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cultとsocialに関するmicrotestoのブックマーク (4)

  • 高橋克也被告裁判・証言草稿──地下鉄サリン事件20年に際して/大田俊寛 - SYNODOS

    私は、2015年3月17日、「最後のオウム裁判」と称される高橋克也被告の裁判に、証人の一人として出廷することになった。この文書は、そのために作成した草稿である。実際の裁判における証言は、事前に用意した文書の読み上げが許されなかったこと、弁護人との問答のなかで話が進められたことなど、文書とはやや内容や形式が異なる(とはいえ、大きな点での差異はない)。 宗教学を専攻しております、研究者の大田俊寛と申します。オウム真理教に関しては、これまで、2011年公刊の『オウム真理教の精神史──ロマン主義・全体主義・原理主義』(春秋社)と、2013年公刊の『現代オカルトの根源──霊性進化論の光と闇』(ちくま新書)という、二冊のを執筆して参りました。現在は、埼玉大学の非常勤講師として教壇に立っております。 私は1974年(昭和49年)生まれであり、現在40歳です。地下鉄サリン事件が起こった1995年は、私

    高橋克也被告裁判・証言草稿──地下鉄サリン事件20年に際して/大田俊寛 - SYNODOS
  • 島薗進・宗教学とその周辺 | Just another WordPress weblog

    漱石が死に臨む時を経過し、また大自然を前にして感得している安らぎの境地は、漢詩の伝統から多くを得ているだろう。「詩僧」という語で自らを捉えているのも納得のいくところだ。だが、また儒教的な天や道教的な無、あるいは仏教的な空からも影響を受けたものだろう。死を前にした時期の漱石の「天」は、近代人の「魂のふるさと」の漱石的な形とも言えるだろう。それは漱石が自ら切り開いた境地であり、死生観という枠組みで捉えることもできるものだ。 漱石から現代まで 漱石から現代に至るまで、このような「その人自身の死生観」がさまざまに表出されてきた。共有されている死生観の枠組みからいったん切り離された個々人が、それぞれにつかみ取る、あるいは探り続けるものとしての死生観である。これが近代における死生観の特徴である。拙著『日人の死生観を読む』でもそのような死生観について宮沢賢治、折口信夫、吉田満、岸英夫、高見順などを例

  • sociologbook | 2007/07 - 小ネタ

    先日開催された「癒しフェア」に潜入した驚愕のルポルタージュ! わざわざ東京くんだりまで行ってカネ払って会場に入っていろいろ試してみましたシリーズ! すべて実名です! 「ドラゴンさん」とは何か!? あれ〜あの人たち頭に傘かぶってるよ! 男とすぐに別れる35歳の女性は幸せを掴むことができるのか!? 「理工学部物理学科」では「波動物理学」を学ぶことができるのか!? 全人類を救う「俺もよく吐くんだぁ理論」とは何か!!? ぷにっき - 癒しフェアレポ:その1 ぷにっき - 癒しフェアレポ:その2 ぷにっき - 癒しフェアレポ:その3 ぷにっき - 癒しフェアレポ:その4 ぷにっき - 癒しフェアレポ:その5 ぷにっき - 癒しフェアレポ:その6 すべての謎がいま解き明かされる! 癒しとかスピリチュアルとか江原とかに(いろんな意味で)興味がある方は必見! やたらと「!」が多くてごめん!

  • heuristic ways - 伊東乾『さよなら、サイレント・ネイビー』

    著者の伊東乾氏は、地下鉄サリン事件の実行犯の一人・豊田亨と大学時代(東大理学部物理学科)の同級生だったという。氏は、拘置所内の豊田と接見や文通をしながら、なぜいかにしてあの事件が起きたのか、そして「豊田と私を分けたものはなんなのか?」を問い続けてきた。氏の目的は、「二度とああいう事を繰り返してはならない」ということ。同じような事件の「再発防止」の道を明らかにし、「オウムもサリン事件も知らない、若い世代」の人々に訴えるにはどうすればよいか。氏は2000年より東大助教授の職を得て、そこで「情報処理」の科目を担当し、「豊田に協力してもらって「再発防止カリキュラム」を作り、毎年300〜400人ほどの学生を指導している」という。だが、「もっと間口広く、ひとりひとりに語りかける」ためにこの原稿を書き、「開高健ノンフィクション賞」に応募するというルートで出版に漕ぎつけたということらしい。 このにはたし

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