学部」「アンケート学部」とかに改名したらどうだろうか? 私の出た大学は社会調査必修だったので、私も(質問票を作り、地域コミュニティーに出かけて、町内会長にインタビューするなんてことをやったものだ。そのときに思ったのは、これで現実の社会を知ることが出来るのか?、「・・・についてはどう思いますか?」などという質問をでっち上げて、それをオヤジさんに答えてもらうと分かることが現実なのか?オヤジはリア

    社会調査士資格の社会的意味 - memory cell
  • EMのポリシー - memory cell

    久しぶりにEMのポリシーめいた文章を書いている。書いていて断片的に思ったこと。 1 久しぶりに、EMのポリシーを書いてみたら、自分が妙にきれいにEMと慣習的社会学(FA)との差異を示せてしまうのに我ながら驚いた。EMと社会学の観点の違いをいくらでもざらざら書けてしまう。一般的にはある学問スタンスを他のそれからきれいに区別できればこれほど喜ばしいことはないのだろうが、こと話がEMとなるとそうはいかない。なんかEMという学問が社会学から明確に区別されて自存するかのような自分の書きぶりは、自分で書いていて半信半疑になってしまう。 EMって質的にFAの寄生虫だろうに。この寄生性こそEMの核心だろうに。論理的に美しくポリシー説明できるなんておかしいよ。これじゃ通常科学だよ――という認識が私にはある。一体この寄生虫感覚はどうポリシーとして書けばいいのだろうと考えてみたが、コンパクトには書けないものだ

    EMのポリシー - memory cell
  • 「構築主義以降の社会学」(続) - memory cell

    「構築主義以降の社会学」で煩悶している。煩悶しては別の仕事に逃避し、「でも考えなきゃ」と再び煩悶する――の繰り返し。完全にlowである。(私の場合たばこを吸っても脱出できないので、highになる薬が欲しいとか危ないことをふと思ってしまう。)頭がまったく先に進まず、煩悶している理由をまずはちゃんと考えねばならないという段階で煩悶している。 ①EMで押しまくるわけにはいかない。会話分析+EMはN氏がやることになっている。そもそも依頼が私に来たその事情が――N氏が会話分析とEMの二冊を担当することになっていたのだが(確かに、これ以上の適任者はいないだろう)、会話分析とEMを分ける意味がないというので、「構築主義以降の社会学」などというものが急遽シリーズに組まれた――というものである。EMについて部分的に語ることは出来るだろうが、全面的に語るわけにはいかないだろう。(しかし、会話分析とEMの二分冊

    「構築主義以降の社会学」(続) - memory cell
  • 高校生にも分かる「構築主義以降の社会学」 - memory cell

    今年の3月頃、N氏経由で受けた「構築主義以降の社会学」というテーマの原稿依頼が重い。「原稿用紙150枚くらい」という条件も重いが、何しろ「高校生にも分かること」という条件が重い。高校生に「構築主義以降」とか話してどうする?ということも疑問だが、それより何より、「構築主義以降」ということは「構築主義」もそれなりに語らねばならないということで、ということは、「構築主義」と「構築主義以降」とを‘150枚以内で!'‘高校生にも分かるように!'誰が書けるか?と激しく疑問に思う。 どう考えても構築主義の社会学とそれ以後の展開に対して‘理論的に’解説するなどということは出来ない。社会学理論を分かりやすく話すことに関しては相当自信がある(世の中には、簡単な内容を難解に言い換えることを目指しているとしか思えない理論家とやらが多すぎないか?)が、学部生に話すにしてもこのテーマでは相当の分量が必要になるし、高校

    高校生にも分かる「構築主義以降の社会学」 - memory cell
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